橋本屋吉次郎電子日誌

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興国寺城

2019-03-03 | お城巡り(続日本100名城)

山城を見に行くなら、冬が良いです。
蛇や虫も出ないし、草が生えていないので土塁や堀などの遺構がわかりやすいからです。ただし、雪が積もるとすべてを隠してしまいますし、行き帰りの凍結路も心配だったりします。


ということで、積雪の心配の少ない静岡の続日本100名城めぐりに、デミオで出かけることにしました。

最初に訪れたのは、北条早雲の初めての居城といわれている興国寺城です。

沼津市の外れのわかりにくい場所にあります。

入口に路線バスの停留所があるので、これを探していくとよいでしょう。

なお、停留所の下方にも三の丸の出丸がありますから、正確には、ここは入口ではなくすでに城内です。

少し登ると駐車場があります。

また、この上段にも駐車場があります。このあたりは三の丸跡です.

二の丸跡を左手に見ながら、斜面を登っていくと


穂見神社に着きます。ここが本丸跡です。

神社脇に解説板があり、

続日本100名城のスタンプも箱に入れて設置されています。

初代城主、北条早雲の碑


その隣に、最後の城主、天野康景の碑
時は1607(慶長12)年、この城の修築用の竹木がたびたび盗まれる事態が発生しました。
やがて見張っていた家来の足軽が犯人を取り押さえようとするのですが、その際に殺害してしまいました。
困ったことに犯人は天領の百姓であったために、話はこじれます。
「天領は徳川家の領土、そこの百姓ならば徳川家の所有物、これを殺害したるは、いかなることか?」なんてね。
城主の天野康景は、三河以来の徳川家の家臣でしたが、「こちらに非はない」と突っぱねます。
本多正純が仲裁に入り、足軽を差し出して手を打つように提案します。
康景は徳川家の恩と家来の忠義との板挟みになってしまい、なんと蒸発してしまいました。
このため、改易になり、興国寺城は廃城になりました。
いつの時代も、中間管理職は辛いものです。

本丸のまわりは土塁に囲まれています。




残雪か霜かわかりませんが、地面は凍結していました。



西櫓跡

土塁中央に天守台が置かれ、石垣で補強されています。


天守台


天守台から、北を眺めると富士山が見えます。


南には穂見神社が置かれ、その前に本丸が広がります。
本丸の西・北・東は土塁が築かれ、さらにその外側に堀切があります。
南側はひらけており、明るい感じがします。


下段に二の丸


その下に三之丸が置かれています。


本丸北側には深い堀切が巡らされています。
堀切というものほど写真撮影が難しいものはなく、なかなか深さをリアルに伝えることができません。
ひとつは、草木によって隠れてしまうこと。
そして、もうひとつは上から見下ろすアングルになるためだと思います。
今回は草の少ない冬ですし、この城は珍しく堀の底まで歩いて行けます。





いかがでしょうか。
堀切の迫力が少しは伝わったでしょうか。


興国寺城
静岡県沼津市根古屋

コンパクトな城跡で、30分ほどで一回りできました。

コメント (2)
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