基肄城(きいじょう, きいのき)は、福岡県筑紫野市と佐賀県三養基郡基山町にまたがる基山(きざん)に築かれた、古代山城です。
白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した大和朝廷が倭(日本)の防衛のために築きました。
665(天智天皇4)年、大野城とともに築いたことが『日本書紀』に記載されています。
まずは、基山町民会館へ
基山町民会館
所在地: 佐賀県三養基郡基山町大字宮浦666番地
電話番号: 0942-92-1211
開館時間: 9:00~22:00
ここで続日本100名城スタンプを押すことができます。
登城口のある草スキー場へやってきました。
基山草スキー場
所在地: 佐賀県三養基郡基山町大字宮浦2166番地1
基山草スキー場から基山山頂、基肄城を経て水門までの道はハイキングコースにもなっています。
ただし、現在は災害復旧工事をしているので通行止め箇所があります。
草スキー場のゲレンデを山頂をめざして登っていきました。
ゲレンデを60%ぐらい登ったところ
土塁が見えてきました
しかし、心臓がバクバクです。
それ以上に足の調子がおかしいです。
ここ数日、山城や神社の石段で疲れがたまっていたようです。
ゲレンデは扇の勾配のようになっており、上部へ行くほど傾斜がきついです。
なのに、この状況で耐えられるか。
登ることができたとしても、降りてこなければなりません。
心肺はともかく足腰への負担は下りの方が大きくなるはずです。
残念ながら、ここは勇気ある撤退を決断せざるをえませんでした。
撤退中に見つけた「日本植林発祥之地」の碑
気持ちを切り替え、水門へ車で移動することにしました。
ナビに従って走行していると、どんどん道幅が狭くなりました。
やがて集落の中に入って路地裏のような狭い道になってしまいました。
はたして、このままクルマでいけるのだろうか。
もし、進めなくなったとき、引き返せるだろうか。
心配になってきました。
実は、このナビには前科があります。
前日、西寒多神社へ向かう際に、細い道を指示し、ついには車両通行禁止になってしまいました。(自転車や徒歩なら行けたでしょうが・・・)
戻れるうちに引き返そうと思い、Uターンできる場所を探してノロノロしていたときのことです。
軽自動車に乗った地元の主婦の方に「どうされました?」と話しかけられました。
状況を説明したところ、「水門ならばいけますよ。ついてきてください。」と言われ、近くまで誘導して下さいました。
軽自動車でも軒先をかすめそうな大変狭い道でしたが、お陰でビビリながらもたどり着くことができました。
水門跡の前に数台分の駐車スペースがありました。
水門跡
白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した大和朝廷が倭(日本)の防衛のために築きました。
665(天智天皇4)年、大野城とともに築いたことが『日本書紀』に記載されています。
まずは、基山町民会館へ
基山町民会館
所在地: 佐賀県三養基郡基山町大字宮浦666番地
電話番号: 0942-92-1211
開館時間: 9:00~22:00
ここで続日本100名城スタンプを押すことができます。
登城口のある草スキー場へやってきました。
基山草スキー場
所在地: 佐賀県三養基郡基山町大字宮浦2166番地1
基山草スキー場から基山山頂、基肄城を経て水門までの道はハイキングコースにもなっています。
ただし、現在は災害復旧工事をしているので通行止め箇所があります。
草スキー場のゲレンデを山頂をめざして登っていきました。
ゲレンデを60%ぐらい登ったところ
土塁が見えてきました
しかし、心臓がバクバクです。
それ以上に足の調子がおかしいです。
ここ数日、山城や神社の石段で疲れがたまっていたようです。
ゲレンデは扇の勾配のようになっており、上部へ行くほど傾斜がきついです。
なのに、この状況で耐えられるか。
登ることができたとしても、降りてこなければなりません。
心肺はともかく足腰への負担は下りの方が大きくなるはずです。
残念ながら、ここは勇気ある撤退を決断せざるをえませんでした。
撤退中に見つけた「日本植林発祥之地」の碑
気持ちを切り替え、水門へ車で移動することにしました。
ナビに従って走行していると、どんどん道幅が狭くなりました。
やがて集落の中に入って路地裏のような狭い道になってしまいました。
はたして、このままクルマでいけるのだろうか。
もし、進めなくなったとき、引き返せるだろうか。
心配になってきました。
実は、このナビには前科があります。
前日、西寒多神社へ向かう際に、細い道を指示し、ついには車両通行禁止になってしまいました。(自転車や徒歩なら行けたでしょうが・・・)
戻れるうちに引き返そうと思い、Uターンできる場所を探してノロノロしていたときのことです。
軽自動車に乗った地元の主婦の方に「どうされました?」と話しかけられました。
状況を説明したところ、「水門ならばいけますよ。ついてきてください。」と言われ、近くまで誘導して下さいました。
軽自動車でも軒先をかすめそうな大変狭い道でしたが、お陰でビビリながらもたどり着くことができました。
水門跡の前に数台分の駐車スペースがありました。
水門跡
本来ならば、ここから草スキー場方向へ向かって行くこともできるのですが、残念ながら通行止めでした。