今年2019年は日本に災害が多いと
よく耳にします。
祈りのイベントが各地で開催されたり
個人でも行動に移している人たちは
影で支えてくれているのだと思います。
ただ
ふと思う。
何も起きないことがいいことなのか?
と。
避けて通れるものなら
避けたい出来事はあると思う。
ただ
躓く前に目の前の石を取り去ることは
本当に本人のためになるのか?
私たちのためになるのか?
一人前になるまで
手取り足取りサポートしたいと思う気持ちは
親心であるならエゴになるのでは?
子供を信頼していないからだ。
311で生き方を見直した人達がいる一方で
悲観にくれ閉鎖的になった人達もいると思います。
また、他人事として何も変わらない人達もいるはずです。
すべての人達が前をみて歩き出せる訳でもありませんが、その〝きっかけ〝がなかったら一部の変化もなかったかもしれません。
そんなことを思うと
何も起きないことを思いながら
それではダメなのではないか?
と矛盾の中に陥ってしまいます。
それは
大きな何かがないと
今の日本は方向転換出来ないのではないか?
と思っているからでしょう。
今の日本の舵取りに
違和感と危機感があるからです。
オーストラリアには
時々起こる山火事の熱によって
硬い殻が弾けて種を出す
バンクシアという植物があるそうです。
山火事によって焼け野原になったその地に
芽を出すのがバンクシア。
きっと私たちの中にもあるはずです。
祈るなら
避けるための祈りではなく
信じるために祈りたい
信じるために祈りましょう
よく耳にします。
祈りのイベントが各地で開催されたり
個人でも行動に移している人たちは
影で支えてくれているのだと思います。
ただ
ふと思う。
何も起きないことがいいことなのか?
と。
避けて通れるものなら
避けたい出来事はあると思う。
ただ
躓く前に目の前の石を取り去ることは
本当に本人のためになるのか?
私たちのためになるのか?
一人前になるまで
手取り足取りサポートしたいと思う気持ちは
親心であるならエゴになるのでは?
子供を信頼していないからだ。
311で生き方を見直した人達がいる一方で
悲観にくれ閉鎖的になった人達もいると思います。
また、他人事として何も変わらない人達もいるはずです。
すべての人達が前をみて歩き出せる訳でもありませんが、その〝きっかけ〝がなかったら一部の変化もなかったかもしれません。
そんなことを思うと
何も起きないことを思いながら
それではダメなのではないか?
と矛盾の中に陥ってしまいます。
それは
大きな何かがないと
今の日本は方向転換出来ないのではないか?
と思っているからでしょう。
今の日本の舵取りに
違和感と危機感があるからです。
オーストラリアには
時々起こる山火事の熱によって
硬い殻が弾けて種を出す
バンクシアという植物があるそうです。
山火事によって焼け野原になったその地に
芽を出すのがバンクシア。
きっと私たちの中にもあるはずです。
祈るなら
避けるための祈りではなく
信じるために祈りたい
信じるために祈りましょう