東寺へ
毎月21日に開かれる東寺の弘法市(こうぼういち)に行ってきた。随分前にも行ったことはあったが、市で扱われている品よりも日本初の密教寺院である東寺の建物に関心があった時期だったので、市を楽しんだのは今回が初めてだ。
南大門への幅が広い歩道にもこの日だけは露店が出ているので、向かいから来る人と少しすれ違うのに気を遣うがマナーはきちんと守られていた。
南大門
弘法市
たまたま日曜日ということもあり、多くの人出で賑わっていた。暑い中にもかかわらず、老若男女、日本人・外国人問わず本当に人が多かった。
グラスも含め陶磁器を扱う屋台、食べ物の屋台、植木の屋台、古着の屋台、骨董品の屋台、仏具を売る屋台もたくさんあって、とても充実していたが、一店一店足を止めたくなるし目移りするし、とても疲れる(笑)。境内および門から外に伸びる屋台を一通り見るだけでも1時間かかった。
陶磁器の種類も豊富だ
家の茶碗が割れてしまったので、今回の弘法市では新しい物を買うと決めてきたので置いてある品をじっくり見た。
店もいろいろ、値段もピンからキリまでいろいろだ。値札に10万円とあるさして大きくない陶磁器(明朝や清朝や朝鮮王朝時代の李氏朝鮮舶来品と謳っていたりする)もあれば、丹波篠山の陶芸まつりで見たような2000~3000円の茶碗、2000円くらいだろうと思えるような茶碗でも横に難しい字が書かれている木箱が置いてあるような品は45000円だったり、3つで500円の茶杯も置いてあったりする。
特に高価な値がついている品が足元にも置いてある店を見て回ったときは、うっかり触れて壊さないかどうか細心の注意が必要だった。屋台で見られる値が、それそのものの動かしがたい価値なのかは結局のところ分からないのだが、気を付けるに越したことは無い。
市では薄汚れた形でぞんざいに置かれているにもかかわらず、年代物の中国製と思わしき陶磁器もよく見かけた。白地に青で模様や人物や動物が描かれているので、「掘り出し物かもしれない」と淡い期待を抱かせる魔力もある。
陶器と磁器の区別もできない私がいうのもなんだが、もとは二つで揃いの一式だったり、セット売りだったものが様々な理由でバラになって、それが巡りめぐって市に出てきていて、仕入れ自体はタダ同然のものが1枚2000円で並んでいるようにも見えたりした。
品定めをしていると店の女将さんや主人としゃべることになるが、とある店でいろいろ兼用ができそうな500円の焦げ茶色の茶碗を手に取って見ていると、女将さんが堂々と
「どこから出てきたもんか分からへん代物(しろもの)」
と笑いながら声を掛けたきたのには私も笑って返事するしかなかった。たぶん、国内のどこかの窯元で作られた物だろうけど、まさかの舶来品かもしれない(笑)。どこどこの由緒ある品などといわず、「気に入ったら買って」とサラッと屈託なく声を掛けられると、かえって他の茶碗および並べられている品に引きつけられるところがおもしろかった。
また別の店では、横で店の主人と客の婦人のやりとりに聴き耳が立てざるを得なかった。
それは、一見するとそれなりに高そうに見える陶器があって、婦人が買う旨を伝えたら店の主人が
「これはどこどこの窯元の名をはせた職人の一品物の一つで4000円でも安い。扱ってるのはこれしかない」
と言うと、婦人がお碗の一部(底の部分の高台か畳付き?)がほんのちょっと欠けているのを見つけ指摘したら
「だったら、2000円ー♪」
と店の主人が悪びれもせず惜しげもなく言い放つ、新喜劇や漫才かよと思わせるような場面だった。
仕入れ値いくらなの?と横からツッコミたくなったが、逆に私が婦人の立場だったらいいカモだ。怖えー(笑)。内容的には異なるが、落語の「道具屋」や「壷算」みたいと思った。
めぼしいものをいくつか頭の片隅に置いてじっくり検討し、結局南大門から入って右に店を構えていた大阪から市に出店している店に置いてあった茶碗を買った。
後日、DIY用品や日用品を売っている店の大量生産品の茶碗を手に取ってみると、なんとなく違いが分かるようになった気になった。でも、何も知らされずに格付けチェックの要領でAかBか選べといわれたら、すぐに馬脚を露してしまうだろう。