プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

益田昭雄

2012-05-04 15:25:49 | 日記
【巨人4-0南海】外角へ若干落ちた球に南海の4番野村克也捕手は反応した。強引に引っ張った打球は左翼へのライナー。球が落ちた分、バットの芯を外れたことで打球の勢いはなく、柳田利夫左翼手がほぼ定位置でキャッチした。

 後楽園球場での日本シリーズ第6戦、巨人・益田昭雄投手が南海打線を散発5安打無四球に抑え完封勝利。巨人は4勝2敗でシリーズを制覇。前年に続き南海を倒しV2を達成した。

 山口・久賀高から山陽特殊製鋼を経てプロ入り5年目。公式戦81試合登板も完封どころか完投すらなかった益田が日本シリーズ初の先発でプロ入り初の完投完封勝利。しかも日本一を決めたシーズンの締めくくりのゲームでの快挙に、長嶋茂雄三塁手や王貞治一塁手が駆け寄りガッチリ握手。「信じられない。無我夢中で投げただけ。完封したんですか?僕…」と半信半疑の様子。川上哲治監督の胴上げが始まっても、立役者の一人でありながら輪の外でわけもわからず“ワッショイ、ワッショイ”とかけ声をかけている自分が不思議でならなかった。

 登板するはずのない試合だった。前日の第5戦、巨人は先発に中村稔投手を立てたが、試合はもつれて延長戦に。勝てば優勝、負ければ3勝2敗と詰め寄られる。一気に勝負をかけた川上監督は、第5戦先発予定の城之内邦雄投手を9回から投入。しかし、サヨナラ負けを喫した上に城之内は5回3分の1も投げていた。

 第6戦の先発投手がいなくなった。第2戦で乱調だったルーキーの堀内恒夫投手でいくか、強行して城之内の連投か…。移動日なしで大阪から東京へ向かう新幹線の中で川上は思案に暮れた。午後11時すぎに東京・本郷の宿舎に泊まった巨人ナインだったが、川上は風呂も入らず自室にこもって考えた結果、シーズン終盤に4勝をマークした益田に託すことに決めた。川上監督は藤田元司投手コーチに言った。「球威は堀内だが、コントロールでは益田の方がいい。負けられない一戦だ。確実にストライクの取れる投手でいく」。

 当の本人に先発が告げられたのは当日になってから。試合前に外野の芝生の上をダッシュし、体をほぐしていた時だった。「マスッ!お前きょうアタマからな」。藤田コーチの突然の指名にきょとんとする益田だった。

 期待通り、制球力は目を見張るものがあった。高校まで軟式野球しかやっていなかった益田だが、コントロールだけなら誰にも負けない自身があった。全113球中ボール球はわずか35球。ストライクからボールになるカーブやスクリューの絶妙なコントロールでファウルを打たせたり、凡打に仕留めたりと変幻自在。ストレートこそ速くなかったが、コントロールだけは最後まで乱れなかった。

 大役を果たした益田はその4日後にエライことをした。来日中の米大リーグ、ドジャース相手に3安打6奪三振でこれまた完封。初完封から2試合連続というのも記録に値するが、大リーグ相手の完封勝利は、62年11月17日に阪神・村山実投手がデトロイト・タイガース相手に成し遂げて以来、2度目の快挙だった。

 しかし、巨人時代はこの短いピークだけで終わった。翌年期待に応えられず4試合登板0勝に終わると、68年は西鉄に移籍。68年7勝、翌年8勝と気を吐いたが、残念ながら「黒い霧事件」で退団。引退後はタクシーの運転手として福岡で頑張っていた。
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森口哲夫

2012-05-04 14:12:57 | 日記
切れ味よいドロップ 愛くるしいが度胸十分

まだウブ毛の残っているようなまことに愛くるしい、こどもこどもした投手である。大映スターズが今年集めた新人投手のうちで現在一番頭角を現しているのが無名の森口である。昨年福島商高を卒業、福島郵便局で一年間軟式野球チームの一塁手をやっていた。
プロへ行こうという気持はなかったが、道仏監督(元阪急)が大映へ推薦してくれたので、何となく入ってしまったとのこと。
プロの生活は驚きと苦しみと喜びの連発だそうである。驚きはプロの打者は0-3からでもねらって打つし、真直ぐの球は絶対にダメなこと。苦しみは東北からポッと出て来たため、トレーニング不足で、松山のキャンプでの先輩のスピードのある動作について行けず、幾日も困り抜いたこと。喜びは五月十七日の対トンボ戦に初めて勝利投手になったことと五月二十八日の対トンボ戦に七回までトンボ打線を三人ずつ完全に抑えて完全試合か無安打無得点の大記録を樹立出来そうなところまで行ったことだそうである。
二十歳、五尺六寸七分、十六貫、投手としてはややキャシャな体つきである。しかし純粋の上手投げのオーソドックスの投法だ。低目に決まる速球、ドロップに威力がある。試合度胸もあるが、これはうちの試合に観衆が少ないからあがらないのだと否定していた。
とにかく一応順調に育ってはいるが、問題はこれからであろう。それにまず体を作ることが大切だ。いまのような体では長いペナント・レースに耐えられないからである。第二は自分でもいうようにいろいろな球をマスターすることであろう。

将来性はある

藤本監督談 まだまだですね。第一体が出来ていませんよ。それに手首が硬い。これをやわらかくしなければダメだ。しかし投げ方は純粋のオーバースローで理にかなっているし、試合度胸もある。だから体力を作ることと、手首の使い方をよく覚える必要がある。スピードももう一息というところでしょうね。人間も真面目だから、東北人特有のネバリで、あわてずジックリやって行けば、将来性は富んでいる。

技巧に走るな

山内毎日オリオンズ外野手の話

オーバースローのオーソドックスの投げ方をしているのがいいですね。球も速いし、これが低目によくコントロールされている。ドロップの切れ味も良い。それに私が初めて対戦した時、いきなりビーンボールを投げてくるような度胸もあるようだ。体がやや貧弱ではないですか。これから体も出来てくることと思うが、球は速いのだからあくまでスピードで押し、中途半端な技巧に走らぬことが大切だ。よい捕手がつけばもっと威力を発揮する投手だ。
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高野一彦

2012-05-04 14:08:29 | 日記
制球力に格段の進歩

努力家で負けずぎらい・・

関取りという愛称がついている。東映の中ではきわ立って体がでかいからである。
その彼が福岡県行橋中学にいた時は、体が貧弱なためレギュラーの位置をとれなかった
というからおかしなことである。中学時代は二塁手、福岡京都高では二年生のシーズン終わりまで
三塁手。それまで投手の経験はなく、ただ練習のバッティング・ピッチャーをやった程度。
投手になった動機は当時京都高の投手陣はあまりにも弱かったので、彼は見るに見かねて、
補欠でもいいから投手をやらせてくれと監督に頼んでなったという。だからその時まともな投手が
いたら今日の彼はおそらくなかっただろう。初めてプレートを踏んだのは、その年野球部の修学旅行で
宮崎へ行ったとき、相手は九州一、二といわれた桑原投手(現在西鉄)のいた日向学院。試合は惜敗したが
桑原に劣らず好投し三振十二を奪った。これで投手になれる自信をつけたという。
翌年(三年生)の九州大会の福岡県予選で勝って大会に出場したが、彼の投手としての活躍ぶりが
目ざましたかったので、地元の西鉄をはじめ南海、国鉄など八球団から勧誘を受けた。東映入りについて
「最後に国鉄、東映のどちらにしようかまよったが、当時からオヤジさん(岩本監督)の大のファンだったので、
東映の方をとった。誘いを受けるまでプロに入る気は全然なかった」といっている。
ことしで三年目だが、東映に入ったころはやせていて、今日の彼がウソのようにスマートな投手だった。
一年目は練習用投手をおもにやって泣かず飛ばず。二年目の五月二十一日、対西鉄で五回まで投げて
二点を取られたが味方がよく打ったのと土橋の好救援で初めて勝利投手になった。
そのころからしばしば使われだしたが、高野の名が知られるようになったのは終盤戦の九月十五日、
対大毎を一点に押え二勝目をあげた時からだ。その後西鉄に二勝したが、この二勝は東映をAクラス
に導いた原因の一つだった。だが今年の進境ぶりは昨年とはくらべものにならない。昨今では土橋を
しのいで東映のエース格までなっている。
高野の進歩を宮沢コーチは「昨年まではコントロールが悪く、落ちる球やカーブが真ん中へ集まりがち
だったが、それがコーナーに決まるようになった。それと上半身だけで投げていたのが、ことしは腰が
ついて行くようになった」といっている。
おっとりした表情や動作に似ず努力家で負けずぎらいである。
「最近チームの成績が悪いので監督さんが泣いていることがある。それを見ると気の毒でしょうがない。
私は監督さんのためなら腕が折れてもいいと思っている」というところなど実にたのもしい。
二十歳、身長1㍍79、体重82・5㌔

高野投手の話

どうにか投手らしくなれたのは亡くなった筒井さん(コーチ)のおかげです。私のコントロール
と下半身の欠点を直すため、ものすごいほど鍛えてくれた。それと、ことしハワイに遠征したとき
肩を痛めたのもかえって幸いした。そのため伊東のキャンプでは、ボールを一度も握らず毎日ランニングや
山登りをして足、腰を鍛錬することができた。これがよい結果になっている。
このごろは試合に出るのが楽しくてしようがない。

近鉄関根選手の話

去年から見ると格段の進歩をしている。去年までは低目をつくコントロールが悪かったが、
ことしは低目へシュートや落ちる球がとてもよく決まるようになったので、打ちづらくなった。
投手経験が浅いにしては度胸も良く、悪い点は見あたらない。
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有吉洋雅

2012-05-04 13:36:28 | 日記

制球力には自信満々 恵まれた体と特異な指

この春、平和台で西鉄球団のスプリング・キャンプ第一次日程の最終日、山口県下松高校の
学帽をかぶった田舎臭い学生が父親に連れられてノッソリ現れた。この田舎高校生がユニホーム
に着替えて球を投げ出すと、トタンに観衆も球団の古参選手らもびっくり目を見張った。体の
こなしはよく、右腕からの投げおろす重い球は、伸びがありコントロールもいい。
しかもホームプレート近くでカクンと曲ったり落ちたりする球もある。この時から有吉洋雅投手の
存在は球団の中に大きく浮び上った。
昨年の暮から正月にかけて、広島の石本コーチの家で鵜狩、佐川、田中ら新人とともにこっそり
指導を受けていたのだが、性格は温厚、落着きがあり、ものをいわぬので困るといわれるほど
の無口屋である。五尺八寸五分、二十貧、この六月で十九歳になる。幅のある胸板、丸味のある
肩、長い腕などが特徴で、顎から下のバネも柔軟、投手として申分ない素質がある。
しかもお前のその指ならーと石本さんがほれこんで教えたのがフォークボール。彼は人差指と
中指の中節(第二関節)を曲げてその中間に球がすっぽりはまり込むほど指間が開くという
変わった指の持主である。だが有吉の優秀さはこうした指先から生れる曲球よりも、巨体から
繰出すスピードとコントロールのよさにあるらしい。彼自信もウォーミング・アップの球に
伸びがある時は調子がいい日で、いま投げている球はアウドロ、シンカー、シュート、それに
フォークボールだが、直球が一番多く、外角低目を衝くのが一番効果的だというとおり、制球力には
自信満々、有効な球すじも自覚しているから大したものだ。「親父から今までの二敗は二つとも
四の字のつく日だ。四の日の登板は注意しろとつまらんことをいってきましたが、やっぱり四の日は
いやだ。もう一ついやなのはコツンコツンと当ててくる打者」と縁起をかつぐところなど、どうしてなかなか
古参投手以上である。四月三日対大映に一勝して以来六日で四勝二敗、曲球を投げる時、やや腰を
引き過ぎて本来のスピードを欠く弱点もあるようだが、腕試しはこれからだ。

秋までには10勝か

三原監督の話 投手としては異材でしょうな。予想以上の出来栄えをみせます。注意すべきは
滑り出しがよいと、とかく甘く見勝ちなものです。努力を怠りがちとなり進歩が止まってしまう。
有吉はこの点は自ら注意しているようです。プレート上の態度もいいし、これからが楽しみです。
普通新人は五勝がいいところでしょうが、有吉はすでに四勝、この調子ならこの秋までに十勝は
確実でしょう。

新人離れした度胸

飯田選手(南海)の話

あれは第一、新人らしくないですよ。プレート上で度胸があるというのか、相当年功を経た投手
みたいですね。それにコントロールが素晴らしい。制球力がいいからフォークボールも投げられるのだろう。
大体彼は低めに通してくるのだが、それもやや打ちごろますじに入ってくる。それが手元にきてスーッ
と小さく落ちる。実にいい球ですよ。大きく落ちるわけでなく、小さいが、しかし完全にミートをはずされる。
処置なしですよ。球質は重いし、スピードはあるし、とにかくいい投手です。
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ホイタック

2012-05-04 12:53:01 | 日記
2ストライクとらせて 一発を出す近藤和

打者の本領は、2ストライクをとられてから安打できるかできないかに一番よくあらわれるものである。この勝負どころで、よく痛打される投手は大投手になれないのとは逆に、このヤマ場に強い打者は監督からもっとも信頼される。近藤和はそういう勝負派の一人。一回、ホイタックが武器とするナックル・ボールを右翼席へ本塁打したのは2-2後の5球目だった。公式戦初登板、しかも一回、一番バッターにいきなりホームランされたのだから、ホイタックにとって、これほど痛烈なパンチはなかっただろう。「わたしはなにもいいたくない」-こういってロッカーへ消えたが、大リーガーの誇りと自信が、いっぺんに消し飛んだにちがいない。
近藤和は、意識的に2ストライクを投手に与えることがある。ファウル打ちでも有名だ。この日は、5打席のうち三度2-2後に打っている。開幕戦(国鉄)でも、5打席で三度2-2のカウントから打っている。
たしかに、投手としては、2-2から打たれるのも、1-0から打たれるのも「打たれる」ことには変わりがないかもしれない。事実そう口にする投手もいるが、そのときの表情は強がっているようでもある。
リリーフに出て、五回、2-2としながら近藤和に三遊間安打された中日の板東はこういった。「いや、やはりショックですよ。最初のホームランの印象が強いので、わかっていながら内角を攻められないんです」。
「気が弱いので・・・」と本人はいうが、ほんとうは投手に与える真理的な打率を計算に入れている。2ストライクをとってから、得意のきめダマを使う投手が多い。これは、当たり前だが、その一球を近藤和はねらう。ホイタックから奪った本塁打のナックルがそれだ。
ーどうしてだろうか。答えは決まっている決め球は投手の生命。それを痛打すれば、投手を打ちのめす近道となるから・・。「そうじゃないですか。それに、第1球から打つのはもったいない気がする」というわけだ。しぶとい、うるさい、投げづらいバッターとして他球団の党首から敬遠される理由も、このへんにひそんでいるのかもわからない。この日、三原監督は重松が故障のために、一番にだれを起用するかでずいぶん考えたそうである。近藤和のほか近藤昭、黒木がその候補にあがった。結局あとの二人二、七番にすわった。近藤和が打撃のうまさで二人をしのぐことはだれでも知っている。しかし、それ以上にホイタックの出バナをたたきつぶすことに神経を使った。これが三原監督に「一番近藤和」の打順を編成させた最大の理由だといえよう。「ホイタックを調子にのせるのを警戒した」という試合後の三原監督の言葉に、その理由が読み取れはしないだろうか。
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上別府幸一

2012-05-04 11:09:58 | 日記
軟式出の異色投手

十七日に入団発表した金子(今治南高)を入れても西鉄の左投手は井上善とこの上別府の三人だけだ。宮崎県小林市の中学を出るとすぐ地元の会社に就職、軟式野球を楽しんでいたが、三十九年ウエスタン・リーグで西鉄二軍が同地に遠征した時テストを受けて合格、昨年からユニホームを着た異色選手。
「昨年までボールになれるのが精いっぱいでした」と語っているが、プロ野球ではまったく珍しい中学卒。しかも軟式出身というハンディは相当な負担だったに違いない。テストでも「フォームがいい」というのが採用のおもな理由だったが、さる十四日のシート・バッティングでは低めに決まる速球で主力打線にヒットらしいヒットを打たせず、いっぺんにクローズアップされた。
1㍍80と長身に恵まれた体重もことしになって3㌔ふえて73㌔というから近い将来のローテーション入りが有望視されている。本人も「与えられたワン・チャンスをきっと生かします」とファイト満々だ。
◆重松コーチ 「昨年一年で軟式出身には珍しいほど進歩した。スピードが出るといいのだが、オープン戦でためすのを楽しみにしている」
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