デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



バス203番。月曜の
村方面は空いていた。

乗車の際、ドライバーのおじさんに「양동마을입구(良洞村入口)」 のメモを見せたら明るく 네(ネー、はい)と返事してくれたので席に着いた。ドライバーは信号待ちの際、親子で横断歩道を渡る小児に手を振ったり、最前列に座っていたおじさんの乗客と喋ったりと、普通に私にも声を掛けてくれそうな気がしたので、きちんと村で下車できる気がしてきた。
また運転は加速も減速も緩やかで急発進・急停止が一切なかったので心穏やかに乗っていることができた。この旅行での初めての一番まともな市内バスだった。
(書き忘れていたが、一昨日の夜の慶州到着の時のバスドライバーは、降りたいバス停のメモを見せて訊いても返事をしたのか、していないのかはっきりせず、とにかく無愛想だな、という印象しか抱かなかったものだ)


昨日と違い、朝の日の光が眩しかった。



昨日は午後2時くらいまで雨だったこともあり、移動中はテンションが下がっていたのでそのギャップもあったかもしれないが、天気が良く、バスに乗っている間、旅をしてる~という感じがようやく自分の中で湧き上がってきた気がした。入国してから2日間は何とか計画通りに宿に着けるように、常に「いついつまでに」という感覚がついて回っていたのかなぁと思った。



バスはどんどん郊外に走って行くが、途中の田舎の風景に溶け込むようなバス停から地元の人が乗車する際、交通カードを使わずに現金を料金箱に入れるのを見て、なんだかホッとした。現代の流れというか、あらゆる支払いがカードやスマホで決済されるようになっていくことに正直どこか抵抗感を覚える私としては、CC決済がいち早く浸透した韓国でも、このような光景が見れてよかったというか。

ゲストハウスの前から40分くらいで到着した。ドライバーのおじさんが明瞭な声で「ヤンドンマウル」と私に伝えてくれた。


一応、203番のバスの時刻表を撮っておいた。203番は夜20時台の分を除いて、朝や昼間は大体1時間10分から2時間に1本の運行のようである。
この時刻表の見方だが、「3」の行の慶州ターミナル発09:15(太文字になっている)が私の乗った便なので二つ横のヤンドンマウル09:50が私が村に到着した時間である。
「4」の行の復路のバスが最初の駅を11:40(太文字になっている)に出発なので、これが村に来るのが12:00、村から慶州に戻るバスに乗るのは正午と決めた。
マジックで手書きで
「10분 잊찍 나와 꾸씨요!」
と書いてあるのだろうか? 「10分」しか分からなかったので、10分前にはバス停に来ておいた方がいいのか?と勝手に解釈した。


観光バスが停まっていた。
駐車場もきちんとあるし、
団体客も訪れれるように
きちんと整備されているようだ



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昨日の朝とは異なり、晴れそうな天気だった。
昨日と同じように朝7時に起床し、ダイニングスペースで朝食の準備が始まるまでの間、一日の計画を練った。ピン子と三毛が寄ってきたが、部屋の貴重品ボックスにカメラを置き忘れていて、ネコたちが遊ぶ姿を写せなかったのが悔しかった(笑)。
まもなくして同部屋のフランス人がデカいバックパックを担いで下りてきて、レセプションに誰もいないのを見て、私に挨拶だけしてさっさと出発した。
私もチェックアウトの日だ。今回のゲストハウスは宿を後にする前に自分の使用した枕カバーとシーツを所定の回収籠に入れておけばいいし、そもそもルーム・キー自体を設けず、客は貴重品を入れるボックスの鍵だけ管理し、宿を発つ時にきちんと宿に返しておけば、もうチェックアウトはレセプションが居なくても11時までに勝手に宿を後にしてよい方式だったので、随分気軽だった。

朝食の前からけっこう悩んだことがあった。
この旅で行ってみたい所に、ガイドブックには良洞民俗村と紹介されていることも多い양동마을(Yangdongmaeul 良洞村)があった。ネット上にはバス203番を利用すれば慶州と村の往復の移動も含め合計4時間でなんとか観光し慶州に戻ってこれるという、個人で村を散策した記事が結構あるので、私だって村に行って帰って来れると思ってはいた。
けれども、夕方から宵の口には釜山に向っていたいことから、もし村が辺鄙すぎる所だったとしたら?とか、事前のネット上の情報が私がバスに乗る2022年10月末の時点で正しいものなのかは誰も保証してくれないわけだし、バス203番が乗れなかった場合の別のバスの(復路の)バス停が見つけられなかったら?、などと自分の中で不安要素を誇大にして考え、あげく「リスクをとるよりは慶州市内を観光し、いつでもバスターミナルや新慶州駅に行けるようにしたほうがいいのではないか?」と一人思い悩んでいた。
8時前になりスタッフがやってきて、軽く挨拶した。昨日同様、朝食の準備を終えるともうさっさと居なくなるスタッフだった(笑)。
朝食を摂りながら、同時に昨日の夕食前に十中八九決めていた事を思い出した。バス203番がきちんと時間通りに来たら乗車し、その際ドライバーに紙に大きく書いた「양동마을입구」の文字を見せて確実に行くと分かったらもう行ってしまおう、村で時刻表が無かった場合は散策を1時間早く切り上げたら良い、と決意していたではないか。
部屋に戻り、自分の荷物を整理し、使用した枕カバーとシーツは回収籠に入れた。
8時半ぐらいから朝食を摂り始めた西洋人のグループの声が聞こえるなか、ネットの情報にあるバスの時間までは、バスのドライバーに見せる
「양동마을입구(ヤンドンマウルイック(良洞村入口))」
と書いた紙をこしらえたり、レセプションに荷物を預かってもらおうなどといろんなことを考えながら待った。
ただ、慶州を発つまでの間の荷物預けスペースの使用については、やはりスタッフに一言断っておいたほうがいいと思った。場合によっては携帯電話の番号を控えたりタグの取り付けや引き換え票を渡されることもあるからだ。スタッフが現れるまで待ってみたが、一向に現れない(笑)。結局、朝食の準備をしたあと居なくなったスタッフは戻ってこなかった。
荷物を全部村に持って行ってもいいや、と決めた。預かってもらえたらと考えていた荷物といっても、折り畳み傘1本と衣類数枚分と本2冊とデジカメの充電器ぐらいで、総重量は3kg強程度だし、また、村から市内に戻ってきてもゲストハウスに寄らず、そのまま古墳群や釜山へのバスが出てるバスターミナルに直行すれば時間的にも効率がいい。こういう時、日本を発つ前に荷物を極力減らした冥利に尽きるように思うのだ。
(ちなみに今回の旅行ではLCC利用というのもあり、50cm×40cm×15cmのハイキング用のリュックに(サブのバッグを含め)すべての荷物を詰め込めるようにしていたので、当然お土産を詰め込むスペースは無かった。LCC利用もメリットとデメリットがあるものだ)


バス停に着き、2分くらい待ったら203番が来た。ええい、ままよ!と乗った。



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よく楽器を弾いていた頃、坂本龍一氏の曲を演奏したことはないものの、なんというか日本の現代音楽シーンにすごい影響を与えたことだけは分かっていた。
映画やヒーリングミュージックのCDで氏の曲は耳にする程度だったし、俳優としての活躍している姿も映画などで見た程度だったが、存在感というか印象には強く残った。
バート・バカラック氏につづいて音楽界の巨人がまた逝った。ご冥福をお祈りいたします。


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宿に戻る10番のバスに揺られつつ、(遅い昼食で腹いっぱい食ったことだし)夕食は昨日同様PARIS BAGUETTEでサラダとクロワッサンを1個買うことに決めた。
東宮・雁鴨池でCCが使えなかったし、店の前で「もしカードが使えなくなっていたら?」などと思ったが、昨日同様CC払いできた(笑)。昨日普通に使えたカードが同じ店で今日は使えないなんてことは、余程の事がない限りあり得ないので当然といえば当然なのだが、また一気に不安が解消した。
宿に帰ったら、昨日の日本のグルメについて熱く語ってくれたスタッフが「こんばんは!」と迎えてくれた。
共有スペースのフカフカのソファに座って、現金の残額と帰国日までに必要な額を大まかに、かつ、ちまちまと計算していたら、まさかのYさんから声をかけられた!
朝にお別れの挨拶をしたし、昼間のうちに釜山へ発たれていると思っていたので、「またお会いできるとは思っていませんでした!」と声に出して驚いた。Yさんはチェックアウト後に宿で荷物を預かってもらい、夕方以降に慶州を発つことにしていたのだという。昨日、日本の食に舌鼓を打ったとお喋りをしたスタッフにYさんとの記念写真を撮ってもらうため、デジカメを渡したらスタッフの彼がスマホに慣れすぎてデジカメのボタンを押しづらくしているリアクションが印象に残った。スタッフもYさんが気に入ったようで、昨日の話しの続きを始めた(笑)。5分ほど日本の話をしたあと、Yさんは出発された。スタッフと私は宿から出る彼の後姿を見送った。
さっきまでの「ちまちま計算」をさっさとやめて、ダイニングスペースに行きサラダとパンの夕食を摂り始めた。ピン子がまた私の傍に寄ってきてくれた。

サラダをつつきながら明日の予定を考えつつスマホとにらめっこをしていると、斜め前に座っていた初老の髭のおじさんが「日本人ですか?」と日本語で訊いてきた。
正直、驚いた。お話しを伺っていると日本には3回ほど行って、京都・大阪・神戸・滋賀のみならず、長野県の立山や岐阜の白川郷に行って素敵な時間を過ごしたことがあるという! 日本語はどちらで?と訊くと、「自分で(学んだ)」とのことだ! その日本語はたとたどしくも十分通じるもので、私よりも年上の方が?というのもなんだが、とても驚いた。
Yさんが出発されてから、一人ポツンと少しさみしかった私は、正直恐る恐るではあったが思い切って「독학으로?(トッカグロ?(独学?))」と訊ねた。今度はおじさんが驚いてくれた。ハングルできるのですか?と訊かれ、「ハングンマルルヌン・ハルス・オプスムニダ(韓国語では、できません)」(正しくは 한국말을 할수 없습니다.(ハングンマルル・ハルス・オプスムニダ.韓国語はできません)」と、外国旅行であるあるの「I can't speak English.」みたいなことをやらかしたが、おじさんは韓国は何回目か? 韓国のどこに行ったのか? と興味を持って訊いてくれるので私も精一杯ハングルで答えた。처음(チョウム(韓国は)初めて) とか「부여에 갔다 왔어요.(プヨエ・カッタワッソヨ、扶余へ行ってきました)」と表現が合っているか確信ないまま答えた(おそらくカッタワッソヨはきちんと言えてなかった気がする)。やっぱり扶余の発音は通じなかったのでガイドブックの扶余のページを見てもらったら、おじさんはまだ扶余は行ったことがないようだった。
この時、「百済(ペクチェ)」や「歴史」などの表現が出て来なくてもどかしかったが、おじさんが「日本語は難しいよ」と言ったので、「한국말을,어려워요.ハングンマルル・オリョウォヨ(韓国語(も)難しいですよ(笑))」と返したりしていたら、一気に場が活気づいた。昨日、日本のグルメについて熱く語ってくれたスタッフが、「漢字は大丈夫、ひらがなも大丈夫、でもカタカナはどうしても分からない」と言ったので、私は「カタカナを目にしたら어떻게 읽어요?(オットッケ・イルゴヨ? 何と読みますか?)とつぶやいてしまいますか?(笑)。(私なんか)パッチムやハングル文字見るだけで어떻게 읽어요?と常に思ってるよ」とジェスチャーつきで語った。
外国語にとっかかり時の表音文字を見慣れず意識的に構えてしまう体感というか、あの特有の感覚は大いに共感できた気がした。少なくとも彼の気持ちが分かったし、私も分かってもらえたように思った。

おじさんのお連れの女性がこの日誕生日とのことで、急遽ゲストハウスのスタッフが自分たちの夕食を多めに作ってお二人にも振る舞い、またロウソクとバースデーケーキを用意するという粋な計らいを行なった。すると、おじさんもスタッフも「あなたも(夕食)どうですか?」と訊いてくれたので、少し遠慮がちな気持ちになったが「(いただきます!のつもりで)カムサハムニダ!」と返事した。


とても美味しかった!


食堂や屋台以外の現地の若い男性の手料理をご馳走になるのも、そして「ハッピーバースデー・トゥー・ユー」の韓国語バージョンを生で聴くのも初めてだった(笑)。


そのあとのおしゃべりで、スタッフから英語で「日本ではいつを新年とするのですか?」と訊かれた。今では旧暦を使わないという英語の表現を知らなかったので、携帯していた自分で作った会話集や韓国の文化風習が載っている会話集を取り出し、「日本では설날(ソルラル、陰暦の正月。구정(クジョンともいう))ではなく、신정(シンジョン陽暦(新暦)1月1日)ですね」と、なんとか(おじさんにフォローしてもらいながら)言い、새해 복 많이 받으세요.(セヘ・ポン・マーニ・パドゥセヨ(韓国での新年の挨拶)は「일본말로는 ”明けましておめでとうございます” 라고 해요.(イルボンマルロヌン・明けましておめでとうございます・ラゴ・ヘヨ(日本語では「明けましておめでとうございます」と言います))」、と言ってから旅行会話集のページを開いて見せた。手作りの会話集や書籍はこういう時、とても役立つし助かる。スマホでそういった類の説明のサイトを手間取りつつ検索して提示するより、サッと、はるかにアナログ的感覚でお互い捉える事ができるように思った。そして数ヶ月前に読んだ本に出てきた“日本は陰暦での季節の楽しみ方を捨ててしまい忘れ去ってしまった”、みたいな記述がチラと頭に浮かんだ。
ゲストハウスでは自分で使用した食器類は自分で洗うのがルールだが、上機嫌になったおじさんが「よし食器類や鍋類は私が洗ってやろう!」とおっしゃってくださったので、スタッフともども私も拍手とともに感謝し、私もせめてテーブルの上のものの後片付けや拭き掃除を手伝い、スタッフとおじさんと女性に「잘 먹었습니다.(チャル モゴッスムニダ,ごちそうさまでした)」とお礼を言った。こんな体験させてもらって本当にいいのか?と、有りがたい気持ちになった。
絵葉書を書くためダイニングルームから一つ下のフロアに下りた。親子の宿泊客の子どもがフロアに設置されているゲームに夢中になっていて、そのサウンドと子どもの叫び声が響いていた。絵葉書の内容は、関空に向う途中の「移動の自由の素晴らしさ」などとはかけ離れたものになった。
部屋に戻ると昨日と同じメンツは私と大きい体躯のフランス人男性だけで、新たに二人チェックインしたようだ。二人とももう布団に包まって休んでいたので、なるべく音を立てずに寝る準備をし、消灯は私が行なった。



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