大高城はかつての尾張国と三河国の国境近くにあった城で、桶狭間合戦の時には今川方でした。
織田軍は鷲津砦と丸根砦を築いて、大高城の補給を遮断しますが、この大高城を救おうと今川義元が尾張にやってきたのが桶狭間合戦の発端になった訳です。
今回、大高城へ訪れるために下調べしたのですが、城跡には駐車場がなく、少し離れたJR大高駅東側のコインパーキングに駐めざるを得ないようです。
地図で見ると、大高駅は大高城,鷲津砦,丸根砦のほぼ中心にあり、さらに、この3箇所は徒歩で行ける距離にあるので、車をとめて散策を楽しむことにしました。
大高駅の東には、コイン駐車場が多くありました。
車から降りると小高い森が見えます。
これが鷲津砦です。
登り坂を登りながら、ふと思いつきました。
「今日は、GPSを使わずに勘を頼りに歩いてみよう。」
前もって位置関係は確認してあり、Google Mapにマークしてありますし、スマホももってきましたが・・・。
当時を忍ぶにはなんとなくこれを使わない方がよいように思えました。
目的地のだいたいの位置が頭に入っていたことと、現在でも小高く見晴らしの良いところにあるので、GPSなしで行けそうな気がしたのです。
鷲津砦150mの表示を見つけました。
やっぱり、この道で合っているようです。
しばらく坂を登ると、右手に小さな公園がありました。
織田軍は鷲津砦と丸根砦を築いて、大高城の補給を遮断しますが、この大高城を救おうと今川義元が尾張にやってきたのが桶狭間合戦の発端になった訳です。
今回、大高城へ訪れるために下調べしたのですが、城跡には駐車場がなく、少し離れたJR大高駅東側のコインパーキングに駐めざるを得ないようです。
地図で見ると、大高駅は大高城,鷲津砦,丸根砦のほぼ中心にあり、さらに、この3箇所は徒歩で行ける距離にあるので、車をとめて散策を楽しむことにしました。
大高駅の東には、コイン駐車場が多くありました。
車から降りると小高い森が見えます。
これが鷲津砦です。
登り坂を登りながら、ふと思いつきました。
「今日は、GPSを使わずに勘を頼りに歩いてみよう。」
前もって位置関係は確認してあり、Google Mapにマークしてありますし、スマホももってきましたが・・・。
当時を忍ぶにはなんとなくこれを使わない方がよいように思えました。
目的地のだいたいの位置が頭に入っていたことと、現在でも小高く見晴らしの良いところにあるので、GPSなしで行けそうな気がしたのです。
鷲津砦150mの表示を見つけました。
やっぱり、この道で合っているようです。
しばらく坂を登ると、右手に小さな公園がありました。
この公園は、鷲津砦跡の一部のようです。
名古屋市内の住宅街であることを忘れてしまうような、照葉樹の森です。
史蹟碑
表忠碑
名古屋市内の住宅街であることを忘れてしまうような、照葉樹の森です。
史蹟碑
表忠碑
丘の上は、少し広くなっていました。
桶狭間合戦時の守将は織田秀敏,飯尾定宗そして息子の尚清でした。
松平元康(後の徳川家康)が大高城に兵糧を入れた後、今川方の朝比奈泰朝によって攻め落とされました。
堀切の跡
桶狭間合戦時の守将は織田秀敏,飯尾定宗そして息子の尚清でした。
松平元康(後の徳川家康)が大高城に兵糧を入れた後、今川方の朝比奈泰朝によって攻め落とされました。
堀切の跡
土塁のようにも見えますが、雨水が流れて自然にできたものでしょうか?
次は丸根砦でをめざして歩きます。
散策路としてちょうど良いみたいです。
次は丸根砦でをめざして歩きます。
散策路としてちょうど良いみたいです。
鷲津砦西側の道は交通量が多く、静かな森の中から出ると、現実世界に舞い戻った感じを受けました。
ナビ等があると安心感はありますが、教習所で、はい次は右、その先左行ってと、人に言われるままに走っている状態・・・汗
自分の感で進む道を決めることができなくなってしまうかも???なんて思うことも・・・
ナビがないと道を間違えてしまうこともよくありますが、その間違いによって新しい経路や施設の発見となることも少なくありません。
あっこれって人生にも言えることじゃないでしょうか?道を間違えたと思われることもあるかもしれませんが、必ずしも無駄にはなっていない。
なんてね。