デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



スティーブン・キング作(山田順子 訳)『スタンド・バイ・ミー』(新潮文庫)読了。(本に所収されている『マンハッタンの奇譚クラブ』は未読)

日本語訳バージョンを出すのに際し、邦題では『スタンド・バイ・ミー』と改題されているが、原題は The Body で意味は「死体」である。
よく知られているようにこの中編小説はロブ・ライナー監督によって映画化され、1986年に公開(日本では1987年)された。小説の方が改題されたのは、映画と絡めて本を多く売りたかったからではないだろうか。

映画「スタンド・バイ・ミー」は私も見たことがあるし、作品として悪くないと思っているが、映画のイメージが強いこともあったのだろう、今回読んだ小説『スタンド・バイ・ミー』には違和感を覚えた。
映画はベン・E・キングの名曲「スタンド・バイ・ミー」をモチーフに作られているように思うが、原作は映画とは根本的な何かが違う。違和感を覚えたのはおそらく Stand by me というフレーズが小説の中では一切登場しないのではないか?と思わざるを得ないところにあるだろう。
まさかとは思うが、PENGUIN READERS版 The Body での Hailstones の章

‘Stay with me, Gordie,’ Chris said in a low, shaky voice, ‘Stay with me, man.’
‘I'm here.’
‘Go away now,’ Chris said to Ace, and he was able by some magic to get the shaking out of his voice. He sounded as if he was giving insructions to stupid child.


この場面で原作では Stand by me と言ってたりして?、などと邪推してしまった。だが万が一、原作の小説で Stand by me のフレーズが用いられていたら、それはもう作品として台無しだろう(笑)。
とどのつまり、 Stand by me というフレーズは小説の中心テーマどころか全体を表すものでもないし、ピンポイントで鮮烈な印象を残すような場面ですら用いられていなさそうだ。

では、タイトルが小説の全体像を表さないなら、作品のテーマってなんなのだろうと考えた。その結果、作品では子どもの頃に見た怖い夢や、少年の「死体」をめぐる強烈な体験からのトラウマといっていいほどの怖い夢はそれ自体が戦慄でありホラーで、それは自分の中から否応なしに湧いてくることそれ自体が恐ろしいことだ、といっているに過ぎない、と思うようになった。
いっているに過ぎないと書いたものの、描かれている内容自体は恐ろしいことであり、映画のような懐古とは程遠い。小説が発するものは「レイ・ブラワーの目」に雹が降る夢だけでなく、水中の手に引きずり込まれる夢が進路という名の人生のリアリティの隠喩も持ち合わせそれが死体探しの冒険に出た四人とそのうちの二人の末路に容赦のない現実を指し示していること、レイ・ブラワーが持っていたであろうバケツにこだわり大人になってもバケツを探しに行きたくなる個人的な執着は共感能力に乏しい他人には決して理解できないだろうこと、これらは混然一体となって大人になった語り手と読者に恐怖を間歇的に突きつけることに他ならない。
これはある意味、作家の初期作品『呪われた町』のような恐怖の対象がはっきりしていて戦いようがあるような恐怖とは異なり、ある意味最も性質(たち)の悪い戦慄でありホラーなのだ。この作品の凄味の正体は自分の中から否応なしに湧いて出てくるもののなかにあるのではないだろうか。
よって改題でつけられた『スタンド・バイ・ミー』というタイトルは作品本来のテーマからすると逸脱、作品の全体像や中心テーマの体をなしていないのでよろしくないのではないかと思う。



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