グリーンズ・テイブル

ppのピアニッシモな戯言でござ~い☆

捨てちゃえ、捨てちゃえ

2011-05-04 15:26:08 | 
折角の連休に、あいにくの雨。
何処にも行く予定は無いけれど、庭で作業をしようかという気持ちになったのに…出鼻を挫かれてしまった。。。

前回アップした本「シンプルに生きる」といい、この本といい、
こういう本を自然に手にしてしまうのは、
色々な「片付け」の必要を潜在的に感じているのかも。

捨てちゃえ、捨てちゃえ
ひろさちや
PHP研究所

「まんだら人生論(上・下)」の中から選んだエッセイに加筆したもので、殆どが2ページ読み切り86編の、ちょっと空いた時間に読むには最適な本。
全編に流れているのは、世間の常識に惑わされない自分の物差しを持った生き方でした。

どれを紹介しようか迷いましたが、今日は、

「できる人間」~人格を備えた「できた人間」に

「できる人間」と「できた人間」はだいぶ違っている。辞書によると、「できる人間」とは能力・才能のある人であり、「できた人間」とは人柄などが円満で立派な人である。
そういえば、「能力」と「力量」は同じではない。たいていの辞書には、
「力量……能力があること。力があること」
として区別していないが、わたしは、この二つは違っていると思う。もっとも、どう違うかを説明するのはむずかしいが……。
能力のほうは、たとえば才能を100点満点で表示して、それに、人格を10点満点で表示して加算したようなものであろう。これに対して力量は、才能と人格をかけ算したようなものだと思う。具体的にいえば、才能80,人格3のAと、才能50,人格8のBでは、能力はAが83、Bが58で、AがはるかにBに勝る。しかし、力量でいえば、Aが240で、Bが400になり、Bのほうが上になる。かりに人格が0であれば、その人間にいくら才能があっても力量は0になる。
そう考えると、「できる人間」というのは能力によって査定したものであり、「できた人間」のほうは力量でみたものであろう。日本語にはおもしろい使い分けがあるようである。
さて、われわれはどうも「できる人間」に重きを置いているようである。若者が生涯の伴侶を選ぼうとするとき、あるいは会社の入社試験なども、「できる人間」を選ぼうとしてしまう。若い時代は「能力」が目立つからかもしれない。しかし、本当に高い評価が与えられるのは、「できた人間」なのである。わたしはそう思っている。


短いので、そのまま載せました。
職場で、趣味の集まりで、習い事で、病院でetc.
周りの色々な場面でうなずけてしまいます。

楽しいこと、美味しいものは……新しい力にかわってくれる☆

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