橋本屋吉次郎電子日誌

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諏訪原城

2019-03-06 | お城巡り(続日本100名城)

興国寺城からクルマで1時間40分ほど、諏訪原城へやってきました。


こちらの城は、案内板もしっかり設置してあり、わかりやすいです。

6台ぐらい駐車できるここの他2か所の駐車場が用意されています。

1569(永禄12)年、今川氏が滅亡すると、駿河は武田氏に、遠江は徳川氏の所領となりました。
しかし、間もなく両氏は争うようになり、武田信玄は遠江に侵攻、徳川家康を三方ヶ原の戦いで破ります。
翌1573(元亀4)年、信玄は病死するものの、跡目を継いだ武田勝頼も遠江の獲得を目論み、その一環で諏訪原城を築城しました、

現地案内板

城の三方は台地の断崖となっており、前面の巨大な空堀がこの断崖へと続いています。
台地の突端部を利用し戦闘正面を限定させる構造となっています。
甲州流築城術の特徴である丸馬出及び三日月堀が3ないし5箇所あり、枡形虎口などの遺構も残っています。

ガイダンス施設(建設中)の裏が大手外馬出です。
ここに日本100名城のスタンプとパンフレットが置かれています。

大手曲輪

大手北外堀

惣曲輪


二の曲輪中馬出
写真右側に二の曲輪があり、そこから扇形の馬出が出ています。
馬出の周囲は深い堀で囲まれています。


二の曲輪北馬出


二の曲輪北馬出から見た風景
大井川の向こうに富士山が見えます。


二の曲輪北馬出から中馬出へ


結構広い二の曲輪中馬出


二の曲輪へ


北馬出と二の曲輪の間の堀切


二の曲輪


細長い二の曲輪は仕切り土塁で南北に分けられています。

この石垣は建物の跡でしょうか。


本丸の入り口
虎口になっているらしいですが、よくわかりませんでした。

本曲輪

わずかに石垣の跡が見られます。

本曲輪からの眺め
大井川が天然の堀になっています。




カンカン井戸


本曲輪と二の曲輪の間の堀底にあります。

下に向かうとある水の手曲輪


二の曲輪の南部分


二の曲輪大手馬出
木が多くわかりにくいです。


二の曲輪東内馬出


二の曲輪南馬出


諏訪神社
諏訪原の名前の由来となりました。
築城主の武田勝頼は諏訪氏の血をひいています。


諏訪原城
静岡県 島田市金谷

結構広く、見学時間は45分でした。

コメント (2)
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