1575(天正3)年、徳川家康は、武田軍に奪われた二俣城を取り返すために、鳥羽山に本陣を敷きいくつかの砦を築いて二俣城を包囲しました。
これが鳥羽山の始まりだといわれています。
二俣城からはハイキングコースになっており、徒歩で移動することにしました。
天竜川を眺めながら堤防を歩きます。
鳥羽山全景
山道を登ります。
脇道には行ってさらに登ります。
現在は鳥羽山公園として市民に開放されています。
わんぱく広場
曲輪の跡にみえますが、そのような説明はありませんでした。
わんぱく広場から少し登って行くと本丸に到着します。
【本丸】
搦手門につきました。
本丸では親子写生大会が開催されていました。
一角に建てられた展望台から眺めてみました。
枯山水の手法でつくられた庭園の跡
戦国時代の城館で庭園を伴うものは全国でも希で、貴重な遺跡だそうです。
また、この発見より、この城は、家康の二俣城攻略後、迎賓施設として機能していたことが予想されます。
大手門跡
大手道
通常、わざと曲がりくねらせたり、段差を設けて攻めにくく作られているのに対し、この城の大手道は綺麗すぎます。
やはり、軍事施設としての機能は二俣城に任せ、こちらは迎賓施設だったのでしょう。
【南1曲輪】
【笹曲輪】
浜松市出身の俳人百合山羽公の句碑
【腰曲輪】
石垣を切り出した跡でしょうか。
この木も歴史を見てきたのでしょう。
ローラーコースター
鳥羽山城についての記録は築城の際のものを除いて残っていません。
長年、謎の城とされていましたが、昭和26年から城址公園の管理人となられた鈴木喜代治氏が、20数年にわたって単独で発掘を続けられ、その様子が明らかになりました。
城郭ファンとして鈴木氏に敬意を表します。