安祥城(あんじょうじょう,あんしょうじょう)は、室町時代中期、和田親平が築城しました。
1479年(文明11)、松平信光が奪取し、徳川家康の祖父にあたる松平清康まではこの城を安祥松平氏(後の徳川宗家)の本拠としていました。
やがて、松平氏が弱体化すると織田信秀に攻め落とされ、
さらに今川氏との間で攻防がおこなわれ、太原雪斎により落城させられました。
現在は、安祥城址公園として整備されています。
所在地:安城町城堀41番
本丸跡と二の丸跡が残されています。
左が本丸跡、右が二の丸跡
1479年(文明11)、松平信光が奪取し、徳川家康の祖父にあたる松平清康まではこの城を安祥松平氏(後の徳川宗家)の本拠としていました。
やがて、松平氏が弱体化すると織田信秀に攻め落とされ、
さらに今川氏との間で攻防がおこなわれ、太原雪斎により落城させられました。
現在は、安祥城址公園として整備されています。
所在地:安城町城堀41番
本丸跡と二の丸跡が残されています。
左が本丸跡、右が二の丸跡
本丸
松平信光の息子の親忠は、城の鬼門除けとして了雲院を開創しました。
1792(寛政4本)年、本丸跡に了雲院大乗寺として移転しました。
史蹟碑
門などは新しく、当時の建築物は残っていません。
本丸や二の丸のまわりには小さな曲輪があったようです。
一応意識してか、それらしいスペースはつくられています。
土塁もあります。
このあたりにも曲輪があったようですが、県道と私有地のためそのままになっている様子です。
二の丸跡
八幡社
もともと安祥城内にあったものです。
廃城後も氏神として保護されてきました。
もともと安祥城内にあったものです。
廃城後も氏神として保護されてきました。
秋葉社
神明社
神明社
倉庫ですが外観を土塀に似せています。
なかなか良いアイデアだと思います。
土塁
近年作られたものだとおもいます。
公園と道路の間を金属製のフェンスで隔てるよりも良い印象を受けます。
ただ、管理は大変かな?
三の丸跡付近には、
安祥公民館
安城市歴史博物館
開館時間: 9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日: 毎週月曜日(祝日の場合は開館),年末年始
常設展観覧料: 一般200円,中学生以下無料
埋蔵文化財センター・市民ギャラリーがあり、
駐車場に困ることはありません。
ただし、三の丸の遺構は見られません。
安城市歴史博物館の常設展は安城の歴史が展示されています。
わずかではありますが、安祥城についての展示と解説VTRを見ることができます。
見学所要時間:40分
愛媛にも安祥城というのが???と思ったら・・・笑
四国レポの箸休め???
ここは名城巡りを始める前に行きました♪
四国シリーズは前回の河後森城で終了です。
半年ぐらい前から安祥城が気になっていましたが、大河ドラマが始まり、家康ブームになる前に訪れたいと思っていました。