山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

年寄りの不可思議

2014-05-12 23:23:53 | 日記
実家の母は、とくに病気もなく、ボケてもいないようだが、時に「?」と思うことがある。
やはり、加齢のせいかな?

例えば、テレビで映画とか2時間ドラマとか、まとまったストーリーのものをかなり真剣に見ていたにもかかわらず、最後の最後にきて、あと5分か10分で終わるところで、席を立ち風呂に入ったり、片付けを始めたりと、ドラマの最後の部分を見るのをやめるのだ。
大部分を見ていて、最後の最後を見ないんじゃ意味がないと思うのだが、母が言うには「もうわかったからいい」とのこと。そりゃあ、だいたいのところはわかったにせよ、このドラマをどうやって閉めくるるのかは、私としては決して見逃せない部分であり、ここでやめたら、これまで見てきたものが水の泡になるかとも思えるのだが、年を取ると、もう最後が見えてしまうのだろうか?
母の判断では「最後は見なくても予測できる」という意味のようであるが、そこで集中力がぷつっと切れることが不思議でならない。

そういえば、ゴールデンウィークに実家に帰ったときも、チャンネルを回すと、ネガティブモデルと呼ばれる栗原類が、自分のルーツである父親のことを訪ねてイギリスを訪れた番組をやっていた。途中からだったので、それまでのことはわからないのだが、イギリス人である彼の父は結婚もしないまま、24歳で亡くなってしまい、母親が彼を育てたらしきことがわかった。父親は息子が生まれた事は知っていた。類と言う名は、ルイ・アームストロングから採られたものだった。などということがわかった。
ここで、実家の母も、栗原類については知っており関心を持っていたようだが、類の父が、身ごもった日本人の母との結婚を選ばなかったところまでを見たところで、「もうわかったからあとは見る必要がない」と言って席を立ってしまった。
私としては、彼の父と母がどうやって出合い、どうして別れてしまったのかという詳しい経緯と、父はどのように思っていたのかという気持ちをもっと詳しく知りたいところであり、そこで見るのをやめるとは、まるで信じられなかった。
いったい何がわかったというのであろうか?どうも理解できない母の行動だ。

どうも、見きりが早すぎる。
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