橋本屋吉次郎電子日誌

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小和田哲男氏講演会

2024-02-10 | お城巡り(その他)
津島ロータリークラブ補助金事業 小和田哲男氏講演会へ行ってきました。


小和田先生は歴史学者で、日本城郭協会の理事長でもあります。
以前「にっぽん城まつり2022 feat.出張!お城EXPO in 愛知」で座談会を拝聴したことがあります。
そのときは満員御礼で、立ち見をした記憶があります。

ということで、今回も大盛況が予想されたため、会場の津島市文化会館大ホールへはクルマを避け、40分かけて自転車で出向きました。
案の定、満車でした。
なんでも大ホールはいっぱいで、小ホールを急遽サテライト会場に仕立てたとか。


演題は、「戦国時代の津島とその周辺」~織田信長は勝幡城で生まれた~でした。

印象に残った点を紹介すると、

・戦国時代の初め、尾張国は守護斯波氏のもと、守護代として岩倉織田氏と清洲織田氏が治めていました。
・信長は勝幡(しょばた)織田氏の出であり、これは清洲織田氏の家臣であった。
・織田家でも格下だったが、父親である信秀の代に大きく力をつけた。
・その理由は津島湊を支配下に置いたためである。
・当時の物流は水上輸送が中心であるので、湊は交易の中心であり、人とともに富や情報も集まってきた。
・よって、信長が先進的な考えを持っていたり、商業を優遇したことは突然変異的なものではなく、育った環境から身についたものである。
・信長の誕生が1534(天文3)年であることは各種史料が一致していて問題はないが、忌まれた場所は諸説あり、那古野(なごや)というのが城定説だった。
・しかし、信秀が那古野城を奪取したのは天文3年よりも後と考えた方が無理がなく、勝幡城に在住中に生まれたと考えるべきだろう。


とのことでした。

最後に一番印象に残った言葉です。
「歴史は、光のあたり方によって、見え方が違ってくる。」


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2 コメント

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Unknown (T2)
2024-02-10 04:26:11
現代でも人の行動の動機・心理は、本人ですら分からないことも・・・
まして、400年以上前の人が何を考えてその行動をとったか???コレはモロモロの推測しかありえないと・・・
でも歴史は繋がっているので、実際に残っているモノ・津島の街って行ってみたいなと・・・
今も交易の盛ん?な港町なのでしょうか???
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現在は閑散 (橋吉)
2024-02-10 10:38:12
>T2さんこんにちは
何百年も昔のことでありながら、今でも当時を忍ぶものがあるところが面白いです。もっとも、ずいぶん変わってしまったところも多くあります。

戦国時代の津島は熱田とともに尾張の二大湊でした。
津島湊があった天王川は現在では埋め立てられて池となり跡形はありません。昭和時代は毛織物産業で栄えましたが、これもすっかり衰え、現在は閑散とした街です。
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