耕想庵でお蕎麦を頂いてお店を出ました。
耕想庵の自家畑です。
畑の隅には、道しるべを見つけました。
まるで、名残の気持ちにささやきかけるように、何かに強く魅かれている感じがします。
こういうのに弱い私は、いつもの好奇心が疼くまま、矢印の方向に向かって歩きだしました。
どうやら10分ほどで斎藤茂吉の父の生家に辿りつくようです。
優しい森に癒されます。
なにかその場所はゆったりと時間が流れている感じがしました。
そんな時は決まって自分の存在を強く意識して感じます。
私も自然のごく一部なのだと…
小さな小川にかかった緑の橋を渡り、誰かの畑を横目に見ながら、それでも小道は続きました。
やがてどなたかのお庭の一部と思しき場所を通り、不安がよぎったその時、道路に出ました。
すぐそこにあった大きな家は斎藤茂吉の父の生家金沢治衛門家でした。
人が住んでいる気配はあまり感じられませんでした。
途中の道標にあった「宝泉寺」はすぐそこの様なイメージがあり、そこを終着点と思い歩き続けてきましたが、まるで住宅街に迷い込んだかのようでした。
さて、そんな時相方から鋭い質問が…
「斎藤茂吉の詩、何か知ってる?」
私「タラチネノ母の…」あれ?
あれあれ?すっかり記憶がカットされてるわ~!
助け舟と思しき、優しげなお父さんがお散歩中でしたので、道を尋ねてみましたら…
親切なお父さんは自宅に案内してくれ、斎藤茂吉の小冊子を私にくれました。
そこにはなんと斎藤茂吉の歌碑が…
幽かなる もののごとくに これ處に果てし 三瓶興十松 君を弔ふ
この歌は、茂吉さんが昭和5年10月から約二ヵ月間、満州の各地を巡遊したそうで、少年の頃遊んだ友、三瓶興十松さんの亡くなった地、ハルピンを訪れて詠んだ歌です。
また茂吉が上京するにあたって興十松さんに与えた「澄書」も一緒に刻まれていました。
そんな歌碑が三瓶さん宅庭はじめ、この街のあちこちでで茂吉の歌碑が見られるとのこと。
それでは次回は、本格的に斎藤茂吉を知るべく、時間をつくってこの街をゆっくり歩いてみたいと思います。
その時はまた、こちらのブログで紹介させていただきますので、続きはもうしばらくお待ちください。
三瓶さんとお会いして、斎藤茂吉は上山の偉人として、皆さんに愛され守られているのだとつくづく感じました。
上山は、私も大好きな場所です。
心からそんな出会いに感謝したいと思います。
耕想庵の自家畑です。
畑の隅には、道しるべを見つけました。
まるで、名残の気持ちにささやきかけるように、何かに強く魅かれている感じがします。
こういうのに弱い私は、いつもの好奇心が疼くまま、矢印の方向に向かって歩きだしました。
どうやら10分ほどで斎藤茂吉の父の生家に辿りつくようです。
優しい森に癒されます。
なにかその場所はゆったりと時間が流れている感じがしました。
そんな時は決まって自分の存在を強く意識して感じます。
私も自然のごく一部なのだと…
小さな小川にかかった緑の橋を渡り、誰かの畑を横目に見ながら、それでも小道は続きました。
やがてどなたかのお庭の一部と思しき場所を通り、不安がよぎったその時、道路に出ました。
すぐそこにあった大きな家は斎藤茂吉の父の生家金沢治衛門家でした。
人が住んでいる気配はあまり感じられませんでした。
途中の道標にあった「宝泉寺」はすぐそこの様なイメージがあり、そこを終着点と思い歩き続けてきましたが、まるで住宅街に迷い込んだかのようでした。
さて、そんな時相方から鋭い質問が…
「斎藤茂吉の詩、何か知ってる?」
私「タラチネノ母の…」あれ?
あれあれ?すっかり記憶がカットされてるわ~!
助け舟と思しき、優しげなお父さんがお散歩中でしたので、道を尋ねてみましたら…
親切なお父さんは自宅に案内してくれ、斎藤茂吉の小冊子を私にくれました。
そこにはなんと斎藤茂吉の歌碑が…
幽かなる もののごとくに これ處に果てし 三瓶興十松 君を弔ふ
この歌は、茂吉さんが昭和5年10月から約二ヵ月間、満州の各地を巡遊したそうで、少年の頃遊んだ友、三瓶興十松さんの亡くなった地、ハルピンを訪れて詠んだ歌です。
また茂吉が上京するにあたって興十松さんに与えた「澄書」も一緒に刻まれていました。
そんな歌碑が三瓶さん宅庭はじめ、この街のあちこちでで茂吉の歌碑が見られるとのこと。
それでは次回は、本格的に斎藤茂吉を知るべく、時間をつくってこの街をゆっくり歩いてみたいと思います。
その時はまた、こちらのブログで紹介させていただきますので、続きはもうしばらくお待ちください。
三瓶さんとお会いして、斎藤茂吉は上山の偉人として、皆さんに愛され守られているのだとつくづく感じました。
上山は、私も大好きな場所です。
心からそんな出会いに感謝したいと思います。