これまで「番所」から「大嶽(おおづく)」のルートは歩いたことは紹介した。
昨年の3月に、「番所」から「大嶽」のルートの対面にあたるともいえる(まだ行っていなかった)陣跡に行ってみた。
この図でいえば左の
山の上の二つの陣跡
北国脇往還(ほっこくわきおうかん)
小谷城跡の南側には今ではほとんど面影をとどめない街道の説明があった。
北国脇往還は木之本宿(滋賀県長浜市木之本町)で北国街道から分岐し、美濃国関ヶ原で中山道に合流する街道とある。
かつて小谷城下を通過する主要街道として戦国時代にも多くの武将が通り、お市の方が浅井長政のもとへ輿入れした際にもこの街道が使われたとみられ、信長が小谷城を攻撃するために辿った経路であった。
江戸時代には北陸諸藩の参勤交代のルートとしても使われた。大名だけでなく松尾芭蕉もこの街道を使った可能性が高く、伊能忠敬もこの街道を測量しつつ越前・加賀へ向かった。
小谷城跡の西ルートで
大嶽に向かう山道の入口。
動物の侵入を防ぐため、
通ったら必ず閉めて行くこと
との注意書きがあった。