デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



ドストエフスキー『ステパンチコヴォ村とその住人』(新潮社,「ドストエフスキー全集3」)読了。

Ф・ドストエフスキーは出獄後『死の家の記録』を発表するが、その前にいくつかの作品を発表している。『ステパンチコヴォ村とその住人』(1859)はそのいくつかの作品のうちの一つである。けっして有名ではないが長年この作品を読みたいとは思っていた。この作品には1860年以降の作家の大作の登場を窺わせるような試作品のようなところがあると、どこかで読んだことがあったからだ。
私にとって7年ぶりとなったドストエフスキー作品、出獄後の作家の力量が熟しきらない時期の作品だから仕方が無いとはいえ、なんだか必要以上に誇張癖があってグロテスクな描写が多いなぁと正直感じた。フォマのいびりやフォマ信者たちがロスターネフを寄って集ってつるし上げる場面には途中で読む気がうせて数日開けてから続きを読んだほどだ。
しかし、ドストエフスキー作品について関心を深めたいならフォマやロスターネフの人物像は注目すべきだろう。前者は若い頃から虐げられてきた弱くて病的な人間が蹂躙されてきた身から解放されて権力を持った途端どのような振る舞いに起こしうるか表現した人物、後者は世の中がよくないのは自分の心が穢れているからだと真っ先に思いたがるメシアニズム的人物のカリカチュアである。これらの人物が枝分かれしていって後期の傑作の登場人物たちが作り上げられているのは良く分かった。
また作家の十八番である思いもよらぬ人の突発的行動や明らかに場違いな席で周囲を当惑させる「唐突なふるまい」の極端な描き方は、こんな人間いないだろうと思いつつも、心を打つものがあったし、潜在的に人には何十年付き合っても分からないことがあることを改めて考えさせてくれたのはさすがである。それにドストエフスキーがそののち最初の妻マリアに隠して愛人つくるような重大事を予見するようなキャラが作品に出てきて一席ぶるのには笑ってしまった。

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