トヨタ博物館を後にして岩崎城に向かいました。
岩崎城は、尾張国愛知郡(現在の愛知県日進市岩崎)にあり、築いたのは織田信秀(信長の父)といわれています。
尾張国東端にあるこの城は、1529(享禄2)年、松平清康(家康の祖父)に奪われてしまいました。
その後、本郷城から移った丹羽氏清が城主となり、四代にわたって丹羽氏が治めましたが、1600(慶長5)年、関ヶ原の武功が認められ丹羽氏次は三河国伊保(現在の愛知県豊田市)1万石の大名として栄転し、岩崎城はここで廃城となりました。
現在は、岩崎城址公園として整備されています。
石垣は新しく作られたものでしょうね。
城門
五重構造の模擬天守
史実にはまったく基づいていない鉄筋コンクリート製です。
ただ、展望台としては機能しています。
東側(長久手方面)風景
南
西
北
岩崎城歴史記念館
「丹羽勘助・古城の址」の碑
1987(昭和62)年に城址公園として整備されるまではこの碑があるだけでした。
岩崎城跡発掘調査の際、土塁の下から偶然発見された古墳
出土品である須恵器の特徴などから6世紀初めのものと推定されます。
櫓台
5,5m盛土をして高くしてあります。
「表忠義」
1910(明治43)年に建てられました。
1584(天正12)年、織田信長亡き後の覇権を巡って、羽柴秀吉と織田信雄・徳川家康連合の間で戦が始まります。小牧・長久手の戦いです。
この初戦において、秀吉軍は犬山城に、家康軍は小牧山城に入って膠着状態に陥いります。
この状況を打破するために動き出したのが秀吉方の池田恒興で、彼は後方撹乱を狙って秘密裏に兵を進めました。
このとき岩崎城主は家康の元に出陣していたので、16歳の弟、丹羽氏重が留守を守っていました。
氏重は池田恒興の進軍に気づくと、岩崎城で食い止めようとします。
果敢に戦いましたが、恒興隊7000名に対して、岩崎城の兵は300名足らずであり、全員討ち死に、落城してしまいます。
しかし、ここで足止めをしてくれたため、追いついた家康軍後続部隊に、恒興は討ち取り、長久手の戦いは徳川側の勝利となりました。
余談ながら、関ヶ原の戦いでは徳川本隊は遅参し、活躍できなかったので、小牧・長久手の戦いの徳川軍の勝利はことさら美化して尾張藩に伝えられているようです。
本丸と二の丸の間の空堀
かつては土橋で結ばれていました。
二の丸には庭園が造られていました。
水琴窟
もう二十年近く前になるでしょうか。
出張の帰りにこの近くを通り、岩崎城の模擬天守を見かけよってみたことがあります。
当時の私は城に関しても歴史に関してもさして知識を持っておらず「史実に基づかないつまんないものを作りおって」なんて感想しか持てませんでした。
久しぶりに訪れてみると櫓台や空堀など当時を忍ばせる以降はありますし、何よりロマンを感じる歴史があります。
訪問済みの城へ、あらためて行ってみるのも良いものですね。
P.S.
トヨタ博物館も岩崎城もだいたいの位置はわかっていたので、ナビは使用しませんでした。
ところが、岩崎城に向かうはずのところ、道に迷って名古屋市名東区へ行ってしまいました。
帰宅してから、地図を見て再度位置関係を調べなおしました。
思えば、以前はこういった経験が良くありました。
道に迷ったり、あとから再確認して地理を思えていったものでした。
ナビを使うようになって、地図を見る機会がめっきり減ってしまいました。
ときには、こうして迷ってみるのも無駄ではないように思います。
SevenFiftyです。
車だと道に迷うのは困ることが多いです。
バイクだと路に迷うのは楽しく思えます。
ナビは読むことは無いですが、地図は読むことが出来ます。
最近の読書(Googleマップも含め)はもっぱら地図ですね。
バイクは迷う楽しさと思いもしない発見を教えてくれます。
当方も歴史が好きで、古城めぐり等をツーリングの
主テーマであります。(その他温泉めぐりも)
貴殿の記事には、本当に感心しています。
これからも投稿拝見させて頂きますので、よろしくお願
いいたします。
(当方はスカイウェーブで走っています。)
>ナビは読むことは無いですが、地図は読むことが出来ます。
名言ですね。
今日の目的地がA、先日の目的地がBだとします。ナビだと自宅からAあるいはBまでの経路がわかりますが、地図だとAとBの間の経路もわかるのです。
>バイクは迷う楽しさと思いもしない発見を教えてくれます。
クルマで行き止まりになりそうな細い住宅路にはいるとぞっとします。間違えても簡単にUターンできないこともありますし・・・。すれ違いできない山道なんか入ると泣けてきます。
ありがとうございます。よく似た趣味をお持ちの方からのコメント、嬉しく感じます。これからもよろしくお願いします。
鉄筋コンクリートも悪く無いような気もしますけど、やっぱり木造の梁や廊下をギシギシ言わしながら侍気分を味わいたいですね!ナビで音楽を聴きながら、2時間3時間とぶっ飛ばす!もう何年単位でやってないです、このまま老いたくないです!
建築工法はともかく、史実に基づいた建物を作ってほしいですね。大きな天守閣に鯱をのせるのが立派だと勘違いされている人がいます。誇るべきはその城の歴史であり人の活躍であると思うのです。
啓蟄を過ぎましたから、ツーリングの虫も活動し始めなければね。とりあえずお近くから出かけてみてはいかがでしょうか。