デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



ドメニコ・ギルランダイオ「老人と少年」(1488)



おや、修復されている??

ギルランダイオ(1449-94) はボッティチェリと並ぶフィレンツェ派の画家だ。なんと、ミケランジェロも当初は彼の弟子だったことがある。
ギルランダイオはとても写実にすぐれていて、多くのフレスコ画を製作して、宗教的場面の中に同時代の人物や風俗を豊富に描きこんだ。絵の注文主は裕福な人であることが多く、キリスト教の場面の偉い人物に当時の権力者の姿が、などという分析も、フィレンツェ史を少しでも知ってたらきっとおもしろいに違いない。ちなみに、この肖像画でも、ルーヴルにいた時にはそこまで気付かなかったが、この老人が裕福だった根拠として、着ている服の裏地が描かれてある。
独立肖像画を約20点残しているボッティチェリとは対照的に、ギルランダイオは2作品しか現存していないとされる。その一枚がルーヴルにあるのだ。
この「老人と少年」に描かれている人物からは情愛が感じられ、とても生き生きとしているので印象に残るのだが、なんとこの老人は描かれた時には既に亡くなっていて、死に顔のスケッチから生前の姿を再現しているという、ちょっと驚くべき作品なのだ。

ところで、この絵は私の好きな小説にも登場する。

日ごろからスワンは、巨匠の絵のなかにただ単に私たちをとりまく現実の普遍的な性格を見出すだけでなく、逆に最も普遍性と縁遠いように見えるもの、私たちの知合いの顔の個性的な特徴といったものをもそこに見出して喜ぶという、特殊な趣味を持っていた。こうしてスワンは、アントニオ・リッツォ作の総督ロレダーノの胸像が、頬骨の出かたといい、眉の傾斜といい、彼の馭者のレミと瓜二つであること、ギルランダーヨのある作品の色彩は、実はパランシー氏の鼻の色であること…
集英社版『失われた時を求めて』第二巻p77

小説の中のちらっとした描写だけれども、その譬えに使われる画家たちの名前、どうしても気になってしまう。私は絵の中の老人の鼻を、じっと見つめたりしていた…。



ジョバンニ・パオロ・パンニーニ「近代ローマの景観」(1759)

イタリア人画家パンニーニ(1691-1765)については、ユベール・ロベールについて書いたときにも触れたが、ローマで最初の廃墟の景観画家の一人なので、紹介したいなぁと思う。
この人の作品の特徴は、現実の建物・廃墟・場所と想像上の建物・廃墟・場所を巧みに混成させた奇想画(カプリッチョ)である。(ちなみに、パンニーニの影響を受けたと思われるロベールの奇想画の作品が、東京上野の国立西洋美術館にある。)
ルーヴルにはパンニーニの「近代ローマの景観」と「古代ローマの景観」という一対の作品があって、両作品とも古代ローマと近代ローマを写した風景画や彫刻がビッシリと一枚のカンバスに描かれている面白い作品がある。
絵画の中に描かれた風景画を見ると、日本でも旅行番組やガイドブックで見られる御馴染みの光景が、描かれてあったりする。正直、とても奇妙な感覚にとらわれたが、両作品でパンニーニはかつてのイタリアの偉大さを描こうとしたんだなと感じた。

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