緑豆ぜんざい 2016-12-19 21:49:00 | おやつ堂 のあ 緑豆ぜんざい ーハーブと喫茶HYGGE(朝日町)ー HYGGEさんの後、ぶらりと宮崎海岸へ。 釣り人が等間隔に点在していて翡翠探しできず ま、あまり時間もなかったのでいっか。 あ、来年HYGGEさんでドリームキャッチャー作りする予定です お楽しみに
君が代 2016-12-19 20:59:45 | おやつ堂 のあ ー転載はじめー 君が代は 元祖ラブソング(恋文)だった 性格が合うことだけが相性ではなくて、 性格が合わない部分を受け入れるのも愛性。 価値観が一致するだけが理解ではなくて、 価値観が違うことを認め合うのも理解。 言いたい事をぶつけ合うだけが夫婦ではなく 言いたい事を分かち合うのも夫婦。 行き先が同じ人だけが仲間ではなくて、 行き先が違っても 寄り添うのが仲間。 合う人との出会いだけが縁ではなくて、 合わない人との出会いも縁。 良くも悪くも 人は その時の自分に必要な相手と巡り合う ( しみず たいき ) 一説によると 君が代の【き】と【み】 これは最初に性別を持って 生まれてきた神でもある イザナキノミコト(男性神) イザナミノミコト(女性神) このイザナキの【キ】と イザナミの【ミ】を足して【君】となる、 という解釈があります。 つまり【君】の中に 【男(陰)と女(陽)】という意味が隠されています。 また、イザナとは【誘う(誘い合う)】 「代」は、「時代を越えて」という意味 つまり 「君が代」とは 時代を越えて 求め合う男と女の歌 だったのかもしれません。 「きみ」=私(男)と貴女(女)が、 「代」=時代を越えて 「千代に八千代に」 =千年後 八千年後に 生まれ変わっても、 「さざれ石の巌となりて」 =再び 固い絆で結びつき 「苔のむすまで」 =永遠に 愛し合い 共に歩んで参りましょう 平安時代に 愛する人を亡くした誰かが 「生まれ変わっても また会おうね」 という願いを込めて つくられた歌(恋文)のようにも思えます。 日本では古くから、 人は生まれ変わるものと信じられてきました。 「きみ」という男女の愛が 千年、万年と生まれ変わっても続き さらに 「苔のむすまで(永遠に)」続くところに 日本の人特有の感性 を感じます。 ー転載おわりー しみずたいきOfficial Blogより こんな風な君が代の解釈も素敵ですね。 統合の世界に入ったという今。 新たな関係を築ける出会いに目覚める人が増えるといいですね。