プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

松原由昌

2012-05-11 23:59:55 | 日記
1975年
・巨人の背番号「68」が、華やかなルーキー勢にまじって懸命に汗を流している。松原由昌投手。昨年秋、雨の多摩川で行われたテスト、その志願者80人の中からただ一人選ばれた異色のルーキーである。前職は東京都水道局南部第一支所で、各家庭に鉛官を引く工事の監督補佐をしていたというから、異色度は№1かも知れない。月給12万也。「初給料で親父にプレゼントができました。いままで一度もコーチを受けたことがないし、基本もサッパリです。でも、やる以上は誰にも負けたくありません」と、この番外ルーキー なかなか骨っぽい。一回目の遠投テストで110メートルの測定ラインを楽にオーバーして「即合格」になった
バカ肩。エリートたちにもまれてどんな開花ぶりを見せるか・・・。

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清水治美

2012-05-11 23:56:56 | 日記
1985年
・西武から左腕・杉本の入団を沖縄・具志川の自主トレで聞いた清水は「ボクにとって厳しい状況になりました」悪い予感が現実となってしまった。「左の即戦力」として鳴り物入りの清水投手も、実戦派・杉本が相手では歯が立たない。目下は一軍と同行しているものの「打撃投手」の毎日だ。川越高から日通を経て昨年暮れ中日入り。「あのカーブは実戦で使える」と山内監督も買っていた。実際、杉本合流後もオープン戦終盤まで一軍当落線上で、きわどく競っていた。「テストの最後まで残れたことが救いですワ」打撃投手として再出発の清水。「この中から何かをつかんで」と前向きの姿勢だ。

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金田義倫

2012-05-11 23:56:06 | 日記
1971年
・日本シリーズに備えて巨人が西宮球場で初練習したとき、渡辺のピッチングを食い入るように見つめていた男がいた。この大柄な男が阪急のバッティング投手金田義倫だった。8年前、「第二の米田」というふれ込みで阪急に入団しながら、その後芽が出ず打撃投手に転向。今シーズンも上手から下手に変えた投法で近鉄・佐々木、東映・高橋直攻略用のけいこ台になってきた。その下手投げを巨人・渡辺に仮想してシリーズ用に切り替えるための研究でもあった。「ボクが少しでも役に立てば・・・」縁の下の力持ち金田が花やかな舞台裏でポツリともらした言葉が印象的だった。

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黒田正宏

2012-05-11 23:55:11 | 日記
1978年
・ホークスのユニフォームを着て8年目。長い下積み生活を続けていた黒田正宏にとうとう「春」がめぐってきた。法大時代には田淵「阪神」、プロに入ってから野村と彼のいくところ常に球界を代表する「大捕手」がデーンと待ち構えていた。だから彼の歩んできた野球人生にはいつも自分の力とは関わりのないところで「控え選手」、「第二の男」という暗くよどんだレッテルがはられていた。「調子がいいのに出られない」・・・黒田正宏は自暴自棄の生活を幾度繰り返したか知れない。だが「出られない」という理由だけで野球を辞めるわけにはいかなかった。野球で身を立てようと決めた男の意地もあった。が、それよりも何よりも彼には妻もあり子もあった。そんな人知れぬ苦闘を経ながら彼は無意識のうちに「耐えること」をしっかりと学びとっていた。「野村解任劇」でポッカリとあいた「正捕手の座」を苦闘を繰り返した「第二の男」への、この上ない報酬であるといったらいいすぎだろうか。


1980年、6月19日の阪急戦では福本豊が試みた3度の二盗を全てアウトにした。

「守りの人」のイメージが強いが、西武時代の1982年日本シリーズ第一戦「対中日・ナゴヤ」では、先制2点タイムリーを含む2安打、3打点で「打のヒーロー」になった。


1984年、4月11日の日ハム2回戦「後楽園」では7回ウラの守備中に打者・大宮の折れたバットの破片が捕手・黒田の頭部を直撃するというアクシデント。タンカで運ばれ退場した黒田は頭部を4針縫うというゲガを負った。

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豊平晋一

2012-05-11 23:54:35 | 日記
・1978年
阪神の豊平が今季外野に転向。自慢の打撃にようやく磨きがかかってきた。プロ入り3年目。入団した年は一塁手だったが、シーズン途中で手薄な三塁に転向。そしてまた松下が投手から三塁にコンバートされたため、やむなく外野へまわされることになったのだ。どちらかといえば伸び悩んでいた。入団した年、途中から一軍の安芸キャンプに合流。そこでいきなりシートバッティングでサク越えのアーチをかけ、将来を楽しませたものだった。しかし、変化球になかなかついていけず、パワーも影をひそめたまま。そのうえ不慣れなポジションに神経を遣っていくうち、すっかり伸び悩み状態に陥った。しかし、外野コンバートによりバッティングも本来の力を出し始めた。「やわらかみが出てきた。もともと素質があるんだし、本来なら中軸を打っていいはず。今年で3年目。豊平にとって勝負の年だ」とは二軍首脳陣。中京商時代は甲子園に出場、豪快なホームランを放ちスカウト連をアッといわせた。ほとんどの球団から誘いを受けたが、早大進学を希望したため各球団が手をひいたという、いきさつがある。そこを強引に説き伏せてプロ入りさせたのが阪神。それだけに豊平の成長が待たれるところである。

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北川裕司

2012-05-11 23:53:33 | 日記
1981年
・左手首のけんしょう炎が治らず、ついに選手生命を断ったのが北川裕司内野手。神奈川大学時代、大型内野手として騒がれドラフト5位で51年ロッテ入り。52年には22試合に出場、しかし54年に痛めた左手首が完治せず、とうとうファーム暮らし。55年はイースタン66試合に出場、打率236、本塁打3、打点27で、これが最後の記録となった。徳島の故郷に帰り身の振り方を相談してきたが、どうせ飛び込んだ野球の世界なら、裏方さんに回るのもいい勉強ということで、球団との話し合いがつきスコアラーに転出だ。明るく責任感が強く、寮長も務めた経験がある。ことしからは、山崎スコアラーの片腕として、ネット裏から活躍することになった。

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笹川博

2012-05-11 23:52:35 | 日記
1978年
・「怒られてだす赤い舌」からついたアダ名が「ぺロ」大洋ファーム組の5番打者でもあり、ヌシ的存在だった捕手の笹川が、7年目にしてようやく「一本立ち」へメドをつけはじめた。オープン戦終盤で福嶋に代わって後半守備についたり、代打に出たり。「田代に負けないあのパワーをなんとか生かしたい。センスはいいから、うまく育てば必ずモノになる」と、別当監督。47年、大宮高から大洋入りしたこの笹川。ドラフト7位という指名順からわかる通り「未完の大型捕手」として「多摩川道場」で鍛えられていた。185センチ、85キロはチーム1のキングサイズだが、伸び悩みが続いた。ところが昨年、イースタンで打率243ながら4ホーマーして打撃20傑のしんがりに顔を出した。折りも折りで5年ぶりに復帰した土井ヘッドコーチがこの笹川に目をつけ、自主トレ、キャンプでマンツーマンの英才教育。今季も大洋捕手陣は福嶋、辻、伊藤と多士済々だが、笹川は多摩川組からの脱出に必死。「一軍入りのラストチャンスだと思って歯を食いしばっているんです。今年こそやらなきゃ・・・。」とは、今季にかける決意を感じさせる言葉だ。女優の岡崎友紀とは故郷の埼玉で小学、中学を通じ同級生。「オレが一人前になったら一緒にメシでも食おう」と、約束したものの、向こうが先にスターの仲間入りをしてしまっただけにシャクの種。これがまた7年目の奮起一番につながっている。厚い壁を破って開幕から晴れて一軍のベンチが実現するか、じっと見守りたい選手の1人だ。

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真鍋幹三

2012-05-11 23:51:38 | 日記
1972年
・「一億円の足」といわれる阪急の福本の足を封じて真鍋捕手は鼻高々。この真鍋は辻、岩木、児玉に次ぐ第四の捕手、だから二盗を刺した喜びはことのほか大きかったようだ。人に会うと福本を刺した自慢話が飛び出す。「あの日、対阪急14回戦はグラウンドが軟弱だったので刺す自信はあった。二塁にいいタマが行ったでしょう。このところ肩の調子が非常にいいんです」と問わず語りになめらかなもの。「翌日の新聞写真を見てみると2メートル以上も手前のところで一枝さんが球を捕っている。福本はみんながいうほど速くないかもしれませんね」と得意満面。福本が塁に出ると戦戦きょうきょうの捕手が多い中でこれはまた大胆な発言。「ボクはちっともこわくありません」真鍋はどこまでも強気であった。

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関根知雄

2012-05-11 23:50:53 | 日記
1971年
・東京球場での開幕戦に、相川の後を守って二塁の守備固めに入った関根は、翌11日のゲームでは5回から出場、ロッテ小山から2打数2安打で、唯一の得点をあげた。そうして開幕3戦目からは、2番セカンドでスタメン起用され3打数1安打2打点を叩き出し以降も、定位置を確保、4月16日現在の打率294はチーム3番目の好成績だ。関根はプロ入りしてすでに8年目だが、長かった下積みのためファンに馴染みが薄かったが、39年にサッポロ・ビールから強打の遊撃手として大洋に入団、将来を嘱望されたが、まとまった感じで秀でたものがなくレギュラーを獲得できなかった。守備は二塁と遊撃をこなすが派手さはない。特徴は勝負強いバッティングとその快足だろう。向う意気の強さは大洋時代からチーム内で1,2を争うほどだった。172センチ、70キロの割には長打力もあり、シャープでもある。「大洋時代にフル出場の目標を果たせなかったので近鉄ではきっと常時出場してみせる」こう語る根性の男・関根は弱い内野陣にカツを入れ、懸命の努力を続けている。

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山中賢次

2012-05-11 23:50:33 | 日記
投球フォーム・・・アンダースロー


球種・・・ストレート、カーブ、シンカー


1985年
・山田が左ヒザの故障でダウンしたが、その穴を多少とも埋めるかのような下手投げの新星が現れた。その名も山中。今年で3年目だが、昨年は左ヒザの半月板を痛めて1年間を棒に振ってしまった。現在7分通り回復し今年は「秘密兵器」といわれている。「ヒザが治れば、という条件つきだが、体が柔らかいのでフォームにも無理がない。コントロールも良いので、一つ自分のものをつかんだら、グッとよくなる。一軍に行く力は秘めている」と足立二軍投手コーチは期待する
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松尾幸政

2012-05-11 23:49:08 | 日記
1979年
・プロ入り4年目の初体験だった。オープン戦とはいえ、待ちに待った「先発投手」だ。5回投げて被安打4.無四球、無失点。そして勝利投手。51年にプロ入りした男には数奇のドラマがあった。松尾が、打球を受けて昏倒したのは52年3月12日、藤井寺球場での練習中だった。左側頭部の複雑骨折。不思議にこの松尾を気にとめていた西本監督は「お母さんに知らせたか!」と、間髪入れずにいった。母親・幸枝さんは、島根県隠岐の島からすぐかけつけた。ちょうどこの頃、近鉄はこの松尾の将来性を高く評価して「大リーグ留学」の計画を押し進めていた。留学といっても、実は相手側から話が持ち出されたものであり、いわゆるトレード。米大リーグ、ホワイトソックスの3Aアイオワへの参加が具体化していた。その夢が九分九厘実現するところで骨折のアクシデントが起きた。練習を再開したのは5月末だった。しかし松尾の中にはこの故障を機に一気にほとばしりができた。野球に対する真剣度が増したという。失礼ながら、松尾の母校・出雲西高はずば抜けて強いわけではなかった。せいぜい山陰大会の島根、鳥取の大会に出場したくらいだ。それでも、スカウトの目はこわい。広島、クラウン、巨人、ヤクルト、そして近鉄からプロの手が伸びた。その年の近鉄の1位指名は東海大二高の超高校級といわれた左腕・中野英明である。同じ左腕。中野の騒がれようはすごい。6位の松尾など見向きもされない。かくて、彼の人生は「まず、同期の中野に勝つこと」から始まる。なにしろ、契約金もケタがちがう。月給も差がある。近鉄には日本一のエース鈴木がいる。次いで神部、村田と他球団もうらやむ「左腕トリオ」がいた。松尾への期待度は、やはり6位は6位だ・・・。が、一年たって、松尾のカーブ、シュートのキレの良さが首脳陣の目にとまる。その時点で、すでに中野を抜いている。西本監督が注目しはじめた矢先の頭がい骨こっ折だった。故障後の松尾は、なぜか血が騒ぐ。欲が出た。53年度はウエスタンで10試合、5勝1敗、防御率2,14.悪くない。そこへ、神部のヤクルトへのトレード。自動的に松尾はナンバー3の左腕として脚光を浴びる。チャンス到来だ。一度もスポットライトを浴びたことのない男の人生が、にわかに騒がしくなってきた。真田投手コーチは「万全の投手陣を形成するのには3枚の左が必要・・・」という。その三枚目にいま、松尾は、やっとはい上がった。

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