【勢溜の壇】
いくつかある壇の中で最大のものです。
平野が広がる南側の防御がより厚くなっています。
【満願寺跡】
満願寺は郡山城築城前からあったとされますが、のちに毛利氏とともに広島、萩と移設し現在は防府市内にあります。
【尾崎丸跡】
三本堀切で防御を固めてあります。
階段状の山道
段差が大きく、歩きにくいです。
旧本城を攻めます。
「間違えたかな」とおもいたくなるような細く荒れた急勾配の道を歩いて行きます。
ふと前方に気配を感じ立ち止まると、巨大な生物がいました。
鹿です。
しばらく、にらみ合いましたが、向こうから去って行きました。
この日の写真はすべて20mmパンケーキレンズで撮っていましたが、このときだけはズームレンズ方が良かったかも・・・
ご丁寧に堀切が刻んであります。
ここはちょっと・・・登れないなぁ
ここならば何とかなるかなと思い四足で登りました。
しっかり登山しています。
【旧本城】
郡山城は1336(建武3)年、毛利時親が築いた城です。
山全体に広がる巨大な城に変わったのは、元就の時代の話です。
安芸高田の町を一望します。
一通り見て回ったので山を下りることにしました。
山の中腹にあった展望台
ひと休み
【郡山公園】
遊具が置かれた広場に出てしまいました。
こんな山奥?と思いましたが、
さらに下ると
整備された公園になっていました。
郡山公園です。
明治天皇聖徳碑
【清(すが)神社】
さらに下ると清神社の裏手に出ました。
祭神は、素戔嗚尊(スサノオ)で毛利氏よりずっと古くからこの地に鎮座しているそうです。
参道を降りたら人里です。
こんな道標がありました。
安芸高田歴史民俗博物館にもどってきました。
所要時間は3時間でした。
ところで、安芸高田周辺の家の屋根にはどこも鯱がのっていました。
何かいわれがあるのでしょうか?
筋肉痛になりませんでした???
それにしても、鯱の鬼瓦・・・なんだろうなぁ・・・(^^ゞ
筋肉痛はありませんでした。街道歩きで鍛えられたのでしょうか?
足を滑らせると崖下へという場面はけっこうありました。これだけ見て回る間、誰ともすれ違っていませんから気をつけて歩きました。
城はわざと近づけにくくしてありますから、バリアフリーとは真逆です。健康でないと巡ることができません。さらに、山城になると体力も必要ですし、夏となればハチやカ、マムシとの戦いにもなります。
このあたりは島根県の石見地方で生産されている石州瓦がよく使われているようです。赤っぽい色が特徴なのですが、鯱があがっている屋根は必ずしもこの瓦とは限られおらず、謎です。
毛利と言えば、防長二洲に萩と言うイメージが強いですが関ヶ原以前は中国地方一帯を治めていた大勢力だったんですねぇ、時代こそ違え、北大路 欣也がNHKで幕末の「そうせい公」を演じておりなかなかタイムリーですね!
NHKの大河ドラマによってご当地は活性化されけっこうなことですが、観光客が集中しすぎて行きづらく感じます。ですから、今年は山口県は避けようと思っていたのです。ネタを明かせば、岩国は広島県だと勘違いしていたのです。
岩国は大河ドラマに乗っかった売り出し方をしていましたが、郡山城ではそれは見られませんでした。