二俣城は、天竜川と二俣川に挟まれた、標高90mの台地に建っていました。
今川氏配下の城として築城されましたが、桶狭間の戦いで当主を失うと、徳川家康に奪われててしまいます。
さらに、西進した武田軍によって支配されてしまいましたが、長篠の戦いの後、再び徳川が奪い返します。
まさに群雄割拠の戦国時代の象徴的な城といえるでしょう。
現在は城山公園として整備されています。
また、公園前にはクルマ5台ほどの駐車場があります。
【北曲輪】
現在は旭ヶ丘神社が置かれ、二俣町に関連する英霊が祀られています。
堀切の跡?
このあたりに馬出があったはずです。
【本丸】
喰違虎口
攻撃側にS字の進路を取らせ、側面から射出攻撃も受けやすくなるという構造となっています。
天守台
野面積みです。
天守台から後方を眺めてみました。
背面は天竜川が迫っており、天然の要害となっています。
もっとも、武田軍は船でこちら側より攻撃を仕掛けました。
二俣城といえば、家康の長男・松平信康が切腹させられた悲劇の地としても知られています。
1579(天正7)年、織田信長に正妻・築山御前と長男・信康が武田方に内通したとの報がもたらされ家康は築山殿を殺害、さらに二俣城に幽閉させていた信康を切腹させたのです。
土塁によって囲まれています。
排水路
これは当時のものではないでしょうね。
一の門
【二の丸】
半分は花木園に
残り半分は城山稲荷となっています。
追手門
立派な櫓台があります。
【蔵屋敷跡】
二の丸との間には深い堀切があります。
一部石垣も残っています。
出てきそうな雰囲気は充分感じられます。
【西曲輪】
遊具が置かれていました。
城下を一望できます。