デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



(アルテマイスターには)ドストエフスキーが感心し、すばらしいと言ったとされる作品がいくつかある。ラファエロの「サン・シストの聖母」に引き続き、今回は


ティツィアーノ「貢の銭」(1516頃)

という作品を見たときの感想を書きたい。
ドストエフスキーの奥さんアンナは作家とこの絵を見て、作家が長くこの絵の前に立ち尽くして目を離さずにはいられなかったと回想している。これを受けて、無条件にこの聖画を素晴らしく感じるという意見もあるが、私は「素晴らしい」の意味によるとも思った。
意図的なのかどうなのか知る由もないが、ドストエフスキーの作品にはときどき男同士の情愛が過度と思える描写があったり、美少年の美しさを賛美する描写が見られる。それはドストエフスキー自身が長年監獄に入っていたことと関連があるかもしれないし、それに作家というのは面白い作品を描くためなら、どんなことだって創作するから仕方がないのかもしれない。
絵はキリストの冷静な目が「神のものは神のものへ。カエサルのものはカエサルへ」のテーマが示すとおり、ときの支配者であるローマのことを意識すらしていない(重要視していない)こともうかがわせたが、率直なところ、私はこの絵から男色っぽいものを感じた。偉大な芸術家がホモセクシャルに関心を持つことは珍しくないし、同性同士の愛情を究極の至高であるとする価値観は古代ギリシアの哲学にも著されているわけだから、この絵から得られる印象はその例に漏れないのではないかと思ったのである。
つまり、私はこの絵においては、聖書にある「貢の銭」のテーマは、ドストエフスキー自身にとって、そこまで重要じゃなかったのではないか、性的指向の疑惑?うんぬんの美と関係があるのではないかと思った。美しい絵であることは確かだが、いろんな意味で印象に残った作品だった。

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