徒然雑感 by おとぼけの父上

R中学のソフトテニスコーチ、エスパルスの応援、その他何でも、日々の雑感を記録していきます。

残念です!松田選手

2011-08-05 06:48:42 | お見舞い・お悔やみ
昨日のニュースも今日の朝のニュースも、
そして、いろいろな方々のブログも、松田選手のニュースばかり。
衝撃度は計り知れない。
34才かぁ。
やっぱり若すぎるよなぁ。
前に書いたブログのように、職人と言う言葉が似合う選手だった。
トルシエ監督と衝突し、合宿から帰ってしまったというエピソードは、
まさに松田選手らしいもので、
今でもドイツワールドカップは、松田選手を呼ぶべきだったと思っている。
そんな松田選手が亡くなった。
マリノスを退団後、JFLの松本山雅FCを選んだところも、
職人松田選手の面目躍如だった。
命の尊さは同じだから、有名人が亡くなった時だけ悲しむのもどうかとは思うが、
でも、やっぱり悲しいものは悲しい。
ご冥福をお祈り致します。
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上原美優さんのご冥福をお祈りいたします

2011-05-13 05:26:15 | お見舞い・お悔やみ
今日初めて知ったニュース。

上原さんは別にファンでもなんでもないが、
24歳という若すぎる死。
自殺という響きが本当に悲しい。
苦しみは本人しかわからないが、
生きたくてもかなわない病死の方がいる中で、
何故死に急ぐのか?
という感想は全て生者の理論。
ただただなんとかならなかったのか?
そういう思いだけがつのる。



上原美優さん、交際中の男性が首つりの第一発見者 遺書はなく解読不明のなぐり書きのようなメモ残す
シネマトゥデイ 5月12日(木)17時28分配信


あの明るい笑顔はもう見られない……上原美優さんのご冥福をお祈りいたします

 5月12日未明、自宅で首をつった状態で見つかったタレントの上原美優さんの所属事務所プラチナムプロダクションへの取材により、第一発見者である知人男性が、かねてより交際中の男性だったことが明らかになった。
 
 「普段からお付き合いしていた男性が発見したと、目黒警察より報告を受けました」という事務所の言葉どおり、第一発見者となった男性は上原さんが交際中の恋人だった。上原さんの部屋から、遺書のようなものは見つからなかったが、解読不明のなぐり書きのようなメモが残されていたという。

 「家が大家族で貧乏だったんです!」と悲しい過去を笑いのネタにして、笑顔を絶やさなかった上原さん。所属事務所も、「今回の件に関しまして、本人がこのような状況に至ってしまった理由が見当たらず、訃報には驚いている」と衝撃を隠せない様子。死の前日までつづっていたブログも、5月9日には、ファンからの「得意料理はなんですか?」という質問に、「緑茶割り」と答えるなど、上原さんらしい明るい答えでファンとのコミュニケーションを楽しんでいる様子だった。そのときに、答えたお気に入りの曲は、「ji ma maさんの『大丈夫』」。大切な人への感謝の気持ちを、優しくつづった前向きな曲だった。

 家族、友人、ファン、多くの人が、上原さんの選んでしまったあまりに早すぎる死に、どうにもならない悔しさと、悲しみを感じていることだろう。パワフルに炸裂した頭突きや、一生懸命に節約料理を作り一喜一憂する姿、あの元気な上原さんの姿はもう見ることができない。まだ24歳、その若過ぎる死はあまりにも悲しい。(編集部:森田真帆)

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お見舞いで病院へ

2011-02-24 05:52:31 | お見舞い・お悔やみ
昨日は先輩のお見舞いで静岡厚生病院へ行ってきた。
私よりいくつ上か?
5歳くらい?上の方。
私が新入社員として東京に配属なった時に、そのお隣の営業所にいらっしゃった方。
同じ外国語学校に通うこととなって、授業が終わると、
いつも有楽町のガード下の焼鳥屋で、御馳走してくれた優しい先輩。
その後、あちこちで近隣の営業所に勤務となり、
それなりの親交を重ねてきていた。
そして、私が奥様と結婚。
奥様の叔父様の家に遊びに行くと、向かいの家がこの先輩の家であったことが判明。
そんなつながりもあるんだと思ったことが思い出される。
先輩はすでにわが社を退社。
再就職で違う会社に就職。
その会社のお客様とのゴルフコンペで、
3ホール目で脳内出血で左半身不随。
比較的軽く、言葉も意識もはっきりしていて手術の必要もないとのこと。
すでにリハビリを始めており、
だいぶ歩けるようになったとのこと。
まだ手が思うように動かないとおっしゃっていた。
でも、思ったより元気そうで一安心。
3月下旬には会社にも復帰できそうとのこと。
早く元気になってほしいと願っております。



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意外な事実と接点

2011-01-28 05:59:54 | お見舞い・お悔やみ

昨日は伯母の葬儀に参列してきた。

葬送式と言うらしいが。

親戚でも、こういう時しか会えなかったり、

じっくり昔の事をお聞きしたりする機会はなかなかなかったりする。

そこで聴いたあれこれの中で。

ちょっとびっくりの話があった。

私の父の妹の夫。

私の叔父様(すでに10年以上前に亡くなっている)が、

戦争に招集された際、

非常に仲良くなった戦友に中井さんと言う方がいらっしゃったそうだ。

戦争が終了し、日本に帰ってきてからも、

中井さんの実家?へ泊まりに行ったりして

一つの布団で一緒に寝たり、

かなり親しいお付き合いをしていたらしい。

叔父は、その方の本名しか知らず、

有名な俳優だということを知らなかったらしい。

周りの人が先に気がつき、

以後、身内の中のプチ伝説となっていたとのこと。

芸名は佐田啓二さん。

ウィキペディアによれば。

佐田 啓二(さだ けいじ、本名・中井寛一1926年12月9日 - 1964年8月17日)は、1940年代後半から1960年代にかけて活躍した日本俳優。身長 175cm 俳優の中井貴一、女優・エッセイストの中井貴惠は実子。

 

ところで、中井さんはもうお亡くなりになっているが、

子供さんたちは今、東京に住んでいて、

私の大学の同級生の実家のお隣に住んでいる。

同級生と私は同じテニスクラブの仲間。

同級生と中井家は仲がよく、

よく一緒にテニスをしていたとのこと。

私は同席したことはないが、

テニスクラブの仲間は一緒にテニスをしたことがあると聞いている。

まさか、私の親戚とつながりがあるとは思いもよらなかったが。

 

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伯母のお通夜?前夜の祈り

2011-01-27 09:15:45 | お見舞い・お悔やみ

昨日は伯母が無くなったことにより、前夜の祈りに参列した。

日本キリスト教団の教会礼拝堂で執り行われた。

初めてのキリスト教のお通夜。

讃美歌を歌ったり、仏教徒はかなり違う趣。

どちらがいいとか悪いとか、そういう問題ではないが、

私には違和感があった。

もし、私の子供がクリスチャンになって、

私にも洗礼を受けてくれと言われたら、

多分断るだろう。

 

しかし、

 

子供が私が死んでも、

キリスト教の葬式しかしないと言われたら、

私もキリスト教式の葬式をやるしかないのだろうか?

牧師や伝道師(どう違うかも知らないが)の話を聞きながら、

ほんの少しそんなことを考えてしまった。

基本的に私は無宗教に近い。

我が家は臨済宗ではあるが、

死んで葬式をしてくれなくても、

私自身は全然構わない。

しかし、実際葬式の大部分の役割は、

死んだ人間のためと言うよりは、

残された家族のために行うと言っていいのかもしれない。

だから、やらないでくれという強い意志をもっているわけでもない。

適当にやってくれと言うのが本音のところか。

 

あとひとつ、讃美歌もそれほど好きにはなれないが、

讃美歌312番はポピュラーであり、

歌っていていいなあと思った。


 

 

 

 

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今日もお通夜

2010-11-04 22:52:23 | お見舞い・お悔やみ
予告通り、
と言ってもだれも覚えていないだろうが、
二日連続のお通夜に行ってきた。
仕事が終わらなかったので、会社を抜け出し、
焼香を済ませてまた会社にとんぼ帰り。
先ほど帰宅した。

ところで今日亡くなったマイクのお父様。
まだ42歳?
本当に自分より若い人が亡くなることはつらい。
食道がんと言う話で、
きっと最後は私の兄貴と同じように転移したりして力尽きたんだろう。
かなり苦しかったようだし、それを聞けばさらに悲しみはつのる。

昔、親父が死んだ頃は私が25前後。
親父の死と言う物は当然理解はしているけれど、
死という概念自体は、自分とはかけ離れたものだった。

要するになんとなく他人事。
自分が死ぬのはまだまだ先。
決まっているわけではないし、
突然訪れる可能性は誰にでもあること。
結果的に50を過ぎてもまだ生きている私ではあるが、
いつ死んでもおかしくないのが人生ともいえる。

そんな私だったが、徐々に歳を重ねると、
なんとなく自分の死と言う物が現実味を帯びてくる。
さらに、

誰かが亡くなったりすると、
葬式に出たりすると、
必ず思ってしまうことが3つある。
「自分が死んだ時、悲しんでくれる人が何人いるのだろう?」
「自分の葬式に何人の人が来てくれるのだろう?」
そして、「自分が死んで、何年か過ぎた後でも、私の事を思い出してくれる人が何人いるのだろうか?」
と。

昔、というか、若い頃は、
自分のことを判ってくれる人数人。
いや、たった一人でもいればいいや。
そう思っていた。
しかし、歳をとるとやはりさびしくもなってくる。

別に大会社の社長が亡くなった時のように、
何百人何千人の人が葬式に来てくれなくても、これはいい。
どうせそういう人は、半分以上が肩書きに集まっているから。
そうではない、心のこもった仲間が何人いるのだろうか?
自信もないし、実際にもいない。
こういうことを考えるということが、歳をとった証拠なのだろう。

当たり前だが、自分の行いがこういうことに反映するのだから、
今更後悔しても始まらない。

見栄を張ってもしょうがない。
偏屈な老人のたわごとと読み流してもらおう。
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お通夜はいつも悲しい

2010-11-04 05:46:06 | お見舞い・お悔やみ
昨日はユウヤのお母様のお通夜だった。
場所はアイネット千代田。
私のお袋と同じ場所、同じ部屋。
それだけで、やや感傷的になるのだが。

前日まで元気だったのに、
朝起きてこないと、お嬢様、
ユウヤのお姉さまが起こしに行ったら亡くなっていたらしい。
その時のショックはいかばかりか?

でも、お通夜の席で気丈にふるまうユウヤ、そしてお姉様とお兄様。
立派な姿だった。

タツタのサッカー仲間。
小学生の時から子ども達の送り迎え、そして応援。
子どもたちは当たり前。
父兄も連帯感ばっちり。
いつまでも仲良く、そう思っていたのに、
早くも欠員が出来てしまった。
悲しいし淋しい。

安らかにお眠りください。

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お払いするべきか?

2010-11-03 07:00:12 | お見舞い・お悔やみ
「悪いことは続くもんだ」
実体験に基づく迷信?
よく、聞く話ではあるが、でも、今回は正にこんな感じであった。
日曜日の夜遅くユウヤのお母様が亡くなったとの連絡があり、
月曜日はみんなへの連絡でバタバタ。
実質、月末の忙しさの中で、
気分は最悪だった。
そんな激動の一日が開けた、火曜日の朝だった。
突然のメールが来た。
マイクのお父様が亡くなったらしいと話であった。
真偽を確かめるため、マイクのお母様と弟同志が同級生の、
ショウのお母様に電話。
残念ながら間違いない情報だった。
二日連続でサッカー仲間に訃報を回す悲しさ。
亡くなった二人とも多分40代?
まだまだ若い。
子どもを残して逝かなければ無念さを思えば、なんとなく涙がじわっとなってくる。
私のように悪い処だらけで、
いつ亡くなっても不思議でなく、
上の子はもう二十歳を過ぎ、我が家でも中心になってなんでも任せられるから、
私としてはもう心の残りはほとんどない。
今回の事が合って、
ツインAには私が死んだら、ブログにそういうことを載せて、
更新できなくなることを皆様にお知らせするように頼んでしまった。

今日ユウヤ母のお通夜に行く場所に、
明日はマイク父のお通夜に行くこととなった。
さらに言えば、そこは私のお袋のお通夜をやった場所でもある。
お二人のご冥福をお祈りいたします。
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悲しいお知らせ

2010-11-01 06:53:15 | お見舞い・お悔やみ
昨夜、遅く、
連絡があり、タツタのサッカー仲間。
西奈の守護神、6年間PK戦無敗の立役者。
ユウヤのお母様が亡くなったらしい。
突然の事であり、入手できる情報がほとんどない。
ウソだろう! そう言いたいが。
ただ、ただ、ご冥福を祈るしかない。
朗らかででも物静かで、そして穏やかで、ユウヤ父と同じ様な常識人。
似た者夫婦だった。
いつも書いているように、正に好い人から亡くなるのが、本当にかなしい。
ユウヤもまだ中2。
今後お手伝い出来ることがあれば、手伝いたいが。
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ご冥福をお祈りいたします

2010-04-30 23:12:43 | お見舞い・お悔やみ
ここのところ、知人の不幸が続いている。
29日には、前の店で隣同士で働いていたパートさんの、
多分義理のお母様が亡くなった。
その知らせを受けた時は、
私は、風邪との戦いの真っ最中。
30日に会社を休むわけにもいかず、
ひたすら体調を取り戻すために必死で、
同僚等に連絡することも出来ず、そして、今日は強烈に忙しい一日。
あっという間に一日が終わり、
へとへとになったところで、
お通夜と葬式の日程を確認しようとしたが、
どちらもすでに終了していた。
全く不義理をしたもんだ。
反省。
仕事優先とはいえ、
本当に申し訳なかった。

そして、本日、
横浜時代に席を並べて仕事をした大先輩のお母様が亡くなったとの知らせ。
今の私があるのは、すべてその先輩のおかげと思っている。
私の転勤が決まった時に、
一枚の絵を餞別に下さった。
風景画が好きといった私に洒落た素敵な絵。
今でも我が家のリビングにアクセントを加え、
そのさわやかな絵は私をいつでも横浜に連れて行ってくれる。
いつか遊びに行きますと約束しながら、
いまだにその約束を果たしていない。
しかし、お通夜も葬式も川崎で行われる。
本当なら駆けつけなくてはいけないが、いまだ体調は不十分。
さらに明日は町内会の用事。
明後日は、奥様のおばあ様の法事。
ちょっと行けそうもない。
電報を打つつもりである。
不義理な私を許してくれないかもしれないが、
でも、感謝の気持ちだけは絶対忘れられない。
亡くなった方のご冥福をお祈りいたします。
そして、なるべく早く、会いたいとさらに強く思った私である。
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おばあさまのお葬式

2010-03-19 23:54:32 | お見舞い・お悔やみ
今日、奥様のおばあ様の葬儀でした。
セレモニーホール静岡で行われたが、
この時間に来てねと言う時間には遅刻してしまった。
しかし、喪主の叔父様は笑って許してくれた。
奥様の人徳か?

町内会の方が受付をしてくださったが、
ご近所様には私の会社の大先輩がいらっしゃる。
私が新入社員として銀座支店に配属された時、
先輩は東京本社にいらっしゃり、
一緒に外国語学校に通ったり、
帰りにガード下の一杯飲み屋で驕ってくださったり、
今でも私は恩義を感じている方。
その先輩が会社を休んで受付を担当してくださっていた。
ありがたかった。

さて、葬儀は粛々と進み、
お別れの言葉を、町内の老人会の会長様と、
奥様が担当。
会長様の弔辞は、朴訥と言葉もややはっきりしない部分があったものの、
心温まる、そしておばあ様の人となりが偲ばれる、
いいスピーチだった。
奥様は悩んで考え、そして泣かないと決めていたらしいが、
最初から最後まで涙涙。
身内に対して言うのもなんだが、
結構いいスピーチだったと思っているが、
毒舌の叔父様からは、
内容の無さを涙でごまかしたと冷やかされていたが・・・・

葬儀が終わり、払いの席が用意され、みんなで移動。
席が二人分足りないと言うハプニング。
急きょ用意していただき、
奥様のいとこの旦那さまと二人でそのはじっこの席へ。
奥様のいとこの旦那様は、
某H中の先生。
陸上部の顧問。
息子様はK中でソフトテニス部に所属している。

隣の席には、某北の方の郵便局長様。
共通の知り合いの郵便局長様の話で盛り上がった?。

そんなこんなで、払いの席も無事終了。
夜は、会社のパートさんとの懇親会に駆けつけたのでした。

おばあ様は今日荼毘に付され、
旅立った。

もう会うこともお話しすることも出来ないが、
思い出は、
奥様の中に、
子どもたちの中に、
そして私の中にしっかり焼き付いている。
安らかにお眠りください。
そして、私たち家族を見守ってください。
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お通夜に参列

2010-03-18 23:05:03 | お見舞い・お悔やみ
おばあ様のお通夜に行ってきました。
場所は、セレモニーホール静岡。

数えで98歳。
生前、友達は次から次へと亡くなってしまい、
一人取り残されてしまったと、嘆いていたおばあ様。
お通夜にいらっしゃる方は、
親戚と、その関係者とすれば、それほど多くないかな?
そう思ってもいたが、思ったより多くの方が集まってくださった。

明るくおしゃべりが楽しかったおばあ様。
にぎやかに見送ることができれば、
きっと喜んでくださるだろう。

家族5人で同じ行事に参加する機会が激減している我が家。
例えば家族旅行などがこれに当たるが、
そう何度も旅行に行くわけでもなく、
この、お通夜が久しぶりの団体行動。
子どもたちの成長した姿が、
フォーマルな姿が、
何となく新鮮だった。
こういう機会でないと会えない親戚もあり、
奥様方の親戚は、
奥様さえ顔が解らない方もいて、
ましては私はほとんどチンプンカンプン。
葬式とはそういうものかもしれない。
亡くなった方を通してつながる縁(えにし)。
悲しみの中でつながる線。

葬式とはそういうものなんだろうなあ。

明日はいよいよ葬儀。
奥様は弔辞の代わりにお別れの言葉をささげる大役を仰せつかった。
おばあさまから一番信頼されていた?
それで白羽の矢が立ったようだ。
しかし、物事に結構引きずられるタイプ。
何をどう話すか。
悪戦苦闘している姿がやや、痛々しい。
私なら適当に文章を考え、
これでいいやと決めてしまうところだが、
奥様は何度も自分で推敲し、
私の添削を受け、
一旦完成したのに、まだ手直しをしている。
ここの言い回し変じゃないかなあ?とか、
ここは話す順番変えた方がいいかなあとか。

どうせみんな聞き流して覚えていないから、
そう言い聞かせるが、
結構自分で納得しないと駄目なタイプ。
悩みは葬儀で読み終わるまで続く・・・・。

明日はお葬式。
ツインは奥様のおじい様の時にお別れの言葉を言った過去がある。
その時の原稿も出てきた。

でも、ツインはその時のことをもう覚えていない。
タツタはまだ生まれていなかった。
数年前、兄貴が亡くなった時は、
正式な葬儀は本人の遺志により行わなかった。
分骨したものをお墓に納めるため、
親族だけで、形ばかりの葬儀は静岡で行った。
それはちょっと異例のお葬式。
だから本格的な?葬式は子どもたちは初めての参加。
宗派によって手順やお経の内容が違うが、
子どもたちにとっても新鮮なようだ。
明日いよいよお別れとなる。

さみしいが・・・・


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残念!おばあ様お疲れ様。

2010-03-16 06:54:08 | お見舞い・お悔やみ
今朝、4時頃。
奥様のおばあさまが亡くなった。
多分97歳。大正元年生まれ。
最近こそ弱弱しかったが、ずっとお元気で、
おばあさまは死なない。
そんな幻想にとらわれていた。
ちょっと前、バスの運転手の不注意で、
足を骨折してからリハビリの日々。
そんなつらい日々もしっかり乗り切り、
ケアマネとのデイサービスの内容決めも、
自分で対応して自分で計画して。
なんでも一人で出来るスーパーばあちゃんだった。
それでも、骨折以降の足腰の衰えが、
徐々にボディブローのようになって、
最近は会うと弱音を吐くことも。
奥様は、そんなおばあ様を励ましたり、手伝ったり。
まだまだ長生きして欲しかった。
残念だが、これも寿命。
ご冥福をお祈りいたします。
コメント (2)
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物騒な世の中

2009-11-07 07:30:07 | お見舞い・お悔やみ
ここのところ、続けてうら若き女の子が、なくなっている。
年頃のツインの親としては、心穏やかにはいられない。
亡くなっているのは、
女の子ばかりではないが。
報道が派手になったのか?
きめ細かくなったのか?
事件自体が増えているのか?
私にはわからないが。
昔は殺人なんか、発作的とか、弾みとか、
それ以外は精神異常者だったのに、
今では、普通の人が簡単に殺人まで突っ走る。
どうなってしまったのか?
悩みの種は尽きない。
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 I さんのご冥福をお祈りします

2009-10-27 05:22:07 | お見舞い・お悔やみ
会社の後輩、I さんんが亡くなった。
享年48歳。
まだまだ若い。
くも膜下出血らしい。

私が会社の本社にいたころ、
同じ部署にいたH(女性)さん。
K大学の後輩でもあるHさんが見染めた男。
それが当時人事部にいたIさんだった。
やや、小柄?ではあるものの、
バイタリティあふれるしっかり者のIさん。
まあ、お似合いのカップルではあった。
私がいた部署と、Iさんがいた部署の、
所管役員が一緒の関係で、
ゴルフコンペやら、飲み会やら、
時々合同で行われ、
年齢もまあ、近く、
当時の両部署で私より年下はそう多くなく、
親しいまではいかなかったが、
何となく親近感を持っていた。
6・7年前、たまたま、その時のお店に、
Hさんがやってきて懐かしく挨拶して、昔話もして、
そして、Iさんのお子様は我が家のタツタより、2歳上?
同じようにサッカーの少年団に所属。
チームは違っても応援していたのだが。
2週間くらい前?
仕事のようで、うちのお店に電話をもらい、
懐かしい名前?
そう思っていた矢先、
亡くなったとの連絡。
エッ!!!!!

びっくり。
病気療養中との情報もなく、
いきなり亡くなったとの情報。
病魔の恐ろしさを改めて感じる。
長い闘病も、本人や家族にダメージを与えるけれど、
でも、気持ちの整理の時間も与えてくれる。
でも突然死は、奥様であるHさんやお子様へ
どれほどのショックを与えたのか?

考えてみれば私の親父も風邪をこじらせ、
肺炎で亡くなったが、
月曜日に風邪気味。
水曜に病院に行き、
入院?
土曜日もお昼ごはんは食べたのに、
夕方に亡くなった。
当時、土曜日も仕事だった私。
親父が危ないと連絡があり、
駆けつけてから間もなくご臨終。
あっけなさ過ぎて、最初は茫然としてしまったが。

それも、昭和のお話。

さすがに記憶もやや風化してきたが。

でも、Iさんは今のお話。
ご冥福をお祈りします。
そして、Hさん。
元気出せよ!


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