プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

渡辺博文

2017-05-04 19:48:11 | 日記
1965年

バックスクリーンに各地のスコアが記入されていく。五回、巨人が「1-1と追いついたあと」広島攻撃のスコアが中日8-4のリードとかわった。いやでも一塁ベンチからはよくみえる。猛追する中日。おそらく巨人ナインは、最後までこのスコアボードが気になってしようがなかったろう。一回表、一死。岡嶋のファウルを森が足にぶっつけて店頭、ホームベースよこで苦しみもがいた。その負傷が巨人の敗戦につながるとは、おそらくだれも予想しなかったにちがいない。1-1で迎えた八回。サンケイは徳武がヒット、渡辺はバントに失敗、一死一塁となり、別部がボックスにはいった。巨人の投手は宮田。捕手は大橋に代わっている。アウトコースへ3球、カウントが1-2となった。「大橋とボクは神宮の同期でしてネ。やっこさんの気性はよく知ってるんです。アウトコースのあと、つぎはインコースを攻めてくることをネ・・・。そしたら、あんのじょうインハイ。ねらってましたからおもいきり振りましたヨ。宮田からは、今シーズンたしかはじめてのヒットじゃないかナ。それにしてもクセをなおしていなかったのが幸いしました・・・」よく日にやけている。笑うと顔だけが白くカクテル光線に光る。大橋が要求したのか、宮田が自信を持って投げたインコースなのか、いずれにしても「勝負強いやつだヨ、あいつは・・・」砂押監督がホレこんでいた。勝負強さのなかにも計算がちゃんとあったわけだ。七月にはいって故障、長いあいだ大倉山にもぐっていた別部としては、そのうっぷんをはらす一打にちがいなかったろう。「いやあ、びっくりしましたヨ。王のホームランがでたときはー。なにしろ初勝利目前でしたからネ。九回、長島に打たれたが、あすこは投げなかったです。でも、勝ったんだから」立命大のエースとして活躍、今シーズンのテスト生に合格した渡辺は、これがプロ入りはじめての勝利投手。メガネをとり、汗をあついタオルでぬぐうと、静かに勝利のピッチングを解剖した。「カーブがよかった。調子もいいし、大事な試合に出してくれた以上、死にものぐるいで投げようと思ってふんばりました。でも、ボクがよかったんじゃないです。平岩さん、根来さんのおかげです」巨人が森のケガから大橋にスイッチ。これが別部のホームランを呼び、敗戦につながった。六回、渡辺がピンチに立つと、ベテラン根来のインサイドワークにまかせたサンケイ・ベンチ。明暗がここでわかれていたわけだ。ざわついているのはロッカーから出てきた砂押監督の勝因は少しちがっていた。「巽がよくなげたことだヨ。前半、うまくおさえたことは、巨人にあせりをもたせたものナ」
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佐藤進

2017-05-04 16:39:21 | 日記
1967年

三回からは貧打線というか投手戦というか、ランナーが出ても点にならぬ攻防がつづく。「そうですネ。投手にとってはいやですヨ。けれど、かならずそのうち点をとってくれると思って一回、一回一生懸命でした」ライトが消えた暗いベンチ、フラッシュに浮かび上がる大きな佐藤の顔が笑っている。この間、中原代理監督はなんどもいったそうだ。「こういうときは根くらべだ。向こうも苦しんでいるんだ。根負けするナ」四、六回に、無死で二塁に走者を出した。「ああいうピンチにはなれてるからネ」これは試合が終わってからいえること。捕手の岡本が、それを聞くと「なにをいっとるんだ。こっちの苦労も知らんと・・・」とフンガイした。この日の調子はよくなかった。「この前(二十三日、大洋5回戦)より悪かったネ。スピードもなかったし、カーブが高めにはいって打たれたから・・・。おかげでシンカーをやたらと投げてしまった」シンカーは、伝家の宝刀で、これまで1試合に、せいぜい3球くらいしか投げていない。それをこのゲームでは10球も投げている。そんな調子だから、中原代理監督は「七、八回が代えどき」と考えていた。ところが、この2イニングは三人ずつ、九回になって先頭の横溝に中前安打を打たれた。きめていただけに、中原代理監督はためらわず鈴木にリリーフを命じたわけである。ジャクソンのホームランは、この悪戦苦闘の佐藤の目にどううつったか。最後に聞いてみると、目を輝かせた。「うれしかったナア。これで勝てると思いました」神妙な返事をした。だが、ベンチから引きあげるとき「五月にはいってこれで4勝か、予定以上勝っちゃったナ、ハハハ」と、北海のクマらしい大笑い。五月から九月までの五か月間、一ケ月3勝が佐藤の目標なのである。
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無徒史朗

2017-05-04 15:26:49 | 日記
1968年

ベンチの中にいるのか、いないのか、うれしいのか、悲しいのかさっぱりわからない。それでいて笑うと妙にあいきょうを感じさせる選手だ。かん声に迎えられてベンチに戻ったのにカメラマンのフラッシュをさけて逃げまわる。気がつかないようなふりをしてグローブとバットをまとめてそそくさとロッカーに急ぐ。こんな無徒をごきげんの別所監督が報道陣のかわりに呼びとめた。「無徒、こっちへこい。ヒーローやないか。お前は」そして無徒はきまりわるそうな顔でフラッシュの集中攻撃を浴びたのである。「たまには、こういうことがあってもいいでしょう」無徒はかすれ声でいった。「ことしの代打の成績は?」とたずねられて「さああまり打っていないので・・・。2本くらいしか打ってないんじゃないですか」と頭をかく。ご本人は忘れているが、無徒の代打成績はこの日で24試合20打数4安打。「サヨナラヒットは今季初めてだネ」と問うと「いや、プロに入ってはじめてです」とはっきり答えた。それならそれで、もっとうれしそうな顔をすればいいのに相変わらずびっくりしたような顔をかえようとしない。好球は二度とこないーこれが代打男の無徒が経験から得た教訓だ。一試合にたった一度与えられたチャンスは、なにがなんでも生かさなければならない。でも自分の好きなタマはそうなん球も投げてくれない。その一球を打つことに全身全霊を打ち込むのだ。「バッキーのピッチングからみて、必ず外角へ投げてくると思い、ヤマをはっていた。外角は好きなコースだったが、カンがうまくあたりましたヨ。もし内角にきたら、おそらく凡打に終わったでしょうネ」まさに教訓どおりのバッティングだったわけだ。そのとき、岡嶋コーチが、報道陣をおしのけて無徒のミミになにかささやいた。大きくひとつうなずいた無徒はなんていわれたの?の問いに「よくやったとほめられたんです」と答えた。それだけ?と念を押されると「それだけでじゅうぶんですヨ」と満足気に胸をはったが、それ以上、無徒の口からは、抱負らしい威勢のいいことばはでてこなかった。欲があるのか、ないのか、見当のつかない男だ。
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無徒史朗

2017-05-04 11:46:59 | 日記
1967年

もし、ヘルメットをかぶっていなかったら、無徒は頭がコブだらけになっていたろう。本塁ベースから三塁側ダグアウトまでの10㍍足らずの距離を、ナインから頭をこずかれどおしだったのだから・・・。「ナイス・ホームラン」「いいぞ、イモ(無徒のニックネーム)」興奮のあまり、佐藤進などはバットでゴツンとやらかすありさまだった。ムリもない。四回裏中日の追いあげにあってサンケイはタジタジになっていた。先発の佐藤が打たれ、4-2とリードを許したばかりだ。そこへ、無徒の一発が飛び出した。五回表、無死一、三塁。逆転の代打3ランホーマーだ。ベンチはからっぽ、だれがどうなっているのかわけがわからない。「外野飛球を打てばいいと思っていた。ホームランしたのは真ん中の直球。いいタマだった・・」興奮がさめたとき、無徒はつぶやいた「やっとおれの念願がかなった」今シーズンの無徒は代打専門だ。守備についたのは二度しかない。「代打屋のおれが1本くらいホームランを打っておかないと話にならんもの」この日も試合前の練習では、ねらってホームランが打てるかどうか、テストをしてみた。細田のタマを2本、右翼席へぶち込んでいる。調子は悪くなかった。11安打で10点ー。もちろん今季最高得点だ。オープン戦も含めてアトムズ打線の猛打爆発はすべてJR砲中心だった。ジャクソン、ロバーツにヒットがなければ勝てない。それがこの試合ではまるで逆になった。なるほどロバーツはニガ手小川から一回表に2ランホーマーして猛打の口火を切っている。だが、いちど相手の手に渡した試合主導権をパワーで返したのは無徒だった。同じ五回、代わった河村から左翼席へ2号ホーマーした武上、六回に右中間へプロ入り初ホーマーを打ち込んだ新人奥柿らの力だ。「JR砲以外の新しい力が成長していることがうれしい。この試合は、どうしても勝ちたかったし・・・」試合が終わってから飯田監督はやっと本音をはいた。「大洋に2勝1引き分けしたあとの中日戦。もしここで負けるようなら大洋に勝ったという実績がなんにもならなくなる。しかも勝利の原動力が若い力なのだから・・・」同じころ中日・西沢監督は試合後の談話取材を、断った。木下広報部長を通じて「あれだけホームランを打たれては、手のうちようがない」といわせただけだった。
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ティロット

2017-05-04 08:49:48 | 日記
1971年

4連敗していた南海のティロットが、リリーフで来日いらい初勝利をあげた。九回から村上からバトンを受け2点を失ったが、青野の代打満塁(同点)でよみがえった。「立ちあがり調子が悪く、ラッキーな勝利」といいながら、ナインの祝福にエビス顔。3Aシラキュース時代の昨年、一昨年も5連敗から10勝9敗、10勝8敗と星をかせいでおり、いわばスロースターター。「これからがんばる」ということばにも自信があふれていた。
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横山小次郎

2017-05-04 07:41:24 | 日記
1971年

横山小次郎投手(近大ー7年目)は一日の東映2回戦でイースタン4人目のノーヒット・ノーラン試合を記録した。この日、横山投手は変化球がよく、ストレートにも伸びがあり、田丸スカウトは一軍でも通用すると喜んでいた。七回一死まで3人ずつで完全試合、結局、投球数113打者28人、四球1、三振5、残塁1の記録でノーヒット・ノーランを達成した。東映の猿渡は「タマが速かったですねえ。四球の時、打っていこうと思ったが、少し高いボールだった」と完全試合をまぬかれてホッとしていた。横山は「シュートがよく決まった。カウント2-3が3回あったが、別に意識しなかった。猿渡に投げたボールに悔いはない」と話していた。
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古川明

2017-05-04 07:36:18 | 日記
1971年

ロッテの古川明三塁手(銚子商、2年目)が、めきめき頭角をあらわしている。大沢二軍監督の秘蔵っ子選手だ。昨年、イースタンの成績は投手で2試合0勝。打撃の方は7打数1安打で1割4分3厘で、あまり知られていなかった。昭和四十四年にアトムズにテスト生(投手)として入団したが二ヶ月で退団し、その後ロッテでテストをうけ合格。大沢二軍監督は「投手としては無理だが、内野手としては一軍で立派に通用する力をもっている」と高く評価している。ボールを恐れず守備範囲が広い。脚力もある。シャープなバットの振り。一番打者としての選球眼も非常にいい。今季の成績をみると五月十日の巨人戦から六月二日の東映戦まで、7試合連続安打。16試合で64打数19安打、盗塁11、四死球8、2割9分7厘と好打率だ。一日の東映2回戦に高橋直投手から3打数1安打(二塁打)、長谷川の右前安打で得点し、横山投手のノーヒット・ノーラン試合に貢献した。古川は「盗塁王だけは取りたい。バッティングそれと3割も・・・」と頑張っている。
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小形利文

2017-05-04 07:23:42 | 日記
1971年

東映の小形利文外野手=二十二歳、身長1㍍77、体重70㌔、右投げ右打ち、と、いってもピーンとくるファンは少ないだろう。小倉工からノンプロ新日鉄八幡に入社。ことしの伊東キャンプにバット一本をぶらさげてテストを受け、みごとに合格したルーキーだ。その小形に東映首脳陣はぞっこんほれこんでいる。過去5試合に出場し、ほとんど四番打者をつとめている。成績は、18打数10安打2打点、打率5割5分6厘と大当たりだからだ。まだ本塁打こそ打っていないが、パワーもある。高木コーチは「攻守にいい素質を持っている。練習態度も非常にいい。基本をしっかり勉強すれば、必ず将来の東映を背負うバッターになるだろう」と期待をかけている。小形自身も「一軍に出場するまで、田舎へは帰りません。努力します」と一生けんめいである。
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丸山隆夫

2017-05-04 07:05:19 | 日記
1963年

全国高校野球春のセンバツと夏の両大会に出場し、そのすばらしい素質を各方面から注目されていた富山県立富山商業高の丸山隆夫投手(18)=は一日よる、富山市清水の自宅で巨人軍の青木宥明スカウトと実兄の繁雄さん、丸山投手の間で会談をひらき、巨人軍に入団することを正式に確約した。

丸山投手はシュートとスライダーをきめ球とする正統派の速球投手で春のセンバツ大会に北信越代表として甲子園出場いらい阪急、大毎、巨人からスカウトの目が届き、とくに夏の大会前には、巨人軍が富山の公式戦にきたとき球団トレーナーの治療を受けていたほか巨人軍の富山県後援会の強い勧誘にもあっていた。入団について巨人軍事務所で行う。なお契約金は一千万円前後といわれている同投手は1㍍82、73㌔。

丸山隆夫投手の話「小学校のときから野球が好きで、プロ入りをユメみていた。プロ球団からスカウトの声がかかったときは、どうせプロにはいるなら堀内、藤田さんらの一線級投手のいる巨人にはいりたいと考えていた。入団できて、こんなうれしいことない」
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