チェスキーはチェコ語でボヘミア、クルムロフは古ドイツ語で川の湾曲部の湿地帯。
旧市街地からお城へ向かう橋の上で。
あのお城を目指します。
赤門。 門の横に指!(この斬新さはエゴン・シーレ作?)
20世紀の芸術家エゴン・シーレはこの地に在住した。
中に入ると、壁のレンガは絵。
あの入口をくぐると…
次の広場も四方の壁のレンガは絵。
そして渡り廊下(バスを降りて最初に潜った大きな門の上方)を進むと…
遂にバルコニーへ。向こうの尖塔は15世紀に建造された聖ヴィトゥス教会、フレスコ画を抱えている。
左手が上がってきたお城。最初に渡ったのがこの橋。
ここはヴァルタヴァ川の上流に位置し、下流はエルベ川と合流しているそう。
何処を切り取っても絵になる眺め、おとぎの国のような可愛らしさ…
とは裏腹に、苦難の歴史を持つ。
サクッと拾います…
紀元前4000年には既に人が住んでいた痕跡。
13世紀以前に建造された城はゴシック様式。当時はチェコ人とドイツ人が混在。
16世紀、街はルネサンス様式に。
17世紀初頭、領地はハプスブルク家に売り渡された後、オーストリア軍→バイエルン軍→スエーデン軍と次々に占領され、街は財政難に。
18世紀初頭に統治していたヨハン・クリスティアーン(出たよ、ヒーロー)は芸術文化に造詣が深く、お城はバロック様式に改造され、宮廷劇場も建立、経済も発展。
後を継いだヨゼフ・アダムス(こっちもヒーローだ!)が有能な政治家でさらに輝かしい時代をもたらし、行政・経済・文化は南ボヘミアの中心地に。
この時、お城はロココ調に改造され現在に至っている。
19世紀に入って、神聖ローマ帝国時代から続いてきた支配階級のドイツ系住民と被支配階級のチェコ系住民の共存に幕。
20世紀、ナチス・ドイツはボヘミアをドイツ領とし、多くの建造物を破壊、虐殺。
戦後、圧倒的に多かったドイツ系住民は追放され荒廃状態に。
1989年の「ビロード革命」以降、建造物の修復が開始され、かつての美しさを取り戻す。
ドイツ系住民の追放後流入して来たロマ人(ジプシー)に対しての差別、民族浄化の為の強制断種政策が続いている。。。。
クリスティアーンが建造したバロック様式の宮廷劇場入口。
さよなら、チェスキークルムロフ。