今川方の鳴海城を取り囲む形で、織田軍は丹下砦、善照寺砦、中島砦を築きました。
鳴海城の後、この3つの砦を徒歩で訪れてみました。
丹下砦は鳴海城の400m程北にありました。
移動途中に見つけた丹下町常夜灯
鳴海は東海道の宿場でもあり、今回訪れた城跡以外にもいろいろな史蹟があるようです。
信長公記によると桶狭間合戦の時、熱田神宮で戦勝祈願をした信長が最初に入った砦が丹下砦になっています。
光明禅寺の裏側が丹下砦といわれています。
鳴海城の後、この3つの砦を徒歩で訪れてみました。
丹下砦は鳴海城の400m程北にありました。
移動途中に見つけた丹下町常夜灯
鳴海は東海道の宿場でもあり、今回訪れた城跡以外にもいろいろな史蹟があるようです。
信長公記によると桶狭間合戦の時、熱田神宮で戦勝祈願をした信長が最初に入った砦が丹下砦になっています。
光明禅寺の裏側が丹下砦といわれています。
寺の東にある民家のガレージに案内板が設置されていました。
砦はこのガレージではなく、物置の奥の高くなっているところにあったのではないでしょうか。
砦跡の西側に移動しました。
右は民家の塀で、遺構は見られませんが、高台になっていることがわかります。
さてこののち、徒歩にて善照寺砦、中島砦と桶狭間の合戦時における、信長の侵攻順に移動しました。
「城」ではなく「砦」と名付けられているのは、臨時的な施設であったからだと思います。そのため、必要がなくなると破却されますし、発掘しようにもしっかりした、石垣や礎石などもないので残すのは難しいのでしょうね。山の中ならまだしも、名古屋市内の住宅街ですからなおさら・・・