何義麟著『台湾現代史◆二・二八事件をめぐる歴史の再記憶』(平凡社)読了。
台湾からの旅行者や留学生と体を動かしに行っている山でよく出会う。ここ二年くらいで直接メール等でやりとりする台湾人もでき、そのおかげで最近台湾についてのエッセイや台湾映画を読んだり観たりするようになったものの、台湾の歴史についての本をほとんど読んでいなかったと思ったので読んでみた。
記事のタイトルにある二・二八事件については、映画『非情城市』を鑑たことのある人を除き、おそらく1980年代、1990年代前半までに台湾を旅行した日本人で事件のことをある程度知っていた人というのはごく僅かだったんじゃないだろうか。少なくとも私は近年まで事件の名すら聞いたことさえなかった。
二・二八事件とは第二次大戦から台湾が日本から「光復」を果たした後、1947年2月27日台北でヤミ煙草の取り締まりをめぐって市民と警察が衝突し警察の威嚇発砲で市民の一人が死亡し、翌日の2月28日台北市民が煙草の専売局に抗議に向かいまた長官公署に陳情に向かったところ、長官公署の屋上から突然機関銃掃射撃が行われ多数の市民が死傷したことをきっかけに、台湾全土で政治暴動が一気に広がった事件を指す。時の陳儀政府は台湾全土で起こった政治暴動に対し警察と軍の武力で応じ、さらに本土の蒋介石にも軍の増援を依頼した。蒋介石はただちに軍を台湾に送り込み、政治暴動は島内の警察・国府軍と本土からの増援の軍の武力によって鎮圧させられた。
著書には二・二八事件がいかにして起こり、その後の台湾で事件発生と公権による暴動の鎮圧の事実を国府の独裁政権がどのようにとり扱ってきたのか、事件について語ろうとするメディアや論壇たちへの政府による迫害について最新の研究成果を取り入れて書かれているわけだが、沖縄に行く感覚で行けて、これまで個人的に二度旅行でその地を踏んだ台湾という地が、思う以上に多大な犠牲をはらわされ陰惨な迫害を受け翻弄させられ続けた現代史を背負っていることに、読んでいて正直衝撃を受けた。また台湾でも二・二八事件の歴史認識をめぐる議論を公の場でできるようになったのが20年前そこそこぐらいで、今も事件を巡る認識や解釈および教育方針について島内の意見が割れ続けている現状は、私のような「台湾らしさ」を自分の思い出の感懐にふけるお気楽な旅行者からすれば想像だにしなかったものといわざるを得ない。
「現代史というものが面倒なのは、すべての選択がまだ可能であった時期を人々が覚えているためであり、これらの選択が既成事実によって不可能になっていると見る歴史家の態度を受け容れ難いと感じているためであります。これは純粋に感情的で非歴史的な反応であります。」
E.H.カー『歴史とは何か』 (岩波新書)
現代史の本を読むと、いつも上のカーの言葉が頭をよぎるのだが、台湾における二・二八事件は台湾の人々にとって、ようやく負の歴史を堂々と正面きって議論できるようになってきているのは救いだと思う。
再び台湾の地を踏めたとしたら、最低一つでも二・二八事件縁の場所に立ってみたい。
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