七尾城は能登国守護の畠山氏が築いた山城です。
日本五大山城のひとつに数えられるほど強固であり、上杉謙信に包囲されても、一年にわたって持ちこたえました。
本丸近くの城山駐車場。車やバイクの方はここまであがってくるといいかと思います。
駐車場にあった復元図です。尾根沿いにいくつかの郭が設けられているのがわかります。
調度丸跡です。弓矢などの武器(調度)を整えた場所です。
まだ石垣を組む技術が低かったので、何段かに分けて組まれています。
こんな山中までどうやって石を運んできたのでしょうか。
一周約50分かかるそうですが、実際は、もう少し早く回ることができました。
遊佐屋敷跡(ゆさやしきあと)です。
本丸のすぐ西側に接し、七尾城の中心部にあることから城主に次いだ守護代の地位にある遊佐氏の屋敷と伝えられています。
少し進むと、本丸の石垣が見えてきました。
本丸です。眺めもいいですからお弁当を広げるには最適かも。
一段高いところに祠がありました。櫓の跡でしょうか。
本丸から下ると、桜馬場跡です。軍馬の調練を行った馬場だといわれています。
城主畠山氏を補佐した温井氏の屋敷跡です。
二の丸跡です。
三の丸跡です。もっとも広い郭です。
おのおのの郭の間はこのような堀切で隔てられています。地形をうまく取り入れて作られています。
安寧寺の跡です。
城主の畠山氏の廟です。
七尾城攻防戦でなくなった武士の慰霊碑です。
とよの水。場内の水源で枯れたことがないそうです。
城山駐車場から4分ほど登ったところに展望台があります。
車やバイクの方は是非とも行ってみましょう。
こんな絶景が見られます。
後ろを振り返ると七尾の由来となった7つの尾根を眺望できます。
上杉謙信はこの地で次のような歌を残しています。
霜は軍営に満ちて秋気清し
数行の過雁月三更
越山併せ得たり能州の景
遮莫あれ家郷遠征を憶う
麓に戻り、城史記念館に寄ってみました。
なんと百名城スタンプは郵便受けの中にあります。
城門の扉がありました。
城史記念館の裏手には、懐古館があります。
旧家である飯田家の住宅で、いろいろな資料も展示されています。
正直言って、さほど興味はなかったのですが、城史記念館と共通券なので行ってみたところ、係の方が懇切丁寧にご説明くださったうえに謙信の漢詩「九月十三夜陣中作」を吟じてくださりり、たいへん感銘を受けました。
七尾城史資料館
懐古館飯田家
所在地:七尾市古屋敷町タ部8-2
開館時間:9:00~16:30
休館日:月曜(祝日の場合は翌日),祝日の翌日,年末年始
入館料:450円(両館共通)
すごい山城ですね。これなら一年持ちこたえというのも分かる気がします。
申し訳ありませんがこの登山には付き合えません。(笑)
蒜山の前のソロツーではココを訪れていますがお城に寄るという発想はありませんでした。
素晴らしい所でしたので上からの眺望は肉眼で見ると更に素晴らしいのでしょうね。
上杉軍はなかなか責めきることができず、最後は家臣の一部を凋落して内部分裂を引き起こして、ようやく占領することができたそうです。
麓の城史資料館から歩いていくと大変ですが、一番上の写真の駐車場から本丸は3分で行けます。
7つの尾根には、それぞれ、松ノ尾・竹ノ尾・烏帽子ノ尾・亀ノ尾・鶴ノ尾・竜ノ尾・虎ノ尾という名がついているそうです。
この日の朝方、能登半島上空に雨雲がかかっていましたが、訪問したときはごらんのようにこうてんでした。雨でも行くつもりでしたが、晴天の方が何十倍もいいところでした。
写真でこれだけの迫力ですから、実際肉眼で見たらすごいでしょうね。
しかし遠いい。
この景色はなかなか迫力ありましたし、休日なのに観光客が少ないのがよかったです。能登半島はほかにも絶景ポイントがいっぱいありますし、走りがいもあります。さすがに能登一周して行き帰りするには1泊では辛いかな。
あの後こんな所を見学されたんですねぇ~
そして名古屋まで・・・体力ありますねぇ~
私も以前に比べればかなり城見学の回数は増えましたが、休日にしては・・・ですがチラホラと見学されているようですねぇ~
どちらかと言うと、中村美律子よりも坂本冬美 の「能登はいらんかいね」の方が好きかなぁ・・・と、むにゃあさんっぽく言ってみました。
お城は、なかなか良さそうな所で、3○○がいなければ一緒に行ってみたかったくらいです。
関東圏も制覇近いと見ましたが
富山から約1時間でいけるわけですから、この期を逃す手はありません。金沢も思っていたより近く3時間半ほどでかえってこれました。