デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



沙湖堂古宅

月城孫氏の宗家の前に沙湖堂古宅を訪ねた(実際は月城孫氏の宗家だと勘違いして訪ねたら沙湖堂古宅だったのだ)。






昔は門だったのを塞いだのかも。ということはこの棟がかつての行廊棟(ヘランチェ)だった可能性が高い。





納屋も兼ねていた
雰囲気があった。



両班(ヤンバン)は科挙の試験を受けることのできる身分で、朝鮮時代の良洞村は両班の輩出した村として名を馳せた。
両班を輩出した家の昔の家屋が韓屋(ハンオク)の一典型でもあることは既に触れたが、昔の儒教に根ざした韓屋での日常として、客人が訪れた際の応対は使用人(奴婢(ノビ))が行ない、たやすく婦人が客人と接する事が無いようにしていた。
使用人は屋敷前の玄関棟に住んでいた。その棟を行廊棟(ヘランチェ)といい、いわば日本の長屋門にあたり、使用人部屋や納屋などがあった。画像では左に写っている棟にあたる。







沙湖堂





こちらの解説によれば、
沙湖堂は1840年にイ・ジェロ(1803-1879)によって建てられました。息子のイ・ヌンスンもこの家に住んでいました。
家屋は、アンチェ(女性の宿舎)、サランチェ(男性の宿舎)、ヘランチェで構成されています。良洞村の家は、一般的にアンチェとサランチェで構成される正方形のレイアウトにされています。しかし、この家は独特の間取りをしており、サランチェがアンチェの正面右隅に取り付けられています。
サランチェとアンチェをつなぐ部屋には、扉から取り出せないほど大きな穀物の瓶が置かれています。家が建てられる前にこの場所に置かれ、家の女性の権威を象徴していました。
とのことだ。両班の身分の家でも儒教的な家父長制を感じさせないつくりになっている家屋が存在する例だといえる。



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