デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




斜めに写ってしまった画像を見て思い出すのが、この列車というかこの路線のところどころに列車にしてはきつめの勾配になっているところがあるらしく、アユタヤに着くまでに二度ほど列車が縦にハズんだ。単にサスペンションがやわらか過ぎていたのかもしれないが。


田園地帯に差し掛かったようだ



気候のおかげもあってバンコク近郊の
農家では二期作を行なう所が多いそうだ。












また停車駅


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町なかではともかく郊外ではノーヘルだ



バイクも列車を追い抜いていく



広告のセンスがまたなんとも(笑)ただ
この菓子、コンビニでよく売っていた。






タイ北部のチェンマイ、ノーンカーイ、東部のウボン・
ラーチャターニーへの支線はアユタヤを過ぎてからである。


















水田の風景に変わってきた


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また停車駅



プラットホームと接するように食堂がある駅だ



冷蔵庫から取り出せる飲み物も売っているようだ



二度目の検札がきた。私が既に済ましていたことを
検札員の人がきちんと覚えていたのでスルーされた。

手前に写っているサングラスの男性が日本人に見えたので、タイ語で挨拶をしたあとに日本語で話しかけてもらえるかちょっと期待したのだが、現地の人だった。いくつか私の発音をにこやかに直してくださった。


郊外にも典型的な仏教寺院が。



乗降口から。池だろうか。水田かも。






自動車は速く、列車を追い抜いてゆく


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若い人も乗ってきた






売店には線路を跨いで行けそう



高架のバイパスか高速道路を作っていた









バンコクの経済が上向きであるかのごとく
駅と線路を拡張する工事も行われていた。












この辺りは十年もすれば現代的な建物が増えるのかも


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検札のようだ



手を合わせて「サワッディークラッ」と
挨拶したら敬礼で返事してくれて感激した。



止まらない駅もある



バンコクへの方角は渋滞か






停車駅



駅員の合図には旗が用いられていた



なんらかのイベント用の車両?



線路内から駅に向かう人もざら


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「故事新編」の『鋳剣』『非攻』『出関』を読みおえた。これで文庫本の藤井省三訳・魯迅『酒楼にて/非攻』(光文社古典新訳文庫)所収の作品全てを読んだことになった。
三作品とも中国の古典の中にエピソードを脚色した小説だが、作品にはそれぞれ
『鋳剣――眉間尺少年と黒い男の復讐の物語』
『非攻――平和主義者の墨子と戦争マニアの物語』
『出関――砂漠に逃れた老子と関所役人の物語』
といった副題がついている。私は『非攻』『出関』の副題を見ただけで、「あ、もうこれは笑いが約束された作品だろう」と予感めいたものを覚えた。
『鋳剣』は意欲作であると思うし、『非攻』は内憂を抱える中国に墨子を待望する魯迅の気持ちを感じるが、個人的におもしろく思ったのは『出関』かな、と思う。
『出関』の冒頭で老子のもとを孔子がうやうやしく訪ねてくる場面からしてなんだか笑みを生じさせるものがある。物語のクライマックス?の『道徳教』を老子が書かされる場面での老子と関所役人とのやりとりのなかで、老子の話しが耳にタコができるほど聞かされた面倒くさいもので、ひどい話、関所に集まった人間の大半にとって意味など分からなくてもいいのだといった役人たちの慇懃無礼な様が露骨に顕われるのだが、その様子がいかにも話しをせがんだはずの当事者が何を持って「ありがたがる」のかを滑稽に描いていて、ニヤリとしたくなる気持ちを覚えつつ心をチクリとさせる。
ここには当時の中国の現状を嘆いたり批判しようとする魯迅の姿はなく、単にどこの国でも偉い人やその人の話を聞きたがる者たちって実際のところこんな感じでしょ?といわんばかりの魯迅のユーモアが表れていると思った。

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越年読書であった瀬戸内寂聴訳の『源氏物語』を読了。いい歳になるまで読んだことなかったのに、読み終えた途端、『源氏』のことは知っておけ、とエヘンと偉そうに自慢げに言ってしまいたくなる。

「宇治十帖」の「夢浮橋」(分量としては少ない)に取り掛かったときに、終わらないで欲しいなと思ってしまったが、終わってしまった。
「浮舟」と「蜻蛉」を読んでいる最中、あぁこれM・プルーストの『失われた時を求めて』の第六篇「逃げ去る女」の展開じゃないかと思った。そして以前読んだ、『失われた時を求めて』と『源氏物語』が似通っていることを論じた本の内容までだんだん思い出してきて、その本が『失われた時を求めて』の薄情な主人公と「宇治十帖」の薫は似ていると書いていたことまで思い出せた。そして私も確かにあの主人公と薫が(今ならば)似ていると思える(笑)。ちなみにその本には恋人を忘れるスピードの速さが似通っているといった指摘があったように思うが、またいつの日か再読して確かめたい。
個人的には、『源氏』の薫の父の柏木も女三の宮に思い焦がれる余り、女三の宮のところにいたネコを貰い受けて代償満足を得ようとするところと、薫は大君の死によって恋の成就の望みが絶たれ中の君もものにできないとなったら大君の人形(ひとがた)を造ろうとまで言いだし、女一の宮(一品の宮)を恋慕した際は妻である女二の宮に女一の宮とよく似た衣裳を着せて愉しんだりするところは親子だなぁと思ったりし、また薫のやっていることは『失われた時』の主人公が憧れの夫人や恋人の生身の人がらよりも彼女らが身に着けているアクセサリーや衣裳に並々ならぬ関心を覚えていて、身に着けていた「品(しな)」がその女の印象を色鮮やか足らしめている嗜好と似ているように思った。
現代ならば、上のようなともすれば変態的行為に対し単に「アブない奴」、「ストーカー」、「異常」、「キモい」とかいって突っぱねレッテルを貼っておしまいとなるのかもしれないが、ただ、それはそれでやっぱり直情的で心が貧しいように思う。たとえ一時的に毛嫌いし直情的に突っぱねたとしても、時間を置いて文芸の力で持ってこれらの心理や感情の流れを疑似体験することは必ずしも悪いことではないだろうし、そういう意味で、平安時代も現代も所詮人間は同じようなことを考え同じことを繰り返しているのだと慮る視点を読書から得るのは有意義なことではないかと、改めて思える。
物語は原文で読むとしたら古文を読みこなすほどでないと読めない難しいものだが、内容自体は決して難しいものじゃないし、以前にも書いたような今でも巷に見聞きするまた自分も体験することもあるようなありふれた話が積み重ねられたものだ。昔から読み継がれ語り継がれた物語は今も生きているし、読んでいくうちに小説の中のキャラを自分に投影するだけでなく、近現代の小説への無意識的影響を与えていること、それが多大であることも分かってくるように思う。(個人的には、たとえば谷崎潤一郎の『細雪』の雪子は若き日の玉鬘みたいだし、妙子は浮舟の顛末のパロディかもしれないし、鶴子や幸子には朱雀帝や玉鬘のなりふり構わない我が子の婚活にやきもきする焦燥感が見えたりするのだが(笑)。)
とりとめがなくなってしまったが、とにかく日本が世界に誇る素晴らしい作品を読めてよかった。

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発車して数分もしないうちに気づいた



窓が全開にできるじゃないか(笑)









乗降口も開けっ放しのまま列車は走る



到着日の記事でも書いたが、窓を全開にできてそこから
顔を出すような体験って今の日本ではできないように思う。
ましてや列車の窓から顔を出して木の枝にあたりそうになる
ような体験などはなおさらである。南国での開放感やエキサ
イティングな気持ちはこういった瞬間に味わえるように思う。









都心から離れるにしたがい、トタン屋根の家屋が目立ってきた。
経済的な格差はまざまざと存在していることを思い知らされる。



線路のすぐ傍でも屋台が


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あるサイトのクルンテープ駅で「アユタヤまで1000バーツ」と大声で
叫んで日本人相手にボロうとするおばさんがいるという記事を読んで
いたが、幸いにも遭遇しなかった。もう少し後の時間だとわからないが。



7番ホーム



たしかにR.135 06:40発とある。
ボードでの表示ってのがいい。












日本では車両に乗り込むところが乗降口となっている
列車は見かけないけど、外国では今でもけっこうある。









大きい荷物を棚の上に置く客も多い。



三等席のシートは一昔前の日本の車両のよう



列車が動き出した


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屋台で串焼きとタイ米のおにぎり(味付けなし)を買って朝食にした。食べ終わった後、再び駅へ。犬が腹ばいになって迎えてくれた(笑)。



占い?おみくじ?の機械か。

 



表示された番号のおみくじを自分で持っていく方式?(笑)

 



さっきの駅ネコが

 



タイの近代化を推進したラーマ5世の肖像
タイに鉄道をもたらしたのこともラーマ5世の功績だ



プラットホームへ

 


 



この駅舎はドイツのフランクフルト駅を模しているという



たぶんディーゼル機関車。昔の型
みたい。なつかしい気分にさせる。


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