多賀城は、仙台港からわずか6kmですので、上陸後すぐに向かいました。
奈良時代、この地より北は蝦夷とよばれる大和朝廷に服従しない人々の勢力範囲でした。
蝦夷制圧のために、築かれた城柵が多賀城の始まりです。
やがて陸奥国府、陸奥・出羽を管轄する按察使、軍政をつかさどる鎮守府、と三種の機能も有するようになりました。
付近の空き地のとめましたが、駐車場ではなかったかな?
南門跡
多賀城碑
日本三古碑の一つに数えられています。
ちなみにあとの2つは那須国造碑(栃木県大田原市)と多胡碑(群馬県高崎市)です。
762(天平宝字6)年12月1日建碑。
多賀城までの各地域からの行程、及び設置、修築の経緯が刻まれているそうです。
南門から幅広い道路がのびています。
途中から石段になり、
これを上っていくと政庁跡になります。
多賀城には、8世紀前半から11世紀にかけて陸奥国の国府が置かれ、奈良時代には鎮守府も併置されていました。
一辺が約900mの四角形で、その中央部に約100m四方の政庁跡があります。
政庁は大宰府や国府などに見られる中枢部分で、重要な政務や儀式が執り行われた場所です。
復元模型
南門跡
南門の礎石
ちなみに橋吉の靴のサイズは26.0cmです。
正殿跡
正殿跡の礎石
西楼の跡
東殿跡
足下には水路も作られていました。
政庁の跡ですから、他の城跡とは大きく様子が違いますが、
四方には土塁が築かれていました。
また、ここから見渡す景色は城跡からのものと似ている気がします。
日本百名城のスタンプをもらいに多賀城市埋蔵文化財調査センター史遊館に出向きましたが、隣の文化センターに移設したとのことでした。
行ってみると、立派な展示室が用意されており、ここでスタンプを押すこともできました。
また、多賀城碑のレプリカが置かれていました。
これならば、じっくり読むことができます(わからないけど・・・)。
この日は仙台東インター近くのビジネスホテルに泊まりました。
周りに飲食店はあるのですが、全国チェーンのお店が多いようで「仙台の味」は期待できそうにありません。
ラーメン屋などはざっと見渡しただけで4軒もありましたが、なぜかみんな豚骨?
仙台の人は豚骨好きなの?
で、寄ってみたのが「山神山人」
あとで知ったのですが、ここも全国チェーンなんですね。
でも、おいしかったです。
ごちそうさま!
当時はこの手のものには縁がなかったので運転手役で行ったのが最初で最後ですね。
次は何処に行ったのか続きが楽しみです。
近世の城郭をイメージとはまったく違うものですが、この時代を想像するととても不思議な気がします。現在では静かなこのあたりに大きな政庁があり人々で賑わっていたなんて信じられないです。
borg・・・砦、関門といった機能の施設だったのかな???
日本百名城は地域のバランスだけではなく、時代のバランスも考えられて選定されています。とはいえ、古代の城跡なんてほとんど残っていないので、ここが選ばれたのでしょう。もともとは砦だったとおもいますが、のちのちはお役所として機能していたようです。いずれにせよ、超一級の史跡であることには間違いないです。