環状八号線外回りは杉並区清水3丁目あたりから井荻トンネルに入り、トンネル内で右側に進み、練馬トンネルへと進んで行く。
この部分は何度か往復したことがあるのであるが、ふと不思議な事に気がついた。
トンネルの南側の出入り口付近は、片側2車線ずつに並んでいるが、トンネルの中のほうで対向車というものには出くわさないので、内回りと外回りは別々に壁で区切られているらしいと思った。
それで、外回りが片側2車線で北に向かって進むと、トンネル内で2股に分かれ、左側の車線は直進して笹目通りとなり谷原にでる。右側の車線は右にカーブして練馬トンネルに続いていき、こちらが環八本線だが、その右に曲がったと同時に地上に出る側道もある。本線はその先また2車線になって、長い直線の練馬トンネルがつづく。
不思議なのは、この2股に分かれ、右に曲がるときに、対向車線を超える必要がないのはなぜなのだろうかということだった。つまり、立体交差しているってことなのだろうと思った。
さて、今度は逆向きに走ったときであるが、外回りがトンネル内で二股に分けれているにもかかわらず、内回りは、トンネル内で合流している気配はないのだ。トンネル内で合流するなんて怖いし、気づかないはずがなさそうなものだ。
そこで、YouTubeや地図と記憶などを駆使して調べてみたところ、内回りの場合、「環八南田中」という地上の交差点信号で環八通りと笹目通りが一緒になっているということがわかった。そういえば、練馬のほうからトンネルに入って進み、一旦地上に出ると、広々した部分に信号があり、その先車線がどう続いているのか一瞬わからないように左カーブした場所があり、路上に「本線」などと書いてあるのを頼りに進むところがあったが、どうやらそこが「環八南田中」のようである。ちゃんと信号があるので、危ないということはないわけだ。
外回りは、井荻トンネルと練馬トンネルはつながっているが、内回りは、一旦地上に出て2つのトンネルはわかれているということになる。いや、これはあまりにも判然としたことであり、何度も走っていて今頃気がつくようなことではなく、普通の人なら1回走っただけでわかることのなのかもしれない。
まあ、自分のバカさはしかたないとして、
このトンネル構造が知りたくてwikiなどを調べていたら、環八通りは、井荻トンネルができる前は、西武新宿線井荻駅のところの踏切が開かずの踏切であり、そのことによってひどく渋滞していたとのことだった。ラッシュ時は1時間に46分も踏切が閉まっていたというので、それは大変なことだ。
そういえば、昔、荻窪からバスに乗ったことがあるが、清水3丁目あたりに着くまでに1時間くらいかかったことがあった。今では10分くらいだろう。当時は、環八の車線の中央で、いつも工事をしていて、何の工事なのか知らなかったし、通るたびに何年も状況が同じなので、永遠に続くものだと思っていたくらいだ。
結局のところ、1997年に井荻トンネルができたのは、着工してから15年後くらいだったらしく、練馬トンネルまですべてが完成したのが2009年で、全部で27年くらいかかったらしい。大変な工事だったんだなと思う。できあがったものは、かなり素晴らしいと思う。
井荻トンネルは西武線と環八の立体交差のみならず、早稲田通りや新青梅街道・千川通りなどとも立体交差しているため、その距離は非常に長い。そして、地上部分は側道ということになった。そして、井荻駅のところでは、側道が線路の上を立体交差しているようである。確かに、新青梅街道などを通って井荻駅付近に曲がると、道路が一旦高い所に上がったような記憶がある。
環八の井荻駅付近では、踏切というものはなくなり、歩行者も地下道のようなところを渡るようになったようだ。
練馬トンネルは、なぜ必要だったのかと地図を見てみると、こちらは西武池袋線と立体交差している。練馬トンネル内は長い直線で、交通量は井荻トンネルより少ないので、まるで高速道路のようだ。法定速度は60キロだけど、それ以上出す車がほとんどである。
そのため、速度違反の取り締まりもよく行われるらしい。
今日は、取り締まりはしていなかったが、私が練馬方向に向かって第1車線を60キロ以上で走っていたら、第2車線を原付が抜かして行ったので驚いてしまった。このトンネルは原付は走行禁止だし、50CCだったら60キロも出していいわけない。原付2種(125cc)というものだろうか?すごく小さく見えたのだが・・・。
この部分は何度か往復したことがあるのであるが、ふと不思議な事に気がついた。
トンネルの南側の出入り口付近は、片側2車線ずつに並んでいるが、トンネルの中のほうで対向車というものには出くわさないので、内回りと外回りは別々に壁で区切られているらしいと思った。
それで、外回りが片側2車線で北に向かって進むと、トンネル内で2股に分かれ、左側の車線は直進して笹目通りとなり谷原にでる。右側の車線は右にカーブして練馬トンネルに続いていき、こちらが環八本線だが、その右に曲がったと同時に地上に出る側道もある。本線はその先また2車線になって、長い直線の練馬トンネルがつづく。
不思議なのは、この2股に分かれ、右に曲がるときに、対向車線を超える必要がないのはなぜなのだろうかということだった。つまり、立体交差しているってことなのだろうと思った。
さて、今度は逆向きに走ったときであるが、外回りがトンネル内で二股に分けれているにもかかわらず、内回りは、トンネル内で合流している気配はないのだ。トンネル内で合流するなんて怖いし、気づかないはずがなさそうなものだ。
そこで、YouTubeや地図と記憶などを駆使して調べてみたところ、内回りの場合、「環八南田中」という地上の交差点信号で環八通りと笹目通りが一緒になっているということがわかった。そういえば、練馬のほうからトンネルに入って進み、一旦地上に出ると、広々した部分に信号があり、その先車線がどう続いているのか一瞬わからないように左カーブした場所があり、路上に「本線」などと書いてあるのを頼りに進むところがあったが、どうやらそこが「環八南田中」のようである。ちゃんと信号があるので、危ないということはないわけだ。
外回りは、井荻トンネルと練馬トンネルはつながっているが、内回りは、一旦地上に出て2つのトンネルはわかれているということになる。いや、これはあまりにも判然としたことであり、何度も走っていて今頃気がつくようなことではなく、普通の人なら1回走っただけでわかることのなのかもしれない。
まあ、自分のバカさはしかたないとして、
このトンネル構造が知りたくてwikiなどを調べていたら、環八通りは、井荻トンネルができる前は、西武新宿線井荻駅のところの踏切が開かずの踏切であり、そのことによってひどく渋滞していたとのことだった。ラッシュ時は1時間に46分も踏切が閉まっていたというので、それは大変なことだ。
そういえば、昔、荻窪からバスに乗ったことがあるが、清水3丁目あたりに着くまでに1時間くらいかかったことがあった。今では10分くらいだろう。当時は、環八の車線の中央で、いつも工事をしていて、何の工事なのか知らなかったし、通るたびに何年も状況が同じなので、永遠に続くものだと思っていたくらいだ。
結局のところ、1997年に井荻トンネルができたのは、着工してから15年後くらいだったらしく、練馬トンネルまですべてが完成したのが2009年で、全部で27年くらいかかったらしい。大変な工事だったんだなと思う。できあがったものは、かなり素晴らしいと思う。
井荻トンネルは西武線と環八の立体交差のみならず、早稲田通りや新青梅街道・千川通りなどとも立体交差しているため、その距離は非常に長い。そして、地上部分は側道ということになった。そして、井荻駅のところでは、側道が線路の上を立体交差しているようである。確かに、新青梅街道などを通って井荻駅付近に曲がると、道路が一旦高い所に上がったような記憶がある。
環八の井荻駅付近では、踏切というものはなくなり、歩行者も地下道のようなところを渡るようになったようだ。
練馬トンネルは、なぜ必要だったのかと地図を見てみると、こちらは西武池袋線と立体交差している。練馬トンネル内は長い直線で、交通量は井荻トンネルより少ないので、まるで高速道路のようだ。法定速度は60キロだけど、それ以上出す車がほとんどである。
そのため、速度違反の取り締まりもよく行われるらしい。
今日は、取り締まりはしていなかったが、私が練馬方向に向かって第1車線を60キロ以上で走っていたら、第2車線を原付が抜かして行ったので驚いてしまった。このトンネルは原付は走行禁止だし、50CCだったら60キロも出していいわけない。原付2種(125cc)というものだろうか?すごく小さく見えたのだが・・・。
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