扶蘇山を振り返る
朝に通ったであろうラウンドアバウト
霧であってもかすかに座像があったのは
分かったが誰の像かは分からなかった。
聖王像
百済の首都を泗泚に遷都した王である。遷都後にあとで紹介する定林寺が建立された。
警察署の前だったのだろうか?
パトカーが縦列駐車っていた。
朝霧がはれた扶余市外バスターミナル
もう一度、朝の騎馬像へ。朝とはまた異なる見え方になっていた。
階白将軍騎馬像
ここのラウンドアバウトの東西に走っている通りにはGyebaek-ro(ケベク通り、階白通り)という名が付けられている。
今にして思えば、扶余の中心の大通りの名が階伯路、聖王路、泗泚路、石塔路となっている理由が良く分かる。
この後、宿で昨日の洗濯物を荷物に詰めてチェックアウト手続きをし、論山出発時刻まで荷物を預かってもらった。本当に助かった。
乾いていなかった洗濯物(靴下とミニタオル)をザックの網ポケットに入れて日に当たるようにし、宿から石塔路に抜け、石塔路を北へ歩を進めた。