フィリップ・K・ディック 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
…映画「ブレードランナー」の原作。原作を読んでから映画のディレクターズカット版を鑑賞したが、映画は原作者に失礼な出来ではないか?と思った。作中ではアンドロイドよりも人間の方が性質が悪いと思わせるエピソードもあったりするので、けっこう悩ましかった。この先の世界でAIをさらに進化させたASIなどの存在が、人間よりもはるかに優秀で汚職に無縁な「政治家」として国や世界を統治することになったとしたら、それはそれで人間至上主義でなくてもよいようにすら感じさせるくらい、原作のエピソードはリアリティを持っていると思った。
『三国志演義』
…なんという個性的で魅力的な人物達であふれている作品だろうと思った。
「三国志」の代表的なエピソードはいくつか知ってはいるものの、『三国志演義』を読み通したことがなかった。よって虚実入り混じる物語であったとしても、黄巾の乱からどういう経緯で「天下三分の計」に至ったのか改めて知ることができてよかったし、とても楽しめた。物語の主人公は全では関羽で後半は諸葛亮であることも納得できたし、曹操も演義にあっては酷い書かれ方をされていることも実際に読んでみてよく分かった。
私個人は「演義」の内容であっても、なんだか曹操は魏を治める者としても労苦を厭わず部下からの信望も厚く、きちんとやることはやることで人々から支持された有能な政治家であるのは目を見張った。曹操やその後継者達の人となりを知る手掛かりとして自作の詩を探すために古典文学大系などを繰ったほどだ。
むしろ蜀のやることなすことは、領民はよろこんだかもしれないが、やたら「人徳」や「情」を優先させ結局は内部から蜀が弱体化していくし、呉と共闘した赤壁の戦いで勲功のある呉の土地をまんまとせしめるというか掠め取り、まさに生き馬の目を抜かんばかりといったような所業も少なくないように感じた。他にも感じたことはたくさんあるが、とても書ききれない。
カート・ヴォネガット・ジュニア 『タイタンの妖女』
…某動画のこれだけは読んでおいたほうが良いSFとして挙げられていたので手に取った。『華氏451度』『月は無慈悲な夜の女王』などのような作品に強い印象を受けてしまうので、『タイタンの妖女』については正直なところ何がおもしろいのか?、この話はどういった話なのだ?と疑問符ばかりがつき、魅力が分からなかった。しかし、ネタバレ御免の解説動画で作品について熱く語る人の内容を聞いて、あぁ、たしかに人間の世界でのものすごく大きな出来事や現象なんて、人知の及ばないような宇宙が小指を動かしたり痒いところに手を届かせたい程度のことから引起こされる、ようするに大きなことのそもそもの原因はちっぽけなこと、ということを言いたかったのだと分かったら、冒頭と最後のセリフに読者として「やられた(笑)」と脱帽するしかなかった。
スティーブン・キング『呪われた町』
…文庫本で上下巻の分量だが、ホラー系にあまり関心が無く読書ペースの遅い私が一週間以内にむさぼるように読んでしまうぐらい、本当におもしろかった。漫画「ジョジョの奇妙な冒険」の作者が影響を受けたであろう作品であることがよく分かった。
リチャード・パワーズ『舞踏会へ向かう三人の農夫』
…読んだことがあるようで無いようなタイプの作品だった。歴史や技術発展などの薀蓄を傾ける教養主義的な小説かな?と思いながら読んでいたが、ラストになると文芸ってこんな風にもおもしろくできるんだ、と感服した。有名かつ歴史的な偉人であってもほとんどの人に知られていない別の側面があるものだが、そういった側面に対して想像力をふんだんに用いてスポットを当て、もし別の世界線だったなら?と思いを馳せさせてくれる傑作だった。
この作品が読めたことで、あとで読んだ原田マハの作品にすんなり入れたのだと思う。
四方田犬彦『われらが〈他者〉なる韓国』
原田マハ『風神雷神』
…山田五郎の動画でも触れられていたこともあって関心を抱き、手にしたら一気に読めた。
清々しい気持ちなった。作者の絵画愛および夢想がここまで突き抜けたのなら、読者としてむしろ気持ちが良い(笑)。プロローグで出てくる地名も馴染み深い所が多くとても身近に感じた事もあって作品世界にスッと入り込めたし、安土桃山時代がバロックに差し掛かる時期と地続きであることを再認識させられた。
ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』
…ジェイムズ・ジョイス作品の代表作を一作品だけ読み通したことがあれば、意識の流れ文学はもういいやと、ずっと思っていた。読んだ、という経験だけをひけらかしたかった私の心理は作家に対して失礼だったな、と今にして思う。20世紀初頭の文学の潮流である「意識の流れ文学」だからひれ伏して拝みつつ、有難がったりしている間にも、すなおに作品のなかの誰の感情の動きなのか分からなくなってしまう語り手を自己同一視してしまいたくなるすごさに驚いていればよかった、と後のまつりなことを考えてしまった。
それはともかく、少なくとも私はこの作品の魅力や凄みを感じさせるところは、社会的経験がある程度蓄積し、自己を客観視できる状態でないと分からないように思う。とはいえあらゆる年代でも、作品に出てくる夕食の場面ような気まずい雰囲気は、どんなに長い年月いっしょに過ごした仲の人であったり身内で構成された食事会であっても、誰もが日常で嫌でも繰り返され、本当にあんな感じだよなぁ、言葉にはならない気まずい雰囲気ってあるよねぇ…と、よくぞここまで表現してくれました!といわんばかりになるのではないだろうか。
夕食の場面だけでなく、冒頭の夫妻や息子とのやりとりから、第三部の灯台へ着岸する場面まであまりに共感できる意識の流れの描写が途切れないし、偉そうな父親や男性の実際の心理や感情や親子関係や人間関係のリアルってこうだよね、と苦笑とともに、どこかほがらかかつほっこりした気持ちにさせるところに舌を巻いたし、ただただ、すごかった。(第二部の疾風の如きすさまじいダイジェスト描写についても触れたいが、なんというか言葉にならん(笑))
普段の日常の場面で頭に浮かんだり無意識で思ったりすることを、難しい言葉を使うことなく気取ることなく、ここまで緻密に描ききったこの作品はずっと読み継がれるように思えてならない。
越年読書は『金瓶梅』、『一九八四年』の2作品。
来年も読書はボチボチ続けられればと思う。