デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



風化したにせよ、オリジナルの型が
あまり留められていないところは悲しい



しかし見ようによっては現代彫刻ぽくも映る



または「巨神兵」?(笑)


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留学生とのハイキング

留学生とのハイキングを山の麓にある大学が企画したみたいで、祝日に多くの若者が登ってきていた。外国語も飛び交っていたが留学生の流暢な日本語も聞こえてきた。すごいな、と改めて感じた。


その翌日の夕方

その翌日、イギリスの大学で必修ではないものの日本語を二年勉強し、また独学でもさらに二年間勉強を続けたイギリス人青年が登ってきた。いつもの体操をしながらいろいろなことを話したが、東京の印象や京都の印象を的確な表現で語っている姿にただただ驚くばかりであった。その場にいた友人が英語と中国語は文法が似ているということを話題にすると、その青年が興味深げに聞いていた。彼はしばらくしないうちに中国語も身に着けるかもしれない。

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仏陀の像が彫られているのがわかる



プラーンにピントを合わすと背景が
真っ白になるくらい陰影がついていた


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野球のワールド・シリーズで今年も話題になったヤギの呪いだが、カブスがシリーズ制覇ということで呪いが解けたという記事が紙面を踊っていた。
呪いをかけた一族もカブス優勝を喜んでいるニュースも流れ、もう呪いの話はすべて解消されたのではと思っていたら、今度はチャーリー・シーンの呪いなんてものがあることを知った(笑)。さらにこのポストシーズンで新たに生じた呪いとしては、カブスとプレーオフで対戦したSFジャイアンツのファンがヤギの被り物をしてカブスを負かそうとしたが、逆にカブスが勝ってしまったゆえに呪いはジャイアンツに行ってしまったというのものがある(笑)。
それにしてもアメリカ人を十把一絡げにして論じることはできないとはいえ、アメリカ人って反知性主義的でプラグマティズム(道具主義)な、神は信じてはいるが反面神を自分が生きるための道具にしているような人が多いので、「呪い」などという非科学的なものは一切信じていないようなイメージを持っているのだが、今回のワールド・シリーズで、(心底から「呪い」を信じていないだろうとはいえ、)いざポストシーズンの機会といった胸騒ぎを覚えるきっかけが訪れると不合理なものや超現実的で非科学的なものへ一斉にさも最大の関心事のごとくファンが意識を向けてしまうさまはおもしろいな、と思った。ある意味、迷信信者(多くのファン)がTVに釘付けになり、MLBはファンの関心を集めて莫大な利益を得たことになるから、まさに儲かったわけだ。
迷信ついでにカブス優勝の立役者である未知なるパワーについていうなら、川崎選手の例えがたい存在感に加え、私個人はカブスは108年の間に1年に1つずつ煩悩を減らしていったから、悟りの境地に達したのだと思っている。

追記:映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」で描かれる2015年にはカブスが優勝と「予言」されていたが、こればかりはピタリと一致しなかった。ただ誤差がたったの一年というのはこれもまた神秘のネタになっていくのだろう。

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昨日はとてもいい天気で空気が澄んでいた







先々月から日が短くなったなと感覚で分かるようになってきた。夕方に登る日はライト持参しているけれども、ここに登ってくる人の中にはスマホのライトを使用している人も多い。
ただスマホは山で写真を撮ったりアプリを使用しているうちにバッテリを消耗していることも多いので、暗くなってからの下山時にバッテリ切れを起こすことがままある。
バッテリ切れを起こした人と一緒に下山することが二回ほど続いた。下りながら話すことといえば山に関するマイナー知識が多くなった。そういうときは普段から話す年配の方々の話が、いつの間にか耳学問となっていることを自覚できる機会でもある。

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