山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

手打ちそば 茂右衛門

2009年03月05日 | 蕎麦
月山ダムで知られている西川町。
山懐に硬い田舎蕎麦を出す店があると聞き、はじめて訪れたのは昨年の2月か3月の頃でした。
真っ白い雪に埋もれてようにして、民家が立ち並んでいました。
歩く人も見当たらず、ここのはずと思う場所はただの民家で、営業している雰囲気は微塵もなく、不思議な気分で集落を後にしたのでした。

雪解けの4月末、再来。
「やっぱり、ここだったんだ!」

やっとありつけそう…あの時は、本当ホッとしました。
2時間以上車を走らせ、硬い蕎麦は嫌という相方を説得して来たのです。
店主は方々で「硬い田舎蕎麦」とPRしています。
好奇心旺盛な私の期待が高まります。

「お薦めはこれよ!」
ごく普通の民家の座敷にあがり、店主の奥さんのお薦めに従い注文しました。
生活感丸出しの部屋に通されて、相方はちょっと白けているようです。
冬期は休業で、4月のこの連休から本格的に営業を始めたようでした。

渡る風が爽やかに、春の山の緑の香りを運んできます。
「やっぱり、春っていいなぁ~。生きているっていいなぁ~」
そんな気分になりました。
「そうね、あとはここまで来て蕎麦が美味しければねぇ!」と相方。

「おまちどーさま~」
奥さんが天婦羅を運んできました。



さて、揚げたての天婦羅は値段の割に期待以上。
大きな海老もうれしいですが、タラの芽やコシアブラなど、まだ心持ち早い旬の山菜が並んでいました。
えぐさは全くなく、山菜独特の香りや甘みが舌から鼻孔に突き抜けていきます。

板そばが運ばれてきました。
太めの蕎麦でコシがあり、噛めば噛むほど蕎麦の香りがいっぱいに広がり、汁が負けじと受け止めます。
蕎麦の香りと食感と汁の三位一体の攻撃に「参りました」の一言しかありません。
先に天婦羅を頂いた後でも、蕎麦の存在感は全く薄れないのが不思議です。

相方も気に入ったようです。
昨年は、3回来店しました。

二回目は時期限定の「寒ざらし蕎麦」を打っていただきました。
天婦羅と合わせるなら、ちょっと物足りないと感じました。
寒ざらし蕎麦は甘味が強いけど味はおとなしめで、旬を閉じ込めた天婦羅の存在感の強さには、負けてしまいます。

三回目は、新蕎麦の時期に食べに行きました。
その日は「出羽かおり」を使った蕎麦でした。
蕎麦打ちにとっても新蕎麦の時期は特に気合いが入るようで、偶然ご主人の志を垣間見る機会にも恵まれました。
「私自身は、もっともっと硬い蕎麦を打ちたいのですよ」と意気込みを語られていました。

感動したのは、はこんなヒストーリーでした。

先日わざわざ遠方からのお客様に、この蕎麦は半茹でどうしてこんなに適当な蕎麦が出せるのか?と聞かれてハタと困ったと。
お客様は仙台の方で、仙台の蕎麦といえば麺が細い更科系が主流で、硬いのはゆで加減が足りないためと勘違いした。
仙台のお客様も多い中で、この太くて硬い蕎麦は受け入れられ難い存在にある。
だが、山形の蕎麦文化はそれとは違う。
その違い、本来の山形蕎麦の文化を自分は守っていきたい。

素晴らしい職人魂です。
蕎麦を食べれば、それが飾りのない本心だって不思議と共感できます。

私の母よりかなり年配だと思いますが、茂右衛門さんの奥さんが、バタバタと天婦羅や蕎麦を運んできます。
天婦羅はあついうちに、蕎麦は茹でたてのうちにという配慮からです。
いつも忙しい姿に手伝いを申し出たい程ですが、夫婦で頑張っているお店です。

基本的には奥さんが天婦羅役、旦那様が蕎麦役です。
つゆは、4か月かけてねかしているそうです。
このお店では、それらが何一つ欠けることなく、これからも調和し続けていくのでしょう。

春になったら一番に訪れたい、大事なお店です。



店名 手打ちそば 茂右衛門 (もえもん)

住所 山形県西村山郡西川町大字大井沢2138

営業時間 [4月~11月] 11:00~15:00

定休日 第2・4水曜日


定額給付金と地域振興券の疑問

2009年03月05日 | つぶやき
 2月15日日本テレビの世論調査結果で、麻生内閣の支持率9.7%という報道は、まだ記憶に新しいです。主要な報道機関の調査で10%台を切ったのは初めてなのだそうですね。
 これを学校に置き換えて考えると、麻生先生の教室の生徒が50名とすれば、4人~5名の生徒が授業に参加し、44~45名の生徒はボイコットしているというです。
学校としては、そんな授業が教育の現場として成り立つ筈もなく、問題になるはずです。
そんな授業は全員の将来のための礎にもならず、時間の無駄ではないでしょうか?

 昨日、定額給付金が採決されました。早い人は、もう頂いたそうですね。
 
「頂く」という言い方は正しくないですよね。
 総額約2兆円は国が埋蔵金でも掘り当てて、国民に分けて「あげる」なら心から喜んで頂きますが、そうじゃあないですよね。
赤字の財政、国の家計は火の車なのに、どこからお金をもってくるのでしょう?
サラ金でお金を借りて、とりあえず12000円頂くようなものでしょう?
後で利子をつけて返すのは、国民なんですよね?

ちょっと熱くなってしまいました。
20代の頃は全く政治に興味がなく、自分とか恋とか別なことに関心があったのですが、不思議なもので年を重ねていくとだんだんと政治が気になっていくんですね。
「知らないと損をする」いう経験を積み重ねてくるからでしょう。

確か10年前、小渕政権の時代にも「地域振興券」というばらまきで2万円頂いたことを思い出しました。
こづかいを足して、象牙のハンコを作りました。
勿論、今でも大事に使っています。

今回の定額給付金は約2兆円なのに対し、地域振興券は一定の条件があったため、総額6,194億円です。
かつて地域振興券で「景気回復に結びついたという確証はない」と過去に言われているのに、今回も定額給付金という演目で撒くのですね。
実行することで確かな有効性も立証できないままGOになるなんて…
しかも、貰う、貰わないは個人の自由なんて、茶番劇じゃありませんか!
まるで現代政治に対する「踏み絵」みたいです。

良いも悪いも混濁しながら、歴史はまたひとつ繰り返される宿命なのですね。
昨今の政治には、ホトホト疑問に思えるのは、わたしだけですか?




最後に、地域振興券についてWikipediaをまとめてみました。(活字いっぱいです)


小渕政権の頃。
日本銀行のゼロ金利政策やアメリカの好景気もあって、経済は比較的好調で、ITバブルが発生した。
公明党の発案で地域経済の活成化と称し、財源を国が全額補助することで全国の市区町村が「地域振興券」を発行し、一定の条件を満たした国民に1人2万円分(額面1,000円の地域振興券を1人20枚ずつ)、総額6,194億円を贈与という形で交付した。交付開始日から6ヶ月間有効で原則として発行元の市区町村内のみで使用でき、釣り銭を出すことが禁止され、額面以上の買い物をすることを推奨した。

この政策は「ばら撒きの極致」と酷評された。

1999年、経済企画庁は振興券を受け取った9,000世帯に対してアンケート調査を行い、振興券によって増えた消費は振興券使用額の32%であったとしている。つまり、残りの68%が貯蓄に回されたり、振興券がなくても行われた消費に使われたということである。

地域振興券発行後、この年の下半期に景気は回復に転じ、前年度マイナス成長がこの年プラス成長となったことは無視できない事実である(ただし、この時に伸びたのは政府支出であり、家計支出は目立った変化をしていないことから、地域振興券発行が景気回復に結びついたという確証はない)

最終的な使用率は全国平均で99.6%であった。