アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

やはり義経はチンギス・ハーンだった ~上~

2008年06月20日 | Weblog
 やはり義経はチンギス・ハーンだった ~上~                

還暦パパが住んでいる田舎は、名物がなぜか「味付けジンギスカン」。タマネギ、リンゴ、酒、醤油そのほかモロモロ(このモロモロが企業秘密)で作ったタレに、ラムやマトンを漬け込む。3社ほどの大手(?)が味でしのぎを削っている。ジンギスカン=チンギス・ハーン。漢字で、「 成吉思汗 」と書く。モンゴルとの関係、チンギス・ハーンとの関係は…ない!

 この味付けジンギスカンを焼く鍋は、「ジンギスカン鍋」…鍋底が盛り上がって…というか、かぶとの形をした鉄鍋。この鍋の形の由来は、チンギス・ハーンが、戦の最中、羊肉を焼いて食べる(いわば烤羊肉:カオヤンロウ)時、戦なので鍋など持ち歩いていないので、鉄かぶとを鍋代わりにした。・・・というもっともらしい話もできている。盛り上がったところで肉を焼き、低い鍋の周囲にタレが溜まるのでそこで野菜を焼く(「煮る」といった方が適当かな)。

 チンギス・ハーンは、実は義経だった。という説がある。真剣に取り合う人はいないかもしれませんが、還暦パパとしては、チンギス・ハーン=義経説を支持したい。心情として・・・。
 なぜか?生涯が悲劇すぎる。せめて、生き延びさせたいという、まあ、還暦的心情なんですけれども。
 大活躍の時期もありましたよね。宇治川、一ノ谷、屋島、壇ノ浦!その後平穏な日々で暮らしたのであれば、めでたしめでたしなのですが、その後が悲運の連続。何とかしてやりたい!昔の人(平家物語を読んだ人)も、そう考えたのでしょう。「義経記」では、自刃したはずの義経が実は生きていた。

「義経記」は、平家物語の後、200年以上も経ってから出されたものですよね。となると、室町時代。「能」が隆盛を極めた時代なわけで・・・。この200年の間に、どぶろくを作るとき発酵して、沸沸とアブクが立つように(何もそんな比喩つかわなくても…)、たくさんの義経に関する伝説・伝承が形成されたのでしょうね。それらをまとめて、「義経記」ができた。民衆の想像から創造されたものと言うことが出来るでしょう。あかでみっくだなあ!ひらがなで書くと、「垢出見苦」って感じになるなあ。

 十字架ではりつけにされたはずのキリストを復活させたように、どこかで稀代の英雄である義経を生かしておきたかった。義経は、死なず、北へ向かった。北という漢字は、2人の人間が背を向けて走ろうとするもの。つまり逃げるということ。人は、逃げるとき北へ行くものなのですねえ。「敗北」という熟語もあります。負けて北へ逃げるから「敗北」。「敗南」とは言いませんね。義経は南へ逃げ、ハワイでカメハメハ大王になったというのもまあおもしろいのですが・・・。
 伝説をつなぎあわせると、東北から北海道へ渡らせてしまった。さらに、モンゴルへ渡らせ、相撲取りにしてしまった。ではなく、チンギス・ハーンにしてしまった。

義経は、1189年(文治5年)4月29日(30日という説もあり)、奥州平泉高館の持仏堂で自刃した。首は塩づけにして、43日後に幕府に差し出され、首実検となったそう…いくら塩づけでも43日後では・・・つまり、はっきり義経だと判定出来る状態ではなかった。どっこい生きていたという話も、そこら辺から急に真実みを帯び始める!飛脚の足で7日間の距離を43日間かけた?ニセの首がばれないようにする画策(腐らせてしまう)ととらずしてどう説明しますか?では、義経は、どういう経路をたどって、モンゴルへ渡ったか?伝説があるところを単につないで、北へ向かうと、次のようになります。

 平泉を脱出・・・東へ向かい、(束稲山、物見山、姥石峠を通り)気仙沼へ・・・ここから北上(赤羽根峠、遠野、笛吹峠を超えて)宮古へ・・・ほぼ海岸伝いに(岩泉、田野畑、普代、久慈と進み)八戸へ・・・八戸から北西に向かった。八甲田山を越えたか迂回したか。義経は、どちらを選択したでしょうか?私は、陸奥湾へ出たと思いますが…そして津軽半島へ出て竜飛へ。平泉を出てから7年かかった。竜飛では、石川さゆりさんが歌ってました。「御覧あれが竜飛岬北のはずれと、見知らぬ人が指をさす・・・」義経もきっと口ずさんだでしょうねえ、「津軽海峡冬景色~~~」バカなこと書いていないで、早く蝦夷に渡らせなければ。う~ん。続きは明日にします。明日は、北海道上陸。そして、なんとしてもモンゴルへ行かせます。(つづく)

明後日(明後日)の次の日は? 還暦のうんちく

2008年06月19日 | Weblog
   還暦パパのうんちく 明後日(あさって)の次の日は?

 明後日の次の日の言い方は・・・「弥の明後日(やのあさって、やなあさって)」「明明後日(しあさって)」
 その次の日の言い方は・・・「弥明後日(やのあさって、やなあさって)」「明明後日(しあさって)」「五明後日or後明後日(ごあさって)」
 おかしいと思うでしょう!しかし、実際、上記のように使われているのです。
 その後の言い方も、明明明後日(ししあさって)、明明明明後日(しししあさって)と、何でもありで出てくる。
 日本全国共通なのは、きょうは、「今日」。今日の次の日は、「明日」。明日の次の日は、「明後日(あさって)」・・・ここまでしかない。それ以降の言い方は、「 地域によって異なる」このようになっております。
 今でこそ知ったかぶっている還暦パパも、「今日→明日→明後日→弥明後日(やなあさって)→明明後日(しあさって)」が正しいと思いこんでいたので、日本国の実態を知ったとき、そんな馬鹿な!と思いましたよ。

 ところで、還暦パパが現役のころ、職場でこのことが問題となりまして・・・。日本各地からの出身者で構成されていた職場だったので、
「弥明後日(やなあさって)だ!」
「違う、やのあさってだ!」
「明明後日(しあさって)だべ!」と喧々囂々!大多数の日本人が、自分の育った地方の言い方が正しいと思いこんでいるということですね。
 そのとき、話の成り行きに困惑の表情を浮かべていたミセスジャンボ(巨大な婦人ということではなく、青森出身の御婦人ということで…バンコクのジャンボ氏とは無関係)が、「うちらの方では、キササッテ・・・」周囲一同声を合わせて、「キササッテェ!!」
 御説によると、「今日→明日→明後日→弥明後日→明明後日→キササッテ」
となるのだという。調査の結果、「キササッテ」は、
① 日本各地で使われている。
② 明後日の次の日がキササッテであったり、その次の日がキササッテであったり・・・・これもまた、地方により違いがある。 
 この度、還暦パパは、「キササッテ」をインターネットで検索してみた。
 なんと、目指すキササッテは、出てこない!出てくるのは、「(文中で)…突きささって…」ばかり・・・。「キササッテ」言葉の響きがいいです。未来への希望があります。漢字表記では、「希明後日(希望+明後日→キササッテ)」が良いんじゃないかなあ!きちんと市民権を与えたいです。
 教訓!明後日以降は、日本の標準というものはないのだということを知っておかないと、約束の日を一日間違えることとなる。

カラスにウイスキーを飲ませた 後編 

2008年06月18日 | Weblog
還暦パパによる鳥類とアルコールに関わる学術研究 

落語に、「酒に漬けておいた米を撒いて、ピーナッツを転がしておく。すずめがその米を食べて酔っぱらい、ピーナッツを枕にして寝る。」と言う話がある。10数年前、小学生だった息子たちと、この落語について実践してみることとした。コッペパンにウイスキーをたっぷりしみ込ませて外に置いた。ピーナッツは撒かなかった。長男がトンボ捕りの網を持って物陰に隠れていた。
 目敏くパンを見つけて舞い降りたのは・・・目的のすずめではなくカラスであった。しかも、ハシブトガラス。巨大なやつで、翼を広げると1メートルはあった。出刃包丁のようなくちばしで簡単にウイスキー入りコッペパンを飲み込んでしまった。息子は、目の前の大きなカラスにびっくりして動けない。カラスは人の気配を感じ飛び去ろうとした。ところが、翼を広げて扇いでも飛び立てない。泥酔状態で、カラスながらも千鳥足なのである。カラスのうろたえようといったらなかった。やがて、二メートルほど上がった。しかし、平衡感覚が失われており、落下。受け身なし。小気味いいほど地面に叩きつけられた。ドスーンと轟音が響いた。人間もそうであるが、カラスも酔っていると高いところから落ちても怪我をしないことが分かった。カラスはもがきにもがき、ようやく三メートルほどのななかまどの木にのっかった。そこで十秒ほど休憩して、多少斜めではあったが飛んで行った。
 貴重な知識を得た。カラスの研究者でも、カラスにウイスキーを飲ませる実験をした人はいないでしょう。
 < カラスとアルコールに関する実験結果>
1 カラスは、アルコールの効きが大変早い。瞬時に酩酊となる。
2 カラスは、アルコールが醒めるのも早い。60秒で飛び立てる。  
 特記すべきは、「ウイスキー飲ませ事件」に係わり、そのカラスからの復讐がなかったことです。きっと酔っぱらって良くおぼえていないのでしょう。

 現在、我が家周辺を縄張りにしているカラスは2羽。まさか、ウィスキーを飲ませる計画が進行しているとは夢にも思っていないでしょう。しかし、奴らが調子に乗りすぎた場合、私は飲ませます。
 唯一気がかりなことは、鳥獣保護法です。日本は、鳥獣の狩猟、捕獲は厳しく規制されています。還暦のオヤジがカラスにウイスキーを飲ませていじめたとなると、禁固刑かも。しかし、よく読むと、「学術研究のため、または農林業など人間生活に被害を与える場合などには、特別に許可を受けて捕獲をすることができる」とい書いてある・・・私の場合、当然学術研究である(どこがって?)。生活に被害を与えられている(コレホント!)。この2点から、情状酌量無罪放免・・・ですね。
 農作業を始めると、「出てきたなあ!働け働け!」と、蚊のように人の周囲を飛び、いたずらのネタ探しをするのです。完璧になめられています。


カラスにウイスキーを飲ませた 前編 カラスは恐ろしい

2008年06月17日 | Weblog
 還暦パパ   カラスにウイスキーを飲ませた 前編 カラスは恐ろしい

 前編では、カラスの恐ろしさを知っていただき、後編では上手なウイスキーの飲ませ方(?!)を御紹介(紹介されてどーするってかぁ?)させていただく。60年生きていると、常人が経験できないことをしたりなどするものです。
 7年ほど前(2001年秋)、東京都庁内にカラス対策プロジェクトチームが発足した。ネーミングがそのまんまで、おもしろいですよね~。歓楽街の裏口で残飯を漁るカラスの駆除対策・・・東京のカラスも大問題ですが、田舎のカラスも問題です。その実態は…
 現在、還暦パパに脅威を与えているカラスは、ハシブトガラス。体長は50~60cmほど。出刃包丁のような、大きく太いくちばし。頭をつつかれたら、頭蓋骨にだって穴があきそう!
 「たかがカラス、怖れるに足らんべ」と思われる方、考えを改めていただきたい。脅威を受ける理由・・・
1 犬以上に知能が高い。(知能検査したのかって?還暦パパではなく、宇都宮大学農学部の杉田教授が調べました)。捕獲用具を簡単に見抜きます。 当然、「かかし」を怖れることもなく、かかしの頭に留まったりする。
2 人に危害を加えられそうになると、その人間を記憶し、復讐することがある(コレがやっかいなのです)。
3 女、子どもを甘く見て、横暴な振る舞いをする。ニューハーフは、女と認識する。この説は、宇大の教授ではなく還暦パパ説。
4 都市部の街路樹や電柱などにも営巣する。よって、巣の近くを人が通るわけだが…繁殖期には巣の近くを歩く人間を襲撃する(こともある)。
5 オウムや九官鳥のように、人間の言葉をまねたり、声色で列車の音を発したりする個体もいる(コレあたりはまあかわいいのですが)。
 今のところ、還暦パパの被害は
被害1 ゴミ袋を破られた(大分県臼杵市や東京都杉並区では、黄色いゴミ袋でカラスを阻止しているようですが)。ゴミ袋にしっかり網をかけているんですよ。網の隙間から、あの嘴で袋をつつくのです。石をぶつけてやろうかとも思いましたが、復讐が怖いので、「こらー!」と怒鳴って終わり。怒鳴るのもビクビクものです(復讐が怖いので)。近づいてもなかなか逃げない。約2mくらいで、仕方なく飛び立つ。
被害2 物干し竿に土足で留まる。竿に泥をつけられることと、トリインフルエンザが怖い。
 現状の被害は上記2点。以前はまだ多様な被害を受けた経験あり。

 目撃し、戦慄をおぼえた事件は・・・親ガラスの監視のもと子ガラスが飛行練習をしていた。子ガラスは飛ぶのが下手で、民家の壁にぶつかり地面に落ちた。その瞬間、野良猫がいつもの緩慢な動作から予想もできない速さで子ガラスを襲った。次の瞬間、親ガラスが急降下し、野良猫へ出刃包丁(のようなくちばし)を突き刺した。
「ギャー」
野良猫の腸が、はみ出していた。それでも野良猫は、這々の体で、駐車してあった車の下へ逃げ込んだ。
それからおよそ4時間後(4分ではないのです。4時間です!)。ころあいよしとみた野良猫が、のこのこと(腹をやられているので、のこのこ)車の下から出てきた。親ガラスは、まだ見張っていたのです。この執念深さ!再度攻撃を受けた野良猫は、えぐり出された腸を引きずり、ようやく立っている状態だった。それでも、カラスは攻撃のくちばしを弛めなかった。
 その事件以来、そのカラス親子は態度がでかく、我が家の物置を物色したり、丹精込めた西瓜に出刃包丁を突き刺したり、出勤時に後方から飛んできて薄くなった頭髪を引き抜こうと(?)したり・・・。近寄っても逃げないので、餌づけして、油断しているところをぶっ潰してしまおうという案を出したが、家族に一蹴されてしまった。(つづく)

子どもがじゃまな母親  高取町さんthanks 還暦の主張 ~下~

2008年06月16日 | Weblog
還暦パパ  還暦の主張「父の日にあたって」下

 父の日1週間前倒しの長男は、「尊敬してるよ、柔道も腕相撲も強いから」と、父親(つまり私、還暦パパ)を評したことがあった。
 腕力が尊敬の理由という・・・。その長男、昨日(本当の父の日)の午前に電話をくれました。「プレゼント届いた?」何か送ってくれたらしい。「楽しみにしててね」「ありがとう。楽しみだなあ」
 さて、2人の息子がいるが、還暦のオヤジに適わないほどひ弱かというとそうではない。長男は、平成15年に、シカゴのキッズクラブでボランティアで柔道を教える傍ら、(米国内の)大会にも出場し数回の優勝を経験している。二男は、身長183センチメートル、体重75kg。堂々たる体躯。バスケットボールをしていたが、柔道経験もある。いつも私から、「乱取りやるか?」と水を向ける。二人とも今度こそ勝てるだろうと応じてくる。しかし、(4年前までは)私に分があった。病人となり還暦を迎えた今は、当然息子達の方が強いでしょう。

 父性の復権とは、子どもと力の勝負をすることと考えます。子どもは、父親に、「強さ」を求めていると思います。もっとも、強さと言っても腕力だけの話ではないので、実際に組み合う必要はありません。心身の強さです。父親が自分より強いと感じたときは、そのまま畏敬になり、父親を越えたと感じたとき、尊敬の念(いつくしみ。おもいやり。なさけ。仁愛の心)を抱くのではないでしょうか。男の子でも女の子でも同じことが言えると思います。
 日本語の、「強さ・強い」は、英語では、strong, powerful,heavy, passionate, living, tough, muscular, tenacious …腕力から精神力まで網羅されている。こういうところが英語の凄いところです。父親に求められる強さは、これら英単語の全てとするのが具体的です。

 伝統的な母性は、脈々と息づいていると思っていたが、日本の母性も風前の灯火となっている。子どもがじゃまな母親、育児が面倒な母親…事件になっているのはほんの一角でしょう。娘を、川へ突き落とした母親の時もショックだったが…子どもを家に閉じこめて餓死させた母親のときは、「人間がそのようなことを出来るのか!」とやりきれなかった。弟(1歳だったか)の死体の傍らで、生ゴミを食べて生き延びていた兄(3歳)が、1か月ぶりに(もう2人とも死んでるだろうと)帰宅してきた鬼母に、「お母さん遅いよ」と力なく言ったという。子どもにとってどんな母でも、絶対的に安心できる存在なのですねえ。
 殺そうとはしないまでも、赤ん坊の離乳期に、食事を一日二回にする若い母親が増えているという。母親自身は、朝食を摂る習慣がなく、朝は寝ていたい。(夫は、自分で勝手に起きて仕事へ行く…若い夫婦では、このような家庭が結構多いのだそう)赤ん坊が起きないように静かにして寝かせておいて、自分も朝寝。昼食時にようやくブレックファストというかランチというか・・・赤ん坊のうちから朝食抜き。この習慣は、小学校へ行っても、中学校へ行っても続くのだろう。数年前から「早寝早起き朝御飯」という運動が展開されている。それって誰の役目!親でしょう!親のツケまで学校へ持ち込まれては、学校もたまらないでしょうよ。
 生後数か月で保育所に預ける(預けなければならない?)。自分の仕事が休みの時は、原則、保育所に預けてはいけないのに、パチンコへ行かなければならないのでウソの理由を付けて保育所へ預ける。共働きで保育料が高いので、少しでも長く預けようと、両親とも休日でも保育所へ預ける。ここで見逃せないは、それらのツケが、何倍にもなって跳ね返ってくるということです。その跳ね返りは、親だけでなく、社会へも大きな影響を及ぼすのです。不登校、引きこもり、非行など問題行動を起こす子供達の背景に、「必ずある」のが、乳幼児期~少年期の親の愛情との相関です。これについて、大衆を納得させる具体的な数値など出しようもありませんが、還暦パパの経験上、「間違いなし」と言い切れます。
 世の中の父親よ!母性が危うくなっている。今までの父親ではダメダ!今こそ、父性を発揮しよう。
 以上で、父の日に当たっての還暦の主張を終わります。
 本稿を書くにあたって、史実と人物の裏付けをしておきたかった。そのため、奈良県高取町役場の地域振興室へ資料をお願いした。対応が親切丁寧で、恐縮至極でした。見ず知らず、無視しても何らの影響もない還暦パパに対して・・・。このような対応に触れると、強さ・無私・仁愛を感じます。

トヨタ創業者との意外な無関係  還暦の主張 ~中~

2008年06月15日 | Weblog
  還暦パパ 還暦の主張「父の日にあたって」~中
                 トヨタ創業者との意外な無関係
 
 1873年(明治6年)草川為之介は、19歳になっていた。1月に徴兵令が公布された。政府は、20歳以上の男子を兵籍に入れ、3年間兵役に就かせることにした。草川家に代人料270円(現在の相場に換算して約200万円)を支払うことができれば兵役は免除されるのだが、残念ながら草川家にそのようなお金は無かった。
 為之介は、徴兵を忌避し、新天地を求め北海道へ渡った。「一番景気のいいところへ行こう」たどり着いたのは、小樽だった。そこで、とりあえず必要なのが、戸籍であった。役所へ行き、戸籍を求める列に並んだ。順番を待つ間に、首尾良く戸籍を得る者と、追い返される者がいることに気づいた。その差は、袖の下であった。
 「戸籍がほしいのですが・・・」
 為之介は、大奮発してなけなしの銭を握らせた。
 「豊田金六という、遠江の国(とおとうみのくに)山口村から来た人の戸籍が空いておるが、ここに入るか?」
 「はい、お願いします。」
 これまた何とも簡単なものである。戸籍が空いているということは?そんなことが出来たんだ?!当時の様子がうかがえる。かくして、草川為之介は、豊田金六の戸籍に勝手に養子に入り、「豊田為之介」となった。遠江の国山口村は、現在の静岡県湖西市。豊田佐吉の出身地で佐吉の銅像もある。金六さんと佐吉さん、同じ村なので遊んだことがあったかも。父の日を1週間前倒しした私の長男は、なんと今、湖西市のYコーポレーション(仮名)で自動車部品の開発に携わっている。コレは?単なる偶然ですが、おもしろい話です。なお、長男がYコーポレーションの入社試験に合格したとき、「(Yコーポレーションの親分筋が世界のトヨタ自動車なので)トヨタの創業者と同じ姓が幸いしたのでは」との説がでた・・・というかぁ親が勝手に出した。
 話を戻そう。為之介は、羅卒(現在の警察官)となった。佐渡出身の、「ハツ」と結婚し、四男一女をもうけた。四男は、父「太忠」から、一字をいただき、「忠(ただし)」と名付けた。
 為之介は、12歳まで帯刀していたサムライで、郡随一の遣い手であったため、警察官の剣道指南役も務めた。
 大正から昭和へ変わろうとしていた北海道で、男子の手習いは剣道であった。四男の忠も道場へ通いめきめき腕を上げた。時折、為之介が警察道場で稽古をつけた。凄い父親!
 忠にとって、父為之介は、絶対の父権を持った父親であった。酒を飲むと為之介は、「草川太忠」の天誅組の変での活躍の話をするのが常であった。もっとも活躍といっても、早籠に乗って、江戸から高取まで行き、帰りに柿をもらって帰ってきただけなのであるが…子ども達は皆その話を聞くのが楽しみであった。
 忠は、一男二女をもうけた。忠は、剣道が教士七段、居合道は五段、刀剣鑑定は中傳位というサムライであった。
 忠は、刀剣愛好グループに参加し、自身も数振りの日本刀を所有していた。その筋の方が、一振り譲れと言ってきた。忠は、当然ながら拒否した。組員達がやってきて、忠を組事務所へ連れて行った。「すわ一大事」と、剣道仲間、居合仲間、刀剣仲間が忠を救出すべく組事務所前に集結した。仲間には、数人の警察官も含まれていた。これには組の皆さんも驚いて、忠を解放した。この時の忠の態度が、「マル暴を恐れぬ肝っ玉」と評判になった。
 忠は、酒もタバコも賭け事も一切やらなかった。町内会の冠婚葬祭に奔走し、剣道、居合道の連盟、刀剣愛好会で世話人を引き受け、鍛錬も休むことがなかった。とにかく「私心」というものがない。自ら語ることは勿論無かったが、「仁愛」を感じさせられた。これはサムライ魂だなあと私は思った。
(還暦の主張はさらに続きます)


天誅組の変 祖先が関与 還暦の主張「父の日にあたって」 上

2008年06月14日 | Weblog
還暦パパ 還暦の主張「父の日にあたって」上 天誅組の変 台湾の父の日

 6月8日(日)夕刻、ベトナムから帰ってきたばかりで、腹具合を悪くして伏していた長男から電話が来た。「父の日だから、電話したよ・・・」律儀な息子だ。ところで父の日って6月8日(第2日曜日)だったけ?日本の父の日の定義(?)は、『6月の15日~21日のうち日曜日に該当する日』となっている。難しい言い回しだよね。「日曜日に該当する日」って何?「日曜日そのものでしょ!」簡単に表現すればいいのに。それはともかく、どう頑張っても父の日は、第3日曜日(今年の場合6月15日)になるはずだ。良く言うと、1週間前倒ししてお祝いの電話をくれた。悪く言うと、1週間間違った。と、いうわけ。
 長男から、父の日おめでとう(?)の電話が来たので、家内は8日を父の日と思いこみ長女と二男へ、「父の日につき、お父さんに電話か、メールを忘れずに・・・」というメールを(父親には内緒で)送っていた。父の日を1週間早める!長男も長男なら母親も母親。血は争えない?!
 台湾の父の日(父親節)は、わかりやすい。8月8日。なぜ8月8日か?それは、台湾でも「父=パパ(漢字は父の下に巴と書く。~このサイトで、手書き文字入力が反応してくれませんでした~その漢字を2つ続けて、パパ)」。数字の88の発音も「パパ」。発音が、「父の下に巴×2=88」というわけで、父の日を8月8日に決定!父の日の起源といわれている、アメリカ合衆国の逸話など無視した決め方がおもしろい。ウソだろうって?還暦パパはウソはつきません。法螺は大好きですけど(ウソと法螺は、正反対のものです。ウソは人を悲しくさせる。しかしbut! 法螺は、人を愉快にさせる。)還暦パパ的には、父の日8月8日のほうが好きかな。「6月4日、虫歯予防ディー」みたいで、こじつけが笑えるから。
 父の日にあたり、還暦パパが、「父性の復活」について主張を述べます。
 なぜって?今、父親の存在が薄い。父が薄くても母が濃い時代はそれで良かった。今、母親が薄くなってきている。父親!出てこいよ。父性の復権だ!というわけです。
 まず、父性の典型、私の曾祖父に御登場願いました。歴史小説仕立てです。間違えました、歴史小説風仕立てです。

 天誅組の変

 高取藩(今の奈良県)江戸留守居役家老「草川太忠(くさがわたちゅう)」は、天誅組が高取城を攻めると知って、早籠で江戸から駆けつけたぁ。この草川太忠が私の曾祖父。高取に着いた時には、天誅組は退散しており乱は治まっていた。  
高取城は日本の三大山城(美濃岩村城、備中松山城、大和高取城)の一つで、標高584メートルの高取山の頂にある。1863年8月26日に天誅組が高取城を攻めたわけですが、太平の世に浸かりきった連中に、山城を攻める技術などあるはずがなかった。なにしろ、田んぼの畦道を一列に並んで攻めて来たそうです。また、山頂までの道も細く長く斜度がきつい。大砲を撃たれ、びっくりして逃げ出したそう。この天誅組の変、犠牲者は天誅組の2名のみ。この2名は、逃げる際に転んで、逃げ惑う味方に踏まれて亡くなった。轢死と言うべきか圧死というべきか…そりゃないだろうというべき戦死の仕方(?)です…。
 大砲の直撃をくらった天誅組の兵士は、鉄鍋をかぶっていたのが幸いし、2日間の耳鳴りで済んだという。直撃で耳鳴りだけ…これは凄い!なんとものどかな戦です。『御家の一大事に早籠で江戸から、高取まで駆けつける』3~4日はかかったでしょう。これまたのどかなものです。乱は治まったが、残党が不穏な動きをしていたので、太忠はしばらく高取に滞在した。天誅組が完全に壊滅したのは9月24日の鷲家口村の戦闘でした。
 太忠が江戸へ戻るにあたり、城主(植村家保:いえもり)は、遠路駆けつけた褒美として、柿をたくさんもたせてくれた。息子の為之介(ためのすけ、私の祖父)は、柿をたらふく食った記憶がある。量が多かったので、干し柿にもした。為之介にとって父親、「太忠」は、天誅組に早籠で立ち向かおうとした英雄であり、尊敬できる人物であり、甘い甘い柿と、さらには干し柿さえもたらした、絶対の存在であったことは間違いない。この時代父性は、厳然として存在した。
1868年(慶応4年、明治元年)草川太忠は、高取藩の「参政」に任ぜられ、さらに「東京公用人」を兼務した。江戸は東京と、名称変更された。
 その後の藩政の改革で、家禄は9割減となった。廃藩置県で、高取藩は高取県となり、さらに奈良県となった。
 1871年(明治4年)末。太忠の勤務する東京出張所は閉鎖された。追い打ちをかけるように、武士階級の特権を剥奪する諸制度の改革が相次いだ。草川家は凋落の一途をたどることになる。
 司馬遼太郎ファンの方、遼太郎の短編に、「おお、大砲」というのがあります。天誅組の変のことが書かれています。太忠さんは、登場しませんが、影を感じます・・・。 (つづく)

アンコールワットへは飛行機で  タイ紀行最終回

2008年06月13日 | Weblog

 還暦パパ、タイへ行く⑲ アンコールワットへは飛行機で 

 臨機応変、詐欺師へ変身?

 詐欺師アーティ・ラタナシ(Artit Ratanasit)については、第7話で書きましたが、その後にも次のようなことがありました。街中に公園があり、「池で釣りをしてはダメ」の看板などが楽しく、写真を撮ったりなどして気分良く歩いていた。前方から若い男女が・・・。
「(男)いい靴履いてるねえ。何処で買ったの?」
「(不意を突かれてしまった)に、に、日本で…デパートだったか?ゼビオスポーツだったか?」
「(女)私たちは、いとこです」(そんなこと聞いていないのに…。)
「(男)妹が今度日本の大学に留学するんだ。コレが妹の写真だよ」
 アーティもそうだったが、「写真を見せる」というのが、詐欺師の皆さんの「カモ懐柔作戦」の一つらしい。
「(適当なこと言いやがって!)日本の、何処の大学に留学するんだこら!」(最後の「こら」は、言わなかった。強がって付加しました)
「(男)早稲田大学です」
「(女)学費が高くてさあ」
 ん?詐欺師じゃないかも?早稲田なんて詐欺師が知ってる名前じゃない。誠実そうだし…。
「(女)時間があるなら、バンコクを御案内しますよ」
 来た、来た、来た!やっぱり詐欺師だ!
「いえ結構です、今、行かなければならない所があるので」
「(男女)それは残念。では、サヨナラ」
 アーティの時に、「話しかけてくる人は皆詐欺師」と肝に銘じたのに、危なかった。アーティの経験がなかったら、「(良さそうな人たちだ)それじゃあ、バンコクを案内してもらおうかなあ!」となったと思う。
 それにしても、街の中の公園。人通りなどほぼ無いに等しい。男女が私を待ち伏せしていたとはとうてい考えずらい。つまり、状況に応じていつでも詐欺師モードに入ることが出来る人たちがいるということか?車に乗ってしまったら、どこかへ連れて行かれて・・・ということになっただろうなあ。よーく考えると、見知らぬ人に、「いい靴だ。何処で買った」と話しかけること自体がそもそもおかしかったんだもなあー!ちなみに私が履いていた靴は、アデランスのバスケットシューズでした。ツッコミ入れてください!入れ方が分からない?「アディダスでしょ!」って…。あと、妹の写真を持ち歩いて、外国人に見せる兄っているか?その場では気づかなかった。還暦もまだまだ甘いな。
 教訓の確認→タイでは、『話しかけてくる人は皆詐欺師』『家族の写真を見せるという行為は、完璧に詐欺師の証拠』『(詐欺は)複数人で行動するパターンもある』

BTS(モノレール)、MTR(地下鉄)

 BTS、MTRは、冷房効き過ぎ!36℃の街を歩いて汗だくの後、急速冷凍されるので、還暦パパにはきつかった。若者でも、寒がっている人がおりましたが…長袖なり、(女性は)ショールのようなものが必要です。
 BTSは、切符売り場の横にある窓口で、(プリペイド)カードを買うと便利。還暦パパは、カードに300バーツ(900円)チャージして、毎日使っていましたが、使い切ることは出来ませんでした。カードを改札の器械にかざすと、残り何バーツかが表示されます。
 MTRはトークンを買います。楽しいです。面倒はありません。
 BTSは車内TV放送あり。「次は○○」のアナウンスもあり。MTRにはテレビはありませんが、車内アナウンスはあります。

 水上マーケット 

 一度は行ってみても良いでしょうが、何度も行くところではありません。完全に観光客目当ての、マーケットになっている。よって、価格設定も地元の人には手が出ないようになっている。バンコクのデパート並です。陸上で買えるものを、わざわざボートに乗って高いお金を出して買う?ボートのおばさん結構しつこい。

◎ フードコートは、食券を買って、お好みの店の食べ物と交換。屋台に挑戦するのも良いが、衛生面が気になる人は無理する必要は全くなし。
◎ 「赤バス」と呼ばれているかどうか?「バス停なし、乗り降り自由」の赤いバスが、大きな通りを結んでいる。距離は5kmぐらい。料金は6バーツ(18円)。
◎ タイには、グリーンカレーなる食べ物があり、豆のような、芽キャベツの小さいもののような野菜が入っていた。当然気になる。「スズメなすび(タイ語でアクアプン)」だという。そんななすびがあったのか!還暦になるまで知らなかった。勉強になりました。アクアポッというと、「白茄子」だそう。つまり、アクアは、茄子。サンスクリットでは、アクアは、水の意味。アクア→アクア→アカで、漢字表記は、「淦(アカ)」コレは何かあるぞ!水と茄子の関係は?…珍説をでっち上げることは出来なかった。
◎ 生鮮食品市場の魚屋さんの店頭。3人の婆ちゃんやら姉ちゃんやらが、ワイワイ言いながら、タライで赤ちゃんを洗っていた。写真を撮れというので、撮った。なんと、赤ちゃんが笑った!この赤ちゃんプロ!赤ちゃんに値札は付いていなかった。

 飛行機が便利
 
 スワンナプーム国際空港(バンコク)から、国内主要都市へ毎日20便前後出ている。国土の広いタイ(日本の1.4倍)の移動には、バス感覚で乗ることが出来る飛行機が一番。運賃もリーズナブル。アジアのハブ空港(空港に毒蛇が住んでいるわけではない)となっており、アジア諸国へ行くのにも便利。ブータン行きの便もあります(日本からは、ブータン行きの直行便がないため、スワンナプームで乗り換えです)。
 バンコクからカンボジアのアンコールワットへ行く場合、陸路という選択肢もあります。しかし、悪いことは言いません。飛行機を使うべきです。還暦パパがその卓越した情報収集力から出した結論ですから。それが怪しいってか!理由は・・・12時間以上もかけて(時には、15時間)、悪路をバスで行き、ビザ代を二重取りされ、ホテルのベッドに住んでいる虫に体中を刺され、半分しか開かない目でアンコールワットを見学するのがいいか、1時間でサッと行くのがいいかという問題デス。

 10泊11日のタイ旅行から帰国した。この11日間の成果…
 体重、67kg→65kg(-2kg) cf.身長は、168cm
 体脂肪、18%→15%(-3%)
 体調がすこぶる良くなった。医大付属病院の検査結果も、過去3年間で最も良かった。これまで10mg服用だった副腎皮質ステロイド剤が、9mgに減った。あと9回タイへ行くと、病気が完治するかも。
( 還暦パパ、タイへ行くシリーズ 完 )

ワイ、メーチーand10戒 ~還暦パパのタイ~⑱

2008年06月12日 | Weblog

 還暦パパ、タイへ行く⑱ タイのワイ、メーチーand10戒

 ワイ
 
 タイでは、街のあちこちに小さな寺院のミニチュアのような建物(ほぼ1立方メートルほどの大きさ。日本で言うところの祠。もっとも、タイは仏教国なので…)がある。極彩色で、お供え物も常にある。通りすがりの人が、立ち止まって合掌する。合掌の姿を見るのは、心穏やかになり、良いものです。挨拶でも合掌しているし、レストランを出るときも「ありがとう」の意味で、合掌してくれる。
 合掌のことを、「ワイ」と言う。この「ワイ」単に、胸の前で両手を合わせる行為と思いきや、なかなか面倒な決まりがあるらしい。ワイが原因で殺人事件が起きたこともあるのだという。ワイの掟(?)は、学校で教える最初のことだという(家庭では教えないのか?)。
 旅行者が注意すべき点は、「明らかに年下の人や、サービス業の従業員にワイをしてはならない」ということ。ワイをされてもワイを返すのではなく、笑顔とせいぜい軽い会釈で済ますのが良いみたい。
 ワイは、合わせた手の位置が胸の前から上方に上がるにつれ相手に対する敬意の高さを表すのだそう。臍のあたりでワイをしている人には、「コラ!」と注意した方がいいなこりゃ。
 また、ただ合掌の位置が高ければ良いというものでもないそう。最も丁寧なのは手を合わせた時に親指の先が鼻の穴に限りなく近づく姿勢だという。と、いうことは親指を鼻の穴へ突っ込むのがさらに丁寧!?
 若い女性がワイをする場合、「左足をほんの少し後ろに引いて右膝を軽く折るのがコツ」とか。男がコレをやると、ニューハーフと見られるね。

 メーチーを目撃

 BTSの駅で、どーも妙な3人を見た。剃髪で、華奢で、タイ人としては色白で・・・・・あっ坊さんだ!と思ったが、衣が黄色ではない。衣は白だ。よーく見ると、瀬戸内晴美(寂聴)さん風、女であることが分かった。「へー!尼さんがいるんだぁ」と、新たな発見に少々感動。後に得た情報ですが、タイ仏教では、尼さんは認められていない。しかし、自主的(?)に、頭髪を剃り、白い衣を着用して修行生活を送る女性達がいるという。還暦パパが見たんだから、間違いなくいる。彼女らは、「メーチー」と呼ばれている。「在家戒」を守って修行生活をしているという。
 この「戒」だけど、20歳未満の出家僧は、10戒を守って生活。20歳以上の出家僧は227戒すべてを守らなくてはならないという。その内容が気になる。そこでまた固執居士特有の情報収集。次のようなものでした。
① 生き物を殺さない
② 盗まない
③ (間違った)性行為を行わない
④ 嘘をつかない
⑤ 酒を飲まない(「5戒」は、ここまで)
⑥ 装身具や香水で身を飾らない
⑦ 音楽や芸能を観たり聴いたりしない
⑧ 快適なベッドで寝ない(「8戒」といった場合は、ここまで)
⑨ 午後は食事をしない
⑩ お金に触れない(以上までが10戒)
 こうして延々227戒まで続く。書いていて還暦パパは、「會津藩校日新館什の掟」を思い出しました。

  <什の掟>
一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
三、虚言をいふ事はなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
 ならぬことはならぬものです
 最後の一節「ならぬことはならぬものです」から、「NN運動」が福島県を中心に展開されています。

 よく似たものに、薩摩藩の「郷中(ごじゅう)」があります。
一、武士道の義を実践せよ
二、心身を鍛錬せよ
三、嘘を言うな
四、負けるな
五、弱いものいじめをするな
六、質実剛健たれ
七、たとえ僅かでも女に接することも、これを口上にのぼらせることも一切 許さない (これでいくと、NHKの大河ドラマの篤姫は、時代考証に問 題ありか?肝付さんと篤姫、囲碁をしたりなど・・・)
八、金銭利欲にかんする観念をもっとも卑しむこと (MファンドのM氏が、 「金儲けは悪いことですか!」と、のたまった時、記者団の中に、「金儲 けは悪い」と、キッパリ言い返した人がいなかった。次回このようなケー スがあった場合、「悪いことだべ!郷中の八にあるぞ!」と言ってやっつ けてほしい。)
 通り魔事件は大きな衝撃でしたが、そのほかにも殺人事件が毎日。強盗だ、収賄だ、振り込め詐欺だ・・・日本がすっかり悪くなってしまった。還暦パパは、「什の掟」や「郷中」の教えを日本国民(大人も子どもも)に徹底的に教え込まなければならないと思っています。「七」については、守れない国民がいてもしょうがないですが。
 タイ僧侶の戒律、今の日本人の戒律にしたいです。



タイのトイレ・・・還暦還暦パパ、タイへ行く⑰ 

2008年06月11日 | Weblog
       タイのトイレ・・・還暦還暦パパ、タイへ行く⑰  
  下半身用個室?

 トイレの話が続いて申し訳ないが、知っておかないとね。
 還暦パパは、戦後の、「不平不満を言ってもしょうがない時代」から生きている。トイレが、臭いとか、汚いとか、お釣りが来るとか、隙間から下を見たら、(便槽が小屋になっていて)豚がいたとか、糞縄とか・・・文句など一切ない!全て受容します。ただ…糞縄を試した経験はないが、痛いと思う・・・。
海外へ行く場合、「トイレがどのようになっているか?」は、重要な関心事です。
 過去に驚いたケースは、フランスでしゃがみ込む形式のトイレがあり…「フランスでも和式かい?」と、それだけでも戸惑ったが…使用後水を流したら、両足の部分を除いて、便槽だけではなく床全体を洗う方式だった。一時、水上に孤立する状態。洪水に見舞われ、屋根の上で救助を待っている心境でした。水かさが増したら、靴も尻も洗われてしまったかも。コレって、便器周辺を汚す人がいるってこと?
 中国の場合は、行く先々のトイレで新鮮な感動をいただきました。「見られる」とか「恥ずかしい」とかは…特に気にしないのでしょう。強烈だったのは、看板は立派に「トイレ」と掲げられているが、「・・・あれぇ?何もない?」仕切りも便器も何もない、ただの原っぱ!・・・その辺で好きなようにやってくれ!というトイレ・・・。原点を見せていただきました。
 タイは、ホテルや都市部のレストランでは、ほぼ洋式トイレが普及していました。郊外へ出ると、自然に対して、栄養を与える形式・・・早い話が、「(前述の中国のように)どこでも好きなところでやっとくれ」という方式。コレって男子は良いけど女子はど~する?そういうところが気になるのが還暦パパ。総理の問責より遙かに重要な案件です!「トゥーサン(「父さん」ではありません)」という女性から回答をいただきました。
 「パートゥンで、用を足します。」
 パートゥンとは、人間が2人も入るほどたっぷり生地を使って、筒状に縫い合わせた・・・スカートというか、腰巻きというべきか…。要するに、パートゥン自体が簡易トイレみたいな…下半身用の個室で、その中で、用を足す。人に見られずに済むということ。慣れると、しぶきをかけることなくできる…しぶきについては、トゥーサンは何も言わなかったです。還暦パパの勝手な解釈です。パートゥン・・・。「都市部では、全く使われないので忘れていました。あなた問われて思い出しましたよ」だって。その程度の存在になっているようです。やがて消えてしまうのでしょうねえ。
 注意点として、女子がパートゥンを借りて茂みへ入る場合、コブラには十分注意した方がいいです。男子も同じか。

 水槽付が主流

 一般的なタイ式のトイレは、和式トイレと同じようにしゃがんで使います。日本では便器の穴の開いている方を前として使うが、タイ式は便器の穴の開いている方を後ろにしてしゃがみ用を足す。まあ大同小異。
 大きな違いは、便器の横に大きな水槽があるので、手桶で水をすくって・・・ブツを流したり、おしりを洗ったりする。タイでは、トイレットペーパーを流す習慣がない。その理由は、流してしまうとパイプが詰まってしまうから(レストランや中級以上のホテルなら流しても問題ない)。トイレットペーパーは備え付けのゴミ箱に捨てる。タイ以外にもこのような習慣の国があるが、日本人の感覚としては少々抵抗があるところ。還暦パパでさえ。
 なぜか、しゃがみ込むべき便器が床から30cm前後も高くなっているトイレがある。洋式便座のように、そこへ座るべきなのか、どっこいしょと登ってしゃがむのか、本当に迷ってしまう(もちろん登るのが正しいんだけど)。うっかり足を踏み外すと怪我するね。
 高いといえば、小便器でもやたら高い位置に設置されているものがあった。タイの成人男性の体格は還暦パパ並(身長168cm)なのに?足の長さが1m以上ないと、使用できない小便器?見回したが、踏み台はなかった。私は届かないので、やむなく大便器で小用を足した。
 洋式トイレで、便座が濡れている場合がある。そういう場合、その濡れがの正体が大いに気になる。理由は、日本のようなウオッシュレットがなく、備え付けの「ミニシャワーでお尻を洗うため」便座が濡れるんです・・・。

 還暦パパ…あちこちで、トイレの写真を撮って来ました。「めざせ!トイレット博士」ではなく、近い将来姿を消しそうで不憫なので…実際は単なるおもしろがり屋の野次馬。