デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



香遠池と香遠亭

もう一度神武門から入城した。


香遠池と香遠亭を少し見たあとその北側の建物に行ってみた。現地では気付かずに、また帰国してから潜在的に「見ておいてよかった所に、行ってたんだな」と思ってしまった建物だった。そこは乾清宮だったのだ。









乾清宮は1895年10月8日未明に三浦梧楼が日本守備隊や公使館警察などと糾合して実行部隊を王宮に侵入させ、閔妃(ミンピ)こと明成皇后を殺害した建物である。2007年に復元された。
中も特別公開するときがあるらしく、こちらの動画で中の様子が分かる。










1895年閔妃(ミンピ)が殺害された事件は韓国では乙未事変(ウルミサビョン)といわれる。
日本側は事件を大院君派のクーデターに見せかけようとしたが、事件の一部始終はアメリカ人軍事教官やロシア人技師らに目撃されていた。事件の国際問題化は避けることができなくなり、日本側はやむなく事件の関連者を逮捕し裁判を行なった。しかし事件関係者らは翌年の1896年1月には証拠不十分ということで全員釈放されている。
閔妃殺害事件後、全国的な抗日義兵活動が起こった。親日派内閣がその対応に追われている中、親露派の政治家たちはロシア公使にはたらきかけ、高宗にも王宮からロシア公使館に移るよう勧めた。高宗は勧めに従った。独立門の記事で触れた露館播遷である。

つづく


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 景福宮(5)   
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。