プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

鈴木弘

2012-05-10 20:52:43 | 日記
1971年
・SFジャイアンツへ単身のり込んでいった198センチの大男鈴木弘選手は野望ついえ、予告なき帰国で、両親をびっくりさせたが、こんどは「アメリカでダメなら日本があるさ」とばかり、ロッテのテストを受けた。4月23日から一週間受ける予定だった。初日には一、二軍の首脳陣が勢ぞろいして見守る中、懸命に汗を流した。この日イースタンの大洋戦後、さっそく約40球のフリーバッティングとファーストミット片手に坂本コーチのノック、そしてベースランニングと投攻走にわたりテストを受けたのだが、首脳陣の見る目はかなり厳しかったようだ。大沢二軍監督は「うーん、むずかしいな。さすがに身体に比例してパワーは抜群なものを持っている。しかし、いかにも鈍足だし、それに全体的にシャープな感じがない。またフリーバッティングではポンポン飛ばしていたが、ゲームで生きたタマとなるとまったく違うから・・・」と語っていたことからも、前途多難は予想されるところ。いずれにしても採用の有無は先のこと。11月に開かれるドラフトを待たなければならない。「うん、そういうことなので今は何もいえないな。それまでは練習生として籍をおくことも可能だが・・・」と大沢監督は続けたが、正式に選手登録されないことには、ファンの前にその長身も披露できないわけである。


1972年
・ロッテの名物男「ジャンボ鈴木」が早くもホームラン王へ名乗りを上げた。東映二連戦「4月18、19日・東京球場」で守田、杉田から2試合連続ホーマー。さらに24日の大洋1回戦で第3号。翌25日の二回戦でも打って早くも4号目。198センチ、96キロの巨体に相応しいジャンボなスタートぶりだ。このペースで打てばリーグ初の20本台も実現するかも知れない。この鈴木、二年前に大東文化大を卒業、その巨体に目をつけられ大リーガーを目指した。しかし、1Aのデケーター、ルーキーリーグのグレート・ホースで2割そこそこの打率しか残せず、昨年ロッテのテスト生として再出発。ドラフト会議の最後尾「196番目」で指名され晴れて日本のプロ選手になった。しかし、本人は快進撃にごきげん。「ことしに勝負を賭けてみるつもり。ホームラン王は絶対に取って見せます」と怪気炎。

コメント
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