デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



ブラック・レイン」(1989) ★★★★★

「日本のいちばん長い日」(1967) ★★★★★

天空からの招待状(看見台湾)」(2013) ★★★★★

「ガンジー」(1982) ★★★★★

最強のふたり」(2011) ★★★★★

今年はなんだかんだで、ここ十年でもっとも映画を見た回数が少ない年だった(笑)。

「日本のいちばん長い日」は終戦の前夜に日本で何が起こっていたかを描いた名作だが、昔見たなら、「そんなことで時間を浪費しているうちにどんどん日本人が死んでんだぞ!」とか思って憤り一辺倒の感想を抱いておしまいだったろう。もちろん今もそう思うところがあるが、国としての意思決定にこれほどまでに時間が掛かってしまう問題が未だに改善されていないことを痛感するところもあった。いろいろな意味で痛いところを衝いている作品だと思う。

「ガンジー」は再鑑賞だった。昔に見たときは大長編ゆえに、見終わったときに訪れるカタルシスに浸って、よく分からないままにガンジーって偉人だ、とか思っておしまいだった。しかし今は、ガンジーの運動家や革命家として側面、ひいては大衆を煽動するタイミングや情報発信の仕方など、(権謀術数とはいわんが)策略家としてのガンジーの姿もきちんと描いてあるし、インドにおいてパキスタンの独立する動きを止めれなかった苦々しい場面もあるし、またインド独立の父であれど女性に対しては父性を貫き通す描写もリアリティを感じれたように思う。

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…雇い主であるフィリップへの接し方、人を見下すフィリップの養女への怒り方、弟、妹、母親とぶつかりながらも、優しさを秘める接し方、どれをとってもドリスの気持ちというのは、ものすごくイスラム的なのです。…
 突き詰めて言えば、それは、分け隔てをしない他者への接し方です。人と人との間に「線を引かない」態度と言ってもよいでしょう。…
 ドリスは、相手を障がい者だから、大富豪だから、と人間に線を引いて接しようとはしません。もちろん、郊外の移民の出身ですから、白人のフランス人への反感はドリスにもあります。しかし、本質的に、他の人に対して「差別」や「区別」をするという観念がないのです。
  内藤正典『となりのイスラム』(ミシマ社)p49~50

『となりのイスラム』のなかで上のように触れられていた映画『最強のふたり』(2011)を鑑賞した。今年も映画はあまり見ていないけれども、たぶん今年見た映画のなかでは一番の作品だろう。
感動ポルノの押し売りのいつになったら世界は救われるのか分からない一晩中やってる番組を見て涙を流すよりは、この映画を見た後に1時間のディスカッションをしたほうがはるかにいい。

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「天空からの招待状」という邦題がついている齊柏林(チー・ポーリン)監督「看見台湾」(2013)。このドキュメンタリー映画を知ったのは映画の歴史を研究する四方田犬彦氏によるエッセイ『台湾の歓び』(岩波書店)のなかで「看見台湾」について触れられていたからであるが、ここ数年で台湾の人と知り合うことが多くなってきたというのもあるだろう。
四方田犬彦氏のエッセイからの受け売りで、いつもの山に訪れる台湾からの旅行者にこの作品について訊ねると、「心から感動した」、「友人が作品を3度見て3度とも泣いた」などの感想が返ってくるので、これは見ておかねばならないと思った次第である。
鑑賞中の印象としてはおそらく見当違いというか映画のコンセプト自体が異なるように思えども、私個人はソクーロフの「エルミタージュ幻想」やロバート・レッドフォードの「リバーランズ・スルー・イット」を見ているような気になってきた。帝政ロシアの時代の幻想と(ましてやあの反知性主義の代名詞たる釣りの映画とは)、空撮による「看見台湾」が目指した台湾の神話創生かつナショナリズムの提示とは異なるとわかってはいれど、自国にかつてあったまたは今でもある誇るべきものを堂々と映像化しましたというのは伝わってきた。
映画という形ではないにせよ、「看見台湾」に見るようなテーマは日本でも映像化されていることもあって「看見台湾」に既視感を覚えるところもあった。きっとどの国の観衆も「看見台湾」に見られる既視感には共感を覚え、自らの国の自然や伝統、そして現状について思いを馳せるのではないだろうか。

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映画「ブラック・レイン」(1989)を再鑑賞。

小さい頃にはただ怖かっただの迫力があっただのとか感想を漏らさなかった作品だったが、今にしてみるとなんだかんだで土地勘のある場所がロケ地として登場していることに、妙な感懐を覚えてしまった。
映画には1980年代後半のニューヨークと大阪がロケ地として使われている。冒頭のブルックリン・ブリッジのたもとの荒れ具合は、公園として整備された今では見られないものなっているし、チャーリーがバイクに乗った佐藤にコートを奪われる場面で登場する阪急梅田ビルのコンコースは今となっては再開発されてしまい見ることができない。1980年代後半のニューヨークには行ったことないが、映画を見ていて、同じ頃の阪急梅田ビルのコンコースは何度も利用したことがあるのでとても懐かしくなった。
そこで一枚ぐらい自分のデジカメで再開発前のコンコースを撮ってなかったろうか、確か撮った覚えがある気がして、しばらく引き出しに仕舞っていた写真やバックアップフォルダの画像を探してみた。
結果は一枚も見つけられなかった。なんだか自分の記憶もあいまいで当てにならんものだなぁと思ったものだが、ネット上には阪急コンコースの変遷を紹介しているサイトもあり、懐かしかった。そして旅行というのは何気ない風景が激変する前の状態を目に焼き付けるためにするものでもあると改めて思った。

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『バベットの晩餐会』 ★★★★★

『ラスベガスをぶっつぶせ!』 ★★★★★

『アメリカン・スナイパー』 ★★★★★

スパルタカス』 ★★★★★

追想』 ★★★★★

妻への家路』 ★★★★★

『オール・アバウト・マイ・マザー』 ★★★★★

サタデー・ナイト・フィーバー』 ★★★★★

ドゥ・ザ・ライト・シング』 ★★★★★

『ソーシャル・ネットワーク』 ★★★★★

『ターミネーター:新起動/ジェニシス』 ★★★★★

『荒野の用心棒』 ★★★★★

幌馬車』 ★★★★★

バック・トゥ・ザ・フューチャー 1・2・3』 ★★★★★

『荒野の七人』 ★★★★★

君よ憤怒の河を渉れ』 ★★★★☆

ワイルド・ギース』 ★★★★★

リバー・ランズ・スルー・イット』 ★★★☆☆

『妻への家路』『アメリカン・スナイパー』『ラスベガスをぶっつぶせ!』『ソーシャル・ネットワーク』『ターミネーター:新起動/ジェニシス』『君よ憤怒の河を渉れ』『ワイルド・ギース』を除く作品はすべて再鑑賞。
もっとも感慨深かったのは2015年になって「バック・トゥ・ザ・フューチャー Part2」を再鑑賞できたこと。初見作品もすばらしかったが、年を重ねてみて再鑑賞作品が再鑑賞に堪えうるすばらしさをもっていることを感じとれたこともよかったように思う。

来年もいい映画と出会えますように。

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森本氏の本を読んでいなかったならば、映画に対しておそらく『市民ケーン』を観た時と同じような感想を覚えたことだろう。
正直退屈な映画だったが、アメリカ人からすれば外国人である立場の人間が、アメリカのエスタブリッシュメントがアメリカを誇って称揚する感情の基礎となる根源的な思想や、アメリカ人の心のふるさとや価値観を考える上で手がかりになる映画だといえよう。

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原節子さん 9月に死去していた 95歳「東京物語」「晩春」

正直、二ヶ月前まで御存命だったことに驚き、またこの訃報を残念に思った。原節子さん出演の映画で最も印象深いのは1951年の『白痴』で、映画のなかのヒロイン那須妙子は、ドストエフスキーの原作のナスターシャ・フィリポヴナと限りなく近いように感じたものである。原作の『白痴』を読んでその勢いのまま映画を借りてきて見た若かりし頃だったからなおさらだったのかもしれないが、(どれだけ存在するかは知らないが)『白痴』を映像化したもののなかでは、個人的に世界一のナスターシャだというのは今も変わらない。いつの日か再鑑賞したく思う。

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先日、映画『ワイルド・ギース』(1978)を鑑賞した。

春にミリタリーもののC・イーストウッド監督の『アメリカン・スナイパー』を鑑賞し心が震えたが、この秋にもミリタリーものの『ワイルド・ギース』で心を打たれた。132分があっという間に感じられ、目頭を熱くさせるような作品は久しぶりであった。
心憎いなぁと思ったことが、この作品がイギリス映画であること。作品内のピーターとリンバニのやりとりは、きわめて警句的である。その警句を生かしきれないままであることは、21世紀の現在のアフリカの状態を見れば分かるとおりだ。

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昭和の名俳優・高倉健の一周忌ということで各テレビ局が高倉健主演の映画をいくつか放送している。そのうちの一つ『君よ憤怒の河を渡れ』(1976)を見た。

制作された時代を考慮し、21世紀に入ってからの見地で作品をあれこれ評すのはアン・フェアな気もしているのだけども、率直に言って「日本でこのような映画が制作されていたこと」にまず驚いた。作品は邦画の映画史における一つのターニングポイントと目されるものであったろうし、文化大革命が終結してから中国で最初に公開された外国映画であったことで、歴史的意義が深いのは分かるのだ。
ただ高倉健という俳優について、個人的には、朴訥で心根は優しくて他人思いで強くて男女から慕われる男という役柄を演じ続けたイメージあって、また『南極物語』以降の作品しか知らなかったこともあり、『君よ憤怒の河を渡れ』のような作品に高倉健が出ていたことが意外であった。若輩者の浅見と高倉健ファンの方々には切って捨て置いていただきたく思うが、私はこの作品については俳優は悪くないものの高倉健主演作品としては黒歴史ではないかと思ってしまったのである。
作品は濃厚圧縮詰め込み型サスペンスアクションスペクタクル巨編というべきだろう。ずばり「逃亡者」『第三の男』『ゲッタウェイ』「007シリーズ」を綯い交ぜにした展開である。アメリカでヒットした作品に対抗しようとしたか、リスペクトしようとしたか、その両方が相まっての野心がこの作品をつくらせたのだろうか、私には分からない。一視聴者としては、こんだけ話しを広げてどう収拾つけるんだ?と心配になってしまったし、既視感たっぷりのぶっ飛び怒涛の展開の連続に笑うしかなくなったし、途中からどんな結末になるか見届けてやろうじゃないかと腹をくくるような作品を見たのは、随分久しぶりな気がした。同時に古き時代の作品にどこか懐かしいような気分を味わえたように思う。

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勢いに任せて、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズの最終話も見てしまった。
パート2の伏線もしっかり回収されていて、テンポの早い展開の中によくぞここまで詰め込んだなと、改めて感心してしまう。
パート2は先日で3回目の鑑賞だったけど、パート3については一度しか見たことがなかったこともあって、忘れているシーンとかがあった。しかし、パート2にいろいろなヒントが散りばめられていることを知ると、パート3も小技が利いていると言うか、パート2の内容を踏まえて集中して見ていないと笑いどころを見逃してしまうようなシーンが充実していた。
2015年の10月下旬に、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の三部作を見れて本当によかったと思う。

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