アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

日本の小市民がビルマにしてあげられること

2021年05月04日 | Weblog
 ビルマのその後は…
1962年 軍事クーデター 軍事独裁体制
1989年 民主化指導者アウン・サン・スー・チーさん軟禁
1991年 軍事政権が、国名をビルマからミャンマーに変更
1998年 民主化運動の1,000人以上の国民が虐殺される
2006年 ヤンゴンからネピドーへ遷都
2007年 反政府デモ ジャーナリスト長井健司さん射殺される
2016年 ミャンマー国軍によるイスラム教徒の虐殺。民族浄化。軍部によるロヒンギャ虐殺の被害者数が6千人以上の月もあった。
    2017年 反政府武装組織(アラカン・ロヒンギャ救世軍)が治安組織を襲撃。軍の大規模な反撃を契機に、数十万人規模の難民がバングラデシュ側へ流出。アウンサンスーチー国家顧問は、国連総会への出席を取りやめ国内の混乱収拾にあたることとなった。
    2020年11月に総選挙が実施され、スー・チー率いるNLDが396議席を獲得。ミャンマー国軍系の最大野党連邦団結発展党(USDP)は33議席の獲得に留まった。しかし、軍部はこの選挙結果を不服とし、裏付ける証拠はほとんどないにも関わらず「不正選挙が行われた」と主張した。あなたがたは、トランプ元アメリカ大統領かっ!ここ、ふざけるとこじゃないですね。ハイ。
 総選挙後の初の議会が開かれるはずだった2021年2月1日、軍部は軍事クーデターを起こし、ウィンミン大統領やスー・チー国家顧問を拘束。
 軍事政権は力によってクーデターに反対する活動を弾圧しようとしており、治安部隊の発砲によって非武装の民間人に死者が多数出ている。

 タイにおよそ1か月滞在したことは何度か書きました。滞在中、「最も親しい隣国を、『ミヤンマー』と呼ぶタイ人」には出会いませんでした。出会った人々は、皆、「ビルマ」と言っていました。
 私は、「ビルマ」という呼称に変更し直していただきたいと切望しています。タイ人が、「ビルマ」と、呼んでいることが、たいへん嬉しかったですよ。そして今、混迷の度を深めるビルマに、日本人小市民が、してあげられること、いや、させていただけることは、「軍事政権のミヤンマーの呼称をやめて、ビルマと呼ぶこと」。
 なぬ?「そんなことで、ビルマに平和が訪れるわけないべ」って?そう思う人は、いつまでも「ミヤンマー」と呼んでいればいい。「ランボー」さえいてくれたらなあ!(注:ここわかりにくいですね。「ランボー/最後の戦場」という映画がありまして、ランボーがミヤンマー軍を叩きのめすんです)

 ビルマもミャンマーも古くから用いられてきた呼称。ビルマは口語で、ミヤンマーは文語。国名変更は、軍事政権が決めたこと。
 「現地音を尊重するという意味では、ビルマよりミャンマーを用いたほうが良い」という説もあるにはあります。「それは違う」と、司馬遼太郎の母校の「ビルマ語専攻」が主張してくれています。(前身は旧制専門学校の大阪外国語学校。現在は大阪大学外国語学部)学者さんたちが、「ビルマだ!」と、主張してくださっている。心強い限りです。

 では、どうして日本では、ミヤンマーと呼ぶのが主流なのか?
 軍事政権が、対外呼称をMyanmarに変更したら、日本政府がいつにない俊敏さで、「ミャンマー」の呼称を受け入れたのです。日本政府!「ビルマの竪琴」を読めよなあ!日本のメディアも、「ビルマでなくてもいいの?ミヤンマー?それでいいんだぁ?」と半信半疑ながら追随した。つまり、軍事政権を受け入れない多くのビルマ国民の声を排除したということです。日本が!
 それでいて、日本ではアウン・サン・スー・チーさんに同情的な報道…一体どっちの味方なんだ。ミヤンマーと呼ぶのは、スー・チーさんの敵ということですから!軽率すぎましたね日本政府。

 軍事政権を認めない日本国民の皆さん!胸を張って、「ビルマ」と、呼びましょう。「ビルマ」と言えば、「今は、ミヤンマーです」と、訂正する人がおられる。あなた方は、いつから軍事政権の手先に成り下がったんだぁ!
 軍事政権に反対される皆さん、「ミヤンマーと呼べ」という迫害に負けないでください。
 ビルマの英霊と、長井健二さんの御冥福をお祈りいたします。そして一日も早くビルマに平和が訪れますように・・・!