山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

はじめまして、月にゃんニャー♪

2018年09月17日 | 

保護猫団体のお母さんと、保護して頂いた家族さんが、保護猫の月ちゃんを自宅に連れてきてくれました。

保護猫団体のお母さんも、保護して頂いたお母さんも、私の自宅と少し距離が離れていて、最近ガソリン代が高く負担になるので申し訳ない気持ちでいっぱいですが、最終的に育つ環境を観てから引き渡したいというルールのようです。

きちんとした契約書があり、印鑑を押して、里親さんと双方同じ書類を持ちました。

1週間は無料でゲージを貸して頂くことができ、先住猫ミカエルとの相性を観ながら徐々に馴染んでいくというシナリオです。

トライアル期間というものです。

月ちゃん、初お披露目ジャ~~ン♪

ゲージから出すとこんな感じ。

触るとゴロゴロとのどを鳴らしてきます。

生後3か月、1キロくらいしかないんじゃないかな?

抱くととても軽くて、やわやわでぐにょぐにょです。

こんなかわいい子猫が保護猫なんて、本当に信じられません!

出会いに感謝!の思いしかありません。

大事にしていきたいと心から思います。

 


産直 あさひグー「やまのごっつおまつり」

2018年09月16日 | 

羽黒山から、産直あさひグーさんへ。 

その日9/15は「やまのごっつおまつり」

地域のお母さん方が作ったたくさんの手作り料理が、なんと一皿100円!!

自分の好きな小鉢をお盆に乗せて、最後はお盆ごと持っていて精算となります。

前回は7/1で月山筍など、山菜料理が多くて感動したのですが、今回は野菜などの家庭料理風の小鉢が多いように感じました。 

夫がチョィスしたのは、山菜料理中心メニュー。

お互いシェアしながら頂きましたが、山菜料理最高です!

ぜんまいコリコリ、ヤッホ~♪

私は畑のお料理中心メニュー。

炊き込みご飯はミョウガと枝豆。

ミョウガが炊き込みご飯になるとは意外でしたが、さっぱりと頂けました。

なぜかブリと野菜の甘酢あんかけがあって、私のお盆メニューではそれが一番おいしく頂くことができました。

追加でなめこ汁。

なめこは大きくてプリプリ♪ 

極上!

プチトマトの肉巻も追加。

さっぱりと頂けます。

結構まわりで人気だった茄子漬けは、私たちにはちょっとね、の感じでした。

山菜とお野菜中心の為、結構たくさん頂けちゃいます。

合計ふたりでなんと2000円!安!

ご馳走様でした♪

 


羽黒山

2018年09月15日 | 神社・仏閣

出羽三山は、月山、羽黒山、湯殿山の総称で、古くから山岳修験の山として知られています。

開山は約1,400年前、第32代崇峻天皇の皇子である蜂子皇子が三本足の霊烏に導かれ、羽黒山に登拝し、羽黒権現を獲得、山頂に祠を創建したのが始まりとされているそうです。

皇子はさらに月山権現と湯殿山権現を感得し、三山の開祖となりました。

以後、羽黒派古修験道として全国に広がることとなります。

承応3年(1654)、時の別当天宥により月山々麓水呑沢より約8kmの間を引水し祓川の懸崖に落し、不動の滝と名付け、ここより山上と山麓を呼び分け、山上には維新まで本坊を始め30余ヶ院の寺院があり、肉食妻帯をしない「清僧修験」が住み、山麓には336坊の「妻帯修験」が住んでいたそうです。

スゴイなぁ~、と思います。

その時代に訪れてみたいものです。

 

巡礼にあたり、羽黒山が現世、月山が前世、湯殿山が来世という三世の浄土を表し、羽黒山→月山→湯殿山が一般的と知り、1泊2日で三山をお参りし、ご朱印を頂いて神様とのご縁を結ぶというのが、今回の旅の目的です。

羽黒山山頂に三山の神々が合祀されているのは、月山、湯殿山は雪深い山頂や渓谷にあるため通年の参拝が不可能なためなのだそうです。

羽黒山山頂に続く参道は約2km。

荘厳に生い茂る老杉の中に2446段の石段が続きます。

山頂までは徒歩約1時間。

ツアー客などは山頂の有料道路を通れば石段を上らすに済むので、お参りしてから石段を下山してました。

また麓の山門前のトイレのそばに登山バスが運行されているようです。

ひたすらの上りは、心拍数があがるまでがキツイです。 

 

少し眺望の開けたところに茶屋があり、お餅や飲料水も販売されています。

ちょっと一休み。

この切株の神秘。

蜘蛛の巣か菌糸なのかな??

少しなだらかな場所に来ました。

気持ち良いです。

御本坊跡。

今はこんな感じだけど、その頃はすごかったんだろうと思います。

出羽三山は、明治7年(1874年)以降に廃仏毀釈が始まったそうです。

明治政府は神道を国家統合の基幹にしようと意図した、いわゆる破壊運動ですよね。

こんなに立派な杉並木はなかなかないですよね。

樹齢350年から500年を越す老杉といわれています。

大地のエネルギーが溢れて、生きることの大事さを自然が諭してくれるというか。

パワースポットと呼ばれるのも、此処に来るとよくわかります。

やっと山門に着いたようです。

この山門前のお手水が、とても冷たくて、本当に気持ち良い水です。

厳島神社。

蜂子神社。

三神合祭殿。

 圧倒されるほどの茅葺屋根が特徴的な木造建築で、その大きさは日本最大といわれているそうです。

本殿前方の鏡池は、神秘の御池として古来より多くの信仰を集め、羽黒信仰の中心であったそうです。  

羽黒山三神合祭殿までにはいくつもの神様がそれぞれにお祀りされていますので、1社1社その神様の得意分野で願いをお願いしました。

今回五重塔特別拝観と共通券の秘仏を拝観いたしました。(写真撮影不可)

本殿は度重なる火災にあい、現在の社殿は文政元年(1818年)に再建したものですが、火災の度にご本尊も焼失し、その度に個人宅で大事にお祀りされている秘仏をとりあえず再建までの期間中お祀りしていたそうです。

秘仏をお参りできて、感動しました。

秘仏のお話をお聞きしたところで、千佛堂のお参りも進められ、行ってみました。

三神合祭殿のお祓いを受ける方の控えの部屋の横にあり、靴を脱いであがります。

羽黒山3回目ですが、初めて知りました。

出羽三山は明治維新まで神仏を権現として崇める修験道の御山で、羽黒山は「羽黒山寂光寺」と称し、一山は仏教で奉仕していました。

千佛堂に安置する250数躰の仏像の多くは、境内にあった諸堂や寺院に祀られていたと伝えられるもので、明治の神仏分離で出羽三山が神社となり、夥しい数の仏像仏具が山を下り散逸する中、酒田市に住む佐藤泰太良翁は私財を投じて蒐集し、宅地に安置堂を建立し奉拝されてそうです。

昭和49年、子孫の佐藤完司氏は百年近く護り続けてきたこれらの全てを当社に奉納されたそうです。

写真撮影禁止ですのでお伝えできませんが、たくさんの歴史の中の仏像が所狭しと安置され、驚いてしまいました。

中には観音経、般若心経を納められる方もおられるようで、次に参拝させて頂く折には、私も写経してご縁を結びたいと思いました。

ここではご朱印を頂くことができます。

さて、次は月山登山だから、ゆったりもしていられず、足早に下山します。

下りは大変ラクで40分。

登山する方の息苦しさに申し訳ないと思いつつ「こんにちは」とご挨拶させていただきます。

「こんにちは!」と声が返ってきて、本当に気持ちよく過ごせるお山だと感じました。

 

下山時はひたすら下しか見てませんでした。

登る時も、ですね。

時間に追われると、こんな素敵な場所、パワースポットでも。

いつかゆっくり杉並木の奥の空いたスペースで瞑想でもしてみたいものです。 

羽黒山中興の祖、50代別当天宥が江戸時代の慶安元年(1648)から13年の歳月をかけて敷石した参道には、かつて観音菩薩を祀った由緒から石段には33個の彫り物が刻まれ、すべて探せば大願が成就すると言われています。

   

   

   

  

今回は14個しか見つけられなかったですが、これも苦しさのなかの一時の愉しみになりました。

 


羽黒山五重塔特別拝観

2018年09月14日 | 神社・仏閣

2018年、出羽三山のリベンジの旅。

なぜなら、6/30、7/1で羽黒山五重塔特別拝観と湯殿山をめぐる予定が、湯殿山だけしか行けなかったこと。

反省点が幾つもあります。

出発が遅れると共に、湯田川温泉という素敵な温泉町を堪能した結果、そこで満足してしまい、お参りが適当になってしまったという2点にあります。

今回は反省点を踏まえ、4時半に起床。

5時半に出発しました。

私がお化粧したり、身なりを整えていると、夫がおにぎりを6個も握ってくれました。

朝食として私は1個で十分なのに、こんな時はいつも大きなおにぎりを一生懸命作ってくれるんですよね。

分っている筈なのに子供みたいに心は高揚しているんだと思います。

なぜ無駄に作るの?と思いつつ、可愛い人だなぁと感じます。

さて山門8時半ジャスト。 

羽黒山神社までは徒歩1時間と言われています。

羽黒山に残る建造物として最も古い国宝羽黒山五重塔は、明治以降公に開扉した記録はありません。

平成30年は天皇陛下御在位30年の佳節の年にあたり、出羽三山神社においても三神合祭殿再建200年で、羽黒山が神社となってより150年の節目の年にあたるそうで、これらを記念し国宝五重塔内部を特別に公開することになったそうです。

一つ一つの神様にお願いしてまわります。

赤い欄干の橋の向こうは時間がチェンジするというのか、なにか結界でも張られているような空気感の変化、神域性を感じます。 

滝の下にはお不動様が祀られていて、神仏習合の名残なのでしょう、神社参りなはずがなにか違う世界観がありますよね。

第一に、神社に五重塔なんて全国一宮神社でも普通は無いと思います。

明治維新に伴う神仏判然令以前の日本は、1000年以上「神仏習合」の時代が続いたわけで、明治時代に入ると、明治政府は「王政復古」「祭政一致」の思想を掲げ、神道国教化へと進んで行きます。

神仏分離政策といい、神道と仏教を区別する、神と仏を区別する、神社と寺院を区別する、まさしく神と仏の分離ということです。

そして、これからは神道を国教とするよ~、となったわけです。

各地で廃仏毀釈運動が起こり、寺院や芸術品、美術品が破壊されてしまったのですよね。

でも出羽三山信仰は、今でも神と仏を区別することなく信仰され、守られているような気がします。

「爺杉」

なんと1000年以上も生きている大杉です。

この地域は冬になれば大雪になり、樹木といえども生き延びるのが厳しい土地です。

こんな凛とした姿でこの土地に立っている爺杉は、素晴らしいと思います。

木々とお話しできたら、色んな昔話が学べそうですが、どなたかそんなソフトを開発して頂きたいものです。

でも樹木には知能がないとあたりまえに思いますよね、無理やりな話でした笑)。

五重塔。

高所恐怖症の私にとっては、心細い足場を上り、2階付近に辿り着くのは大変長い時間のようでしたが、屋根はこんな感じです。

五重塔の特別拝観では、写真撮影は一切できませんが、最上層の屋根の上の相輪を支える心柱二層目から、柱は八角形で釘を使われず、葡萄の蔓を巻いて支えています。

なんと本来は基壇上の礎石の上から立てられており、江戸初期この地を領有した最上義光が、1608年に大修復したとき、心柱の底の分部が腐っていたので切り取り現在の形になり、その後は葡萄の蔓は一度も変えていないというのですから、すごいことだと思います。


つきちゃんを選んでからのこと

2018年09月13日 | 

猫の譲渡会で選んだ生後3か月の洋猫ちゃんは、「つき」ちゃんという名がついていました。

家猫は和猫なのに「ミカエル」。

迎える洋猫も洋風の名前にしようと考えていましたが、どうしても保護していた方の顔が浮かびます。

本当にかわいがっていた小猫を人に渡すということを自分に置き換えてみました。

「つきちゃん」といって一生懸命育てたから、当然子猫も「つきちゃん」と自覚している筈です。

「つきちゃん」=「ツキちゃん」=「月ちゃん」。

なんとつきちゃんの受け渡し日希望日が、月山山小屋宿泊日だったこと。

つき: 運のつくこと。幸運。luck.
付きが回る(つきがまわる)運が向いてくる。

そういう素晴らしい名前であれば、「つきちゃん」という名で迎えてあげたい、と思うようになりました。

 

そして、つきちゃんのために家を大掃除。

ケガしないよう、清潔第一で。

片付けに一生懸命やっていると、思うように掃除が進みました。

ぼんやり「片付けなければ」と思って行動するより、「●●のために」と思って頑張ると集中できるようです。

家も綺麗になり、つきちゃんを迎える日々が迫って来ています。

ミカエルもシャンプーして石鹸の匂いで待機。

 

私はジムのプレオープンで体を動かしたら、気分爽快。

昨年末でジム辞めてから何もしていなかったので、笑っちゃうほど体がコチンコチンになってしまってました。

体動かすと、世界が変わりますね。

 

ツキがまわっている、そういう感じがします。

これからは家猫も、私も、夫も、つきちゃんと一緒にささやかな幸せな日々が過ごせる、そんな予感がしています。