出羽三山は、月山、羽黒山、湯殿山の総称で、古くから山岳修験の山として知られています。
開山は約1,400年前、第32代崇峻天皇の皇子である蜂子皇子が三本足の霊烏に導かれ、羽黒山に登拝し、羽黒権現を獲得、山頂に祠を創建したのが始まりとされているそうです。
皇子はさらに月山権現と湯殿山権現を感得し、三山の開祖となりました。
以後、羽黒派古修験道として全国に広がることとなります。
承応3年(1654)、時の別当天宥により月山々麓水呑沢より約8kmの間を引水し祓川の懸崖に落し、不動の滝と名付け、ここより山上と山麓を呼び分け、山上には維新まで本坊を始め30余ヶ院の寺院があり、肉食妻帯をしない「清僧修験」が住み、山麓には336坊の「妻帯修験」が住んでいたそうです。
スゴイなぁ~、と思います。
その時代に訪れてみたいものです。
巡礼にあたり、羽黒山が現世、月山が前世、湯殿山が来世という三世の浄土を表し、羽黒山→月山→湯殿山が一般的と知り、1泊2日で三山をお参りし、ご朱印を頂いて神様とのご縁を結ぶというのが、今回の旅の目的です。
羽黒山山頂に三山の神々が合祀されているのは、月山、湯殿山は雪深い山頂や渓谷にあるため通年の参拝が不可能なためなのだそうです。
羽黒山山頂に続く参道は約2km。
荘厳に生い茂る老杉の中に2446段の石段が続きます。
山頂までは徒歩約1時間。
ツアー客などは山頂の有料道路を通れば石段を上らすに済むので、お参りしてから石段を下山してました。
また麓の山門前のトイレのそばに登山バスが運行されているようです。
ひたすらの上りは、心拍数があがるまでがキツイです。
少し眺望の開けたところに茶屋があり、お餅や飲料水も販売されています。
ちょっと一休み。
この切株の神秘。
蜘蛛の巣か菌糸なのかな??
少しなだらかな場所に来ました。
気持ち良いです。
御本坊跡。
今はこんな感じだけど、その頃はすごかったんだろうと思います。
出羽三山は、明治7年(1874年)以降に廃仏毀釈が始まったそうです。
明治政府は神道を国家統合の基幹にしようと意図した、いわゆる破壊運動ですよね。
こんなに立派な杉並木はなかなかないですよね。
樹齢350年から500年を越す老杉といわれています。
大地のエネルギーが溢れて、生きることの大事さを自然が諭してくれるというか。
パワースポットと呼ばれるのも、此処に来るとよくわかります。
やっと山門に着いたようです。
この山門前のお手水が、とても冷たくて、本当に気持ち良い水です。
厳島神社。
蜂子神社。
三神合祭殿。
圧倒されるほどの茅葺屋根が特徴的な木造建築で、その大きさは日本最大といわれているそうです。
本殿前方の鏡池は、神秘の御池として古来より多くの信仰を集め、羽黒信仰の中心であったそうです。
羽黒山三神合祭殿までにはいくつもの神様がそれぞれにお祀りされていますので、1社1社その神様の得意分野で願いをお願いしました。
今回五重塔特別拝観と共通券の秘仏を拝観いたしました。(写真撮影不可)
本殿は度重なる火災にあい、現在の社殿は文政元年(1818年)に再建したものですが、火災の度にご本尊も焼失し、その度に個人宅で大事にお祀りされている秘仏をとりあえず再建までの期間中お祀りしていたそうです。
秘仏をお参りできて、感動しました。
秘仏のお話をお聞きしたところで、千佛堂のお参りも進められ、行ってみました。
三神合祭殿のお祓いを受ける方の控えの部屋の横にあり、靴を脱いであがります。
羽黒山3回目ですが、初めて知りました。
出羽三山は明治維新まで神仏を権現として崇める修験道の御山で、羽黒山は「羽黒山寂光寺」と称し、一山は仏教で奉仕していました。
千佛堂に安置する250数躰の仏像の多くは、境内にあった諸堂や寺院に祀られていたと伝えられるもので、明治の神仏分離で出羽三山が神社となり、夥しい数の仏像仏具が山を下り散逸する中、酒田市に住む佐藤泰太良翁は私財を投じて蒐集し、宅地に安置堂を建立し奉拝されてそうです。
昭和49年、子孫の佐藤完司氏は百年近く護り続けてきたこれらの全てを当社に奉納されたそうです。
写真撮影禁止ですのでお伝えできませんが、たくさんの歴史の中の仏像が所狭しと安置され、驚いてしまいました。
中には観音経、般若心経を納められる方もおられるようで、次に参拝させて頂く折には、私も写経してご縁を結びたいと思いました。
ここではご朱印を頂くことができます。
さて、次は月山登山だから、ゆったりもしていられず、足早に下山します。
下りは大変ラクで40分。
登山する方の息苦しさに申し訳ないと思いつつ「こんにちは」とご挨拶させていただきます。
「こんにちは!」と声が返ってきて、本当に気持ちよく過ごせるお山だと感じました。
下山時はひたすら下しか見てませんでした。
登る時も、ですね。
時間に追われると、こんな素敵な場所、パワースポットでも。
いつかゆっくり杉並木の奥の空いたスペースで瞑想でもしてみたいものです。
羽黒山中興の祖、50代別当天宥が江戸時代の慶安元年(1648)から13年の歳月をかけて敷石した参道には、かつて観音菩薩を祀った由緒から石段には33個の彫り物が刻まれ、すべて探せば大願が成就すると言われています。
今回は14個しか見つけられなかったですが、これも苦しさのなかの一時の愉しみになりました。