山形県村山市は、東西に広い形をしており、東西を奥羽山脈と出羽丘陵に囲まれ、中央には最上川が北に流れています。
最上川はかつて舟運の道として使われていました。
当時「碁点」「三ケ瀬」「隼」が「最上三難所」と呼ばれており、それらは村山市内に集中して存在しています。
年間平均気温は11度前後で冬の寒さは厳しく、気温が零下15度を下回ることもあり、夏は暑く、寒暖の差は大きい盆地型の気候であることから美味しい「蕎麦」も各所で味わえます。
竜神橋傍の農村公園には、蕎麦を水車で挽く「水車小屋」もあります。
竜神の吊り橋は、村山市の大槇と河島の両地区を結ぶ長さ約百六十メートル、幅約一・五メートルの歩道橋。
右岸でなにかイベントを行っているようなので気になります。
1993年に架けられたこの橋の名前は、河島地区にある、竜神を祭る八大竜王神社に由来しているそうです。
立派な吊り橋ですが、高所恐怖症の私には、 何かにつかまらないと渡れません。
ほんのり木々も色めき、川の流れも穏やかです。
やっと対岸に着きました。
普段はバーベキューや、蕎麦打ち体験施設もある憩いの場ですが、その日は貸切のイベント開催中でした。
その傍にはアスレチックができる場所もありましたが、「河島山遺跡」との掲示がありました。
その概要を調べてみました。(山形県文化祭サイトより)
村山市街の西、最上川東岸に横たわる丘陵。一帯が旧石器時代から中世に及ぶ遺跡である。山頂には環状にめぐる空濠で画された館跡が2カ所にある。山頂部からやや南に下った場所には、幅4mの周濠がめぐる径24mの古墳がある。
内部主体は組合せ式の箱形石棺で、他の遺物は検出されていない。この近くには埋経と一字一石の礫石経の経塚がある。珠洲焼の甕に納められた銅鋳製の経筒が発見されている。中腹の南西斜面からは、杉久保型ナイフなどの旧石器時代後期の石器、縄文早期・後期、弥生時代後期天王山式期の甕棺墓が発掘されている。またこの付近からは15世紀代の小型板碑群や石塔片が多数出土した。石材を切り出した石切場跡もある。この西南部につづく丸森山山頂にも径28mの円填があり、河島山には全部で4基の円墳が確認されている。
敷地には「農村文化保存伝承館」(入場無料)があり、見学させて頂くことにしました。
1階~2階のこぢんまりした展示室でした。
昔使われていた農機具などの展示があります。
「灯り」のかたちも時代と共に大きく変化しました。
普段はスイッチを押せは灯りが点くという生活が当たり前になり、普段その便宜性について考えることもないですが、昔は灯りといったら、蝋燭だとか行燈とか、原始においては先ずは火おこしが必須でした・・・ね。
驚いたのはその時代における農民さんの恰好が、あまりにも質素な様子もなんですが(たとえば靴はわらじ)、このモデルさんの後ろにおそらく結婚式などで着たのでしょう、その当時の女性の一張羅の着物が壁面にかかっているのですが、あまりに小さすぎるのです。
現代でいう「小学生中学年」くらいしか着れないほどの小さな着物です。
どれほど貧しかったか、食べるものが限られていたか、一見してそんなイメージが湧いてきました。
2階の展示室には、休憩室もあります。
ここから見る竜神の吊り橋もなかなかいい・・・と思いつつ。(内心では「行きがあれば帰りも」とため息がでる状況なのですが・・・)
戻りのこの景色に何か感じる方いませんか?
画像中心部より左に注目して下さい!
猫が楽しげに横たわっています。(家)
どなたか、この楽しそうな猫の家、取材して下さい~♪(笑)