デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



今日は時代祭り。午後2時半ぐらいに平安神宮に行くと、時代絵巻の行列がやってきて、にぎやかになった。先頭の馬車にトスカーナ州知事やフィレンツェ市長、フィレンツェ商工会議所の職員といったおっちゃんが、御家人の恰好をして沿道の見物客に手を振っていた。仕事とはいえ、けっこう楽しそうにやっていた。

久しぶりに小説とオペラ鑑賞で休日を過ごした。
気分を切り替えたいとき、私にとって最高の精神安定剤になるのがオペラ。今日、図書館の視聴覚でJ・シュトラウスの『こうもり』を観た。私はこの作品(実際には『こうもり』はオペレッタ)が大好きで、もう4度目の視聴となる。
内容は金持ちで退屈を紛らわしたいような夫婦(アイゼンシュタインとロザリンデ)と、アイゼンシュタインに社交界での復讐を果たしたいと狙っているファルケ博士が織り成す、たわいもない喜歌劇で、なんら哲学的なところはない。
だから難しいことを考えなくていい。それに作品で流れる音楽はとても楽しく、出演者は皆ハッスルし、無条件に客を楽しませてくれる。
だが、この作品の中で、個人的に何故だか目頭が熱くなってしまう旋律がある。第二幕、新人女優オルガ(実は女優に扮した小間使いのアデーレ)が、主人のアイゼンシュタインを欺こうと巧く取繕う場面の「滑稽だこと!オッホッホ~♪」という旋律が、妙に心に響くのだ。普通、ニヤニヤしながら観れる場面なのに、どういうわけだろう?
確かに同じ音楽を聞いても、楽しいはずの音楽が、ふとしたことで思い出してしまう、なんらかの過去に体験した感情の琴線に触れるのかも。いつか聞いたことがあるのかもしれない。

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朝、新聞を繰っていると、普段読まない面に目が行った。
バイエルン国立歌劇場のオペラの日本公演で、ワーグナーの喜歌劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』が東京でやっているらしいのだが、その最後の幕切れが極めてこのご時勢を暗示するような、斬新なものになっているそうなのだ。
その幕切れでは、最後の勝者が騎士ヴァルターではなく、恥をかかされた書記ベックメッサーにスポットライトが当たり、あげくに職人たちが誇らしげに掲げる商品には、webサイトのURLがでかでかと書き込まれているとのこと。つまりこれまでの演出は、ワーグナーもヒトラーも時代遅れだと宣言しているらしい。(朝日新聞・16面文化総合より)

私は『マイスタージンガー』をビデオでしか見たことがないが、その分では憎らしいベックメッサーは恥をかいて敗れる。だが上の記事を見て、少しニヤリとしてしまった。
私はどちらかというと古き良きものを好む正確だが、上の記事は少々痛快だと思った。そして、ベックメッサーはすでに一般消費者そのものを指すのではとも思った。
それに、新演出でいうベックメッサーとヴァルターが手を組みつつあるというのが、ご時勢かもしれないとも感じるのである。一抹の寂しさを覚えつつも、世の将来像は二人の二人三脚で進行していくのかもしれない。

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映画『シャル・ウィ・ダンス?』と『オペラ座の怪人』を見た。
『オペラ座の怪人』は2度目である。過去の作品の通算(『オペラ~』の昔の映画版や舞台など含む)では5回目(笑)。
2度目の鑑賞でもボロ泣きしたのだが、映画版は舞台版(ミュージカル版)とは異なり、つじつま合わせのためか、いくつか舞台版には見られないシーンが挿入されていたりする。音楽も俳優の演技に間に合うように、同じ旋律が繰り返されたりしているところがあって、少し冗長に感じた。しかし、それも仕方がないことなのだろう。
映画は映画で、舞台は舞台の良さがある。シャンデリアが落下する場面などは、映画の方が圧倒的に迫力があるわけだし、舞台は場面の切り替えがスピーディなのに加えて、目の前で俳優の生の歌声やダンスを見ることができる点で、とても観客を魅了してくれる。
どの『オペラ座の怪人』にしろ、いつかまた観に行きたいものだ。

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昨日に引き続き、「ヴァルキューレ」を観た。今日は第三幕、ヴォータンがブリュンヒルデの力を奪うが、娘の心理の葛藤と真意を理解したヴォータンが断腸の思いでブリュンヒルデと告別する、とても泣ける場面だったのでひたすら感動してしまった…。
それにしても、昨日の第一幕・第二幕ほど、出演者たちの声が出ていなかったのは気のせいか。。。?
私のつけていたヘッドホンの性能のせいか、それとも出演者たちの演技の流れで、結果的に集音マイクに背を向けて歌うことになってしまったからなのか、いまいち張りがなかったように思う。
いや、もっともな理由はおそらくワーグナーオペラ特有の切れ目の無い音楽の展開のせいで、出演者が歌い疲れているからかもしれない。楽曲が切れない演奏方式を「無限旋律」というそうだが、トータル4時間ぐらいある無限旋律のなかで、延々と歌わなければならない場面を歌いきるのは、並大抵のことじゃない。それでも幕が下りるまで疲れた表情一つ見せない歌手たちは、本当にすごいと思う。

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まだできたてのブログなのに閲覧数とアクセスIPの数があるなんて、うれしい。
アクセスしてくれた方の内、二人は分かるけれど、あとの人は「新着ブログ」ということでクリックして来てくれたのだろうか。

今日図書館に寄ってワーグナーの長大オペラ『ニーベルングの指環』の第二夜にあたる「ヴァルキューレ」を第二幕まで見た。(明日、第三幕を見るつもり)
『ニーベルングの指環』は壮大なスケールで描かれるので、作品ごとの上演時間が長い(『指環』だけでなく、ワーグナーの作品はどれをとっても長いのだが)。
ただ、疲れはするものの、見終わった後はいつも魂が揺さぶられるような気持ちになる。ストーリーや登場人物たちの個性が、自分の無意識に激烈に働きかけているんだなぁといつも思う。そう感じるとき、ワーグナーのオペラって「危険」だとつぶやきそうになる。
作品ではヴォータンの娘、ヴァルキューレのブリュンヒルデに惚れたかも。演じていたヒルデガルト・ベーレンスはアップで見たらおばさんなんだけど、登場のときのおどけた感じがとてもよかったし、ヴォータンの命令に背く決意をしたときの表情も素晴らしかった。

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