デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



石田三成の陣跡あたりにて

松平忠吉・井伊直政陣跡




慣用句に「抜け駆けの功名」というのがあるが、関ヶ原合戦での東軍の先陣争いが語源になったのではと思ってしまうほど、この二人が福島正則の隊の横を抜け駆けして戦いの火ぶたが切られたエピソードはよくできている。
古今東西、当初の計画や予定や正式な手続きや継承の慣例を無視し、抜け駆けたり出し抜いたりしたことで、事実上は掠め取ったにすぎないことでも祝福を与えられ権力を保持し続けつつ恨みや誹りを受けつづける代償をともなうエピソードを挙げたらきりがない。日本に絞ったとしても神話の時代から乙巳の変、壬申の乱、その他枚挙にいとまなしだ。
ただ、ある意味、井伊家は徳川家にとって重要な局面での矢面に立ち続けた忠臣ではある。幕末の開国と近代化へ踏み出すうえで矢面に立ったことからもそれは窺えるかもしれない。徳川四天王の一人として、未だに少なくない誤解を抱かれる代償も背負った重臣だった。


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