アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

ビルマァ!自国民同士の殺しあいはやめてくれ…

2021年05月03日 | Weblog
 小学生の頃読んだ、「ビルマの竪琴」。
 1945年7月。日本軍は、ビルマで連合軍の攻撃に遭い、戦局は非常に悪くなっていました。
 日本軍の、ある小隊長は自分の小隊に合唱を教えていました。明日死ぬかもしれない状況下で、隊員達は合唱の力で、団結し、規律を守り、癒されていたのでした。
 とりわけ水島上等兵は音楽に熱中し、竪琴の演奏を得意としていました。水島は、ビルマ人の格好で斥候に出て、状況を竪琴で小隊に知らせるなどの活躍をしていました。
 終戦となり小隊は捕虜となり、捕虜収容所に送られました。しかし、終戦を知らない三角山の部隊が戦闘を続けており、放置すれば全滅する状況でした。「終戦を知らせなければ!」イギリス軍と交渉して、水島が、三角山へ行ったのですが、帰ってきませんでした。その後、青いオウムを肩に乗せた、水島によく似た青年僧が捕虜収容所へ現れ、逃げるように立ち去りました。
 小隊長は、青年僧は水島であり、三角山部隊を説得できなかったので戻れないと見抜きました。そこで、親しくなった物売りの老婆からオウムを譲り受け、「オーイ、ミズシマ、イッショニ、ニッポンヘカエロウ」と日本語を覚えこませました。
 数日後、小隊が森の中で合唱していると、どこからともなく水島の竪琴の音が聞こえてきました。
 小隊は、日本へ帰国することが決まりました。隊員達は、水島を連れて帰ろうと毎日合唱しました。隊長は、物売りの老婆に、日本語を覚えこませたオウムを青年僧に渡してくれるよう頼みました。帰国前日、青年僧が姿を現しました。収容所の柵ごしに隊員達は『埴生の宿』を合唱…青年僧は、竪琴を合唱に合わせて弾いた…。隊員達は一緒に日本へ帰ろうと必死に呼びかけた。しかし、彼は黙ってうなだれ、『仰げば尊し』を弾く。祖国のメロディーに心打たれる隊員達を後に、水島は森の中へ去って行った。
 翌日、出発前の小隊のもとに、オウムと封書が届けられた。水島は、三角山に立てこもっていた部隊を必死で説得したが、部隊は自爆の道を選んだ…。
 水島は、自分だけ帰国することはできない、英霊を弔うためこの地に留まろうと決心する。手紙には、日本や懐かしい隊員たちへの惜別の想いと共に、強く静かな決意が綴られていた。 オウムは「アア、ヤッパリジブンハ、カエルワケニハイカナイ」と叫びつづけていた。

 これを読んだ少年(私なんですがね)がどれほどの衝撃と感動を覚えたか!自分が水島一等兵だったらどうしただろうか?隊員と一緒に帰国したら卑怯者になるのだろうか?現地に残って僧になって、家族は喜んでくれるだろうか…考えました…。このときから、「ビルマ」が、脳裏に焼き付きました。1991年に、国名が「ビルマ」から「ミヤンマー」に変わりまして、「なにがミヤンマーだ!ふざけるなよ軍事政権!」と、いまなお腹立たしく思っております。続きは、次回。
 なぬ?「今日は以上で終わりか」って?この先、長くなりすぎますので、まずはここまで。来客の接待もありますもので。