扶余に来た大いなる
目的の一つの石塔だ!
蓮池
中門址
定林寺址五層石塔(チョンニムサジオチュンソクタプ)
本によっては「五重石塔」となっていることもあるが、現地のパンフレットで五層石塔となっているので五層のほうを用いる。
扶余が百済最後の都だったこと、扶余の前は泗泚という名だったことは既に触れた。
今の定林寺址にかつてあった寺の沿革の一行目は、6世紀半ば(百済の)泗泚遷都と同時に創建、だという。寺は百済泗泚都城の建設と共に建てられたので、王室の興亡盛衰と共にあったともいえる。
660年、百済は唐・新羅連合軍に滅ぼされた。唐の蘇定方将軍は百済滅亡を記念し五層石塔に戦勝記念文を彫らせた。石塔の最下層の塔身部に「大唐平百済国碑銘」と刻まれているのがそれだ。
身体を乗り出して、首を伸ばしたら、なんとか分かる。正直にいえば、私には文字らしきもの、としか分からなかった。デジカメで撮ってみて、拡大してみてようやく分かるのである。いいカメラが欲しいなぁと思ったし、銘文を目にはしたがきちんと読めずまた見ていなかったといえてしまうのが、ちょっと残念だ。でも、石塔はじっくり見たので良しとしよう(笑)。
「大唐平百済国碑銘」以外にも文字が刻まれている面があるのは分かったが判読できなかった。