プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

松浦信吉・木下竜元

2018-04-03 08:32:56 | 日記
1968年

西鉄ライオンズは、ドラフトで交渉権を指名した新人を着々手中に納めているが、一方では在野の人材をも発掘、このほど元南海の松浦信吉投手(21)=小倉工出身、181㌢、74㌔、右投げ右打ち=および飯塚商の木下竜元投手(18)=183㌢、73㌔、右投げ右打ち=のふたりをテストの結果採用した。さる一日、恒例の新人採用テストが平和台球場で行なわれたとき、ひときわ光る選手がいた。ピッチング、バッティング、ランニングいずれも抜群、それはともかく、作りあげられた見事なからだにローテ陣はうなった。これが松浦。三十九年、西鉄が南海との争奪戦に敗れ小倉工の豪球投手である。「こんなすばらしい選手をどうして南海は自由契約にしたのか」という疑問を西鉄は解いた。松浦は投手として入団したのだが、伸び悩むうちに外野へコンバートされた。打撃はよかった。しかし松浦は投手への執着がどうしても捨てられず、中途半ぱな気持ちで浮かばれなかった。一方では南海合宿の環境が体質的に合わず、心技両面にすっきりしなかった。こうした選手が転地によって、すばらしい生まれかわりを見せる例は珍しくない。西鉄が松浦の採用を決め、松浦が契約したのは十四日である。「文字通りの心機一転です。その場を地元の西鉄で与えられ、まったくのチャンスです。死に物狂いでやります」と松浦はファイトを燃やしている。今季ウエスタン・リーグでの成績は23試合、36打席で打率2割2分6厘。投手として再出発する。

木下がドラフトの指名のワクからはずれていたのは、かれが外野手だったせいのようだ。この夏甲子園に出場した飯塚商の主戦投手は小山だったが、スケールと将来性からいったら、右翼手の木下のほうが小山をしのぐ投手の素質を持っていることは専門筋も知っていた。「いい投手です。伸びていくものを持っている」というのは飯塚商とライオンズの先輩で本誌評論家の野口正明氏。かれの推薦でテストを受けた結果採用され、十六日に契約した。小山に代わって投げた投手としての成績は3勝だが、打撃も3割以上。「あこがれの西鉄へ入れたうれしさでいっぱいです。先月、テスト生として練習に参加している間、西鉄は若い人が多いことを知りました。ぼくもがんばろうと思っています。東尾、乗替、宇佐美といった有名投手に負けないようやります」と抱負をのべていた。
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